<北朝鮮>横須賀・三沢・沖縄も攻撃圏内|米攻撃できる状態で待機指示

北朝鮮は「アメリカ本土攻撃計画」とか書いてある地図をバックに報道公開していたが、北朝鮮のミサイルがアメリカ本土に届く性能はない。 グアム、ハワイを正確に攻撃できる性能もない。 そこで、ミサイル攻撃した場合なんとか当たりそうな在日米軍基地の名前を出してきたようだ―神奈川県横須賀基地、青森県三沢基地、沖縄。 仮に、横須賀・三沢・沖縄の何れかに発射してもどこに落ちるか分かったもんじゃない、まだその程度のミサイルなのだが…。 しかし、ここまでトーンを上げてきた北朝鮮は引っ込みが付かないので、一二発、威嚇目的でミサイルを海洋に向けて発射する可能性はかなりある。

「ミサイル、核攻撃」、その上に具体的地名を北朝鮮が挙げると、無知な日本のマスコミは過剰反応して報道する。 軍事の知識の無い日本国民の多くはその無知な日本のマスコミの過剰反応報道に踊らされがちだ。 それこそ北朝鮮の思うツボというものだ。

在日米軍も自衛隊も、一応、警戒態勢に入っているようだが…  それではHashigozakuraも「北朝鮮」の追っかけ投稿を開始しましょう――

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追加情報、2013-4-1】 ⇒ 「<北朝鮮>米軍、米韓合同軍事演習にF22投入|最先端兵器を相次いで投入する計画(WSJ、聯合ニュース)」 (投稿日: 2013/04/01)
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北朝鮮 横須賀・三沢・沖縄も攻撃圏内
(NHKニュース 3月31日16時38分)

挑発的な言動を続ける北朝鮮に対し、日本がアメリカと連携して強い態度で臨むなか、朝鮮労働党の機関紙は、31日、横須賀、三沢、沖縄とアメリカ軍基地のある日本の地名を具体的に挙げて、ミサイル攻撃も辞さないと威嚇しました。

北朝鮮 横須賀・三沢・沖縄も攻撃圏内朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」は、31日に論評を掲載し、「朝鮮人民軍は攻撃対象を確定しており、実戦で使用する戦略ロケットは小型戦術核爆弾に劣らない特殊な威力を発揮する」と強調しました。 そのうえで「アメリカ軍基地のある横須賀、三沢、沖縄も、グアムやアメリカ本土と共にわれわれの攻撃圏内にある」として、日本の地名を具体的に挙げてミサイル攻撃も辞さないと威嚇しました。 さらに論評は「日本などから飛来する、いかなる現代的な航空機や巡航ミサイルも、数十キロから数百キロの圏外ですべて迎撃できる」とけん制しています。

日本政府は北朝鮮のミサイルを追尾できるアメリカ軍の高性能レーダーを日本国内に追加配備することにしているほか、アメリカと連携して北朝鮮に対する制裁を一段と強化しています。 こうした動きに北朝鮮は強く反発しており、アメリカだけでなく、同盟国の日本に対しても挑発的な言動をエスカレートさせています。

防衛相「孤立化深めるだけ」

小野寺防衛大臣はNHKの取材に対し、「朝鮮人民軍が、攻撃対象として具体的に日本の地名を挙げるのは例がないことではないか。このような、いわれのない威嚇は、国際社会で北朝鮮の孤立化を一層深めるだけだ。防衛省・自衛隊としては、引き続き警戒・監視を強めていく」と述べました。
また、外務省の幹部は、「北朝鮮は威嚇を繰り返しており、一つ一つに過剰に反応しない方がいい。注視していくが、冷静に対応したい」と述べました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130331/t10013571981000.html

北朝鮮 「米攻撃できる状態で待機指示」
(NHKニュース 3月29日12時53分)

アメリカ軍が、韓国との合同軍事演習にレーダーに捉えられにくいB2ステルス爆撃機を投入したことを受けて、北朝鮮の国営通信は、キム・ジョンウン第1書記が29日未明に軍の幹部と作戦会議を開き、「アメリカをミサイルで攻撃できる状態で待機するよう指示した」と伝えました。

北朝鮮 「米攻撃できる状態で待機指示」アメリカ軍は、北朝鮮が挑発的な言動を繰り返していることから、韓国軍と合同で行っている軍事演習に、レーダーに捉えられにくいB2ステルス爆撃機を投入するという異例の措置を取りました。 これに対し、北朝鮮の国営通信は、キム・ジョンウン第1書記が、29日午前0時半に、軍の最高司令部で総参謀長や戦略ロケット軍司令官ら幹部4人を集めて緊急の作戦会議を開き、「重大な決心をした」と伝えました。

この中でキム第1書記は、アメリカ本土と、ハワイ、グアムなどの太平洋地域や韓国にあるアメリカ軍基地を、「いつでもミサイルで攻撃できる状態で待機するよう指示した」として、攻撃に関する準備計画に署名したということです。国営通信が公開した写真の1枚には、弾道ミサイルが飛行するルートを示したとみられる地図が写っており、そこには「アメリカ本土攻撃計画」と書かれています。

北朝鮮が、軍の最高司令部で開いた作戦会議の様子を明らかにしたのはこれが初めてとみられ、アメリカを重ねて威嚇するねらいがありそうです。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130329/k10013533941000.html

● 上の記事の画像の「アメリカ本土攻撃計画」マップ部分を拡大するとこのようになる――

北朝鮮・米本土攻撃計画マップ● 北朝鮮ミサイルの射程距離は下図に示されているように米本土には届かない

北朝鮮ミサイルの射程距離図在日米軍基地所在地

なぜ北朝鮮の行動はエスカレートしているのか? それは北朝鮮の攻撃を想定して大規模に行われた米韓合同訓練にあるが、最大の要因は米軍がステレス爆撃機B2を合同訓練に投入しさらにその事実を公表したことだ。 もともと、米韓合同訓練に神経をとがらせていた北朝鮮はプッツンしてしまったようだ。 「なにするニダ!」とキム・ジョンウン第1書記が叫んだかどうかは定かではないが、北朝鮮は怒り狂ってしまったようだ。 もともと狂っているところに「怒り狂って」しまったので、言う事やる事はシッチャカメッチャカになった次第である。 以下、ステレス爆撃機B2の投入に関するニュース――

米韓合同訓練B2参加1米韓合同訓練B2参加2米韓合同訓練B2参加3B2爆撃機参加で北朝鮮けん制か
(NHKニュース 3月29日19時21分)

アメリカ軍は韓国軍との合同軍事演習にB2ステルス爆撃機を投入したことを明らかにしましたが、韓国軍との演習でレーダーに捉えられにくいステルス性能を備えた爆撃機の投入を公表したのは初めてで、北朝鮮を強くけん制したものと受け止められています。

韓国駐留のアメリカ軍は28日、韓国軍と合同で行っている軍事演習に、2機のB2ステルス爆撃機を投入したことを明らかにしました。 アメリカ軍によりますと、2機はアメリカ中西部ミズーリ州のホワイトマン空軍基地から1万キロ以上を10数時間かけてノンストップで飛行し、28日の昼、韓国の西側の演習海域に到着して、そのまま韓国の島にある演習場に訓練用の爆弾を投下して帰還しました。

アメリカ軍は、韓国との合同演習にB2爆撃機が参加したことは過去にもあるものの、公表したのは今回が初めてだとしています。 B2爆撃機についてアメリカ軍は、「アジア太平洋地域における強力な抑止力として重要な位置を占めている」としており、レーダーに捉えられにくいステルス爆撃機をアメリカ本土から直接朝鮮半島に派遣できる能力を示すことで、北朝鮮を強くけん制したものと受け止められています。

B2爆撃機の演習への投入は韓国で大きな関心を集めており、29日の朝刊各紙は一面でB2爆撃機の写真を掲載し、中には、首都ソウル近郊の上空を飛ぶB2爆撃機の写真を掲載した新聞もありました。

ステルス性能備えた爆撃機

B2爆撃機は、1997年から実戦配備が始まり、現在、アメリカ軍は20機保有しています。 その最大の特徴はレーダーに捉えられにくいステルス性能を備えていることです。 機体の表面がレーダー波を吸収する素材で覆われているうえ、機体そのものが垂直尾翼や水平尾翼のない独特の形をしていて、通常の航空機と比べてレーダー波を反射する面積が少なくなっていますが、詳しいステルス性能は軍事機密とされています。 また1回の空中給油でおよそ1万8000キロメートル飛行することができます。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130329/k10013548171000.html

このB2爆撃機の米韓合同演習参加に関する記事は当事国・韓国の朝鮮日報が詳しいいのでクリップし以下に掲載する――

米国がB2爆撃機の訓練を公開米国がB2爆撃機の訓練を公開、北朝鮮をけん制か
(朝鮮日報 2013/03/29 08:49)

ミズーリ州から15時間かけて飛来
爆撃訓練後に空中給油を受けて帰還

レーダーにほとんど捉えられず、北朝鮮が最も脅威に感じている米国のB2ステルス戦略爆撃機が28日、群山の稷島射撃場で爆撃訓練を行った、と韓米連合司令部が発表した。

航空機としては世界で最も高価で、1機約20億ドル(約1900億円)するB2爆撃機は、これまで秘密裏に韓半島(朝鮮半島)に出動し何度も爆撃訓練を行ってきたが、その事実が公表されるのは今回が初めてだ。これまで極秘にしてきた韓半島でのB2爆撃機の訓練を米軍当局が公にしたのは、北朝鮮の挑発の脅しに対して警告を送り、同時に韓国で持ち上がっている独自の核武装論などもけん制するため、米国の拡大抑止(核の傘)の意志を目に見える形で示したものと解釈されている。

米国ミズーリ州のホワイトマン空軍基地を前日夜に飛び立ったB2爆撃機2機は、空中給油を受けながら15時間かけて1万500キロを飛び、28日正午前後に群山の稷島射撃場上空に到着。訓練弾を投下した後、再び空中給油を受けて米国本土の基地に戻った。

韓米連合司令部は「韓国で進んでいるフォールイーグル演習の一環。長距離、往復訓練任務遂行のためミズーリ州のホワイトマン基地からB2爆撃機2機を韓国に送ることにより、アジア・太平洋地域の同盟国に拡大抑止力を提供した」と発表した。

最近韓半島で相次いで爆撃訓練を実施したB52は、運用開始から60年近くたった旧型の爆撃機だが、B2は1993年から米空軍に配備され始めた戦略爆撃機だ。全長20メートル、翼幅52メートルで、F22ステルス戦闘機に比べはるかに大きいが、レーダーに現れる大きさはF22と同じくらいで、ステルス性に優れている。B2は、北朝鮮の主席宮や核・ミサイル基地など、強力な防空網を備えていたり地下深くに隠されていたりする戦略目標を攻撃する際に力を発揮する。重さが14トンに達する超大型爆弾「バンカーバスター」GBU57MOPも搭載できる。MOPは、地表から60メートルの深さまで貫くことができ、コンクリートなら8メートル貫通する。重さ225キロの統合直接攻撃弾(JDAM)なら80発搭載することができ、一度の出撃で80カ所の目標を破壊できる。核報復をすべきときは、B61などの核爆弾16発を搭載する。生産機数がかなり減ったため値段が上がり「黄金で作った飛行機」という別名もある。配備された21機のうち1機は、2008年6月にグアムのアンダーセン基地で墜落した。

B2爆撃機は、99年に行われたNATO(北大西洋条約機構)のユーゴスラビア空爆(アライドフォース作戦)に投入されたのを手始めに、数度の実戦に投入され性能を立証した。01年のアフガニスタン戦争では、10月7日に最初の空爆を行い、3日間で6回の空爆任務を遂行した。アフガニスタン戦争に投入されたB2は、途中でどこにも降りることなく44時間18分かけて飛行し、実戦の爆撃としては最長の記録を作った。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/03/29//2013032900445.html

(書きかけ中…)

<GSユアサの失墜>リチウムイオン電池不具合、B787に続き三菱エコカーでも|電池メーカーとしてのGSユアサの信頼は揺らいでいる…

GSユアサは、2004年にYUASAと日本電池が統合して発足した企業である。 鉛蓄電池で国内首位、世界3位級の実力を持つ。  直近2012年3月期の連結売上高は2854億円、営業利益は160億円。 自動車用電池は日本車メーカーを主要顧客に、新車・補修用を手掛ける。 さらに、ビルのバックアップ電源などの電源装置は、国内市場をほぼ独占している。 GSユアサが最近、育成に力を入れてきたのがEVやPHVなどに搭載される自動車用リチウムイオン電池だ。 その技術を航空機向けにも応用して実用化に成功。 第1弾がB787で、航空機向けには世界で初めての採用となったのだが…….

三菱エコカーでも不具合、GSユアサの失墜
B787に続き、リチウムイオン電池でトラブル
(東洋経済 2013年03月28日)
GSユアサの失墜1
“期待”は剥げ落ちた。 3月28日の東京株式市場で、ジーエス・ユアサ・コーポレーション(GSユアサ)の株価が暴落した。 終値は前日比49円安の392円。11%の大幅下落である。 一時は73円安の368円と、本日の値幅制限(361円)近くまで売り込まれる場面もあった。 無理もない。 GSユアサの先行きには、暗雲が立ちこめている。

■ 電池が溶けるトラブル、発火事故も

三菱自動車は27日、自社で生産するエコカーに搭載するリチウムイオン電池をめぐって、2件の不具合が発生したと発表した。一つは、家庭で充電できるハイブリッド車であるプラグインハイブリッド車(PHV)「アウトランダーPHEV」。電池の発熱により、一部が溶けた。もう1件は電気自動車(EV)「アイ・ミーヴ(i-MiEV)」。工場内で電池ケースが過熱し、発火した。

三菱自はトラブルのあった車種について、生産・販売を一時停止。購入者に充電を控えるように呼びかけたり、状況の説明や車両チェックなどの対応を始めたりしている。

GSユアサの失墜2いずれもトラブルのあったリチウムイオン電池は、GSユアサが51%を出資するリチウムエナジージャパン(滋賀県栗東市)が製造している。GSユアサは現地に社員を派遣。サンプル調査などを進めているが、現時点では原因解明のメドは立っていない。

GSユアサにとって痛いのは、同社製のリチウムイオン電池をめぐるトラブルが複数分野にまたがって続出していることだ。

今年1月、山口宇部空港発の全日空機などで、米ボーイング社の新型旅客機「B787」のバッテリーが、2度にわたって異常過熱するトラブルが起きた。この787型機に搭載されていたのも、GSユアサが京都工場で製造したリチウムイオン電池だった。

■ B787バッテリーの調査は難航

GSユアサの失墜3同機のバッテリー異常の原因については、日米の航空当局で調査が進められているが、調査は難航。問題の所在は電池自体、発電機から電池に充電するまでのプロセス、電気システム全体の設計や制御などさまざまな可能性があり、調査開始から約2カ月が経つ現在も究明が十分に進んでいない。3月27日に日本の運輸安全委員会が開いた会見でも、後藤昇弘委員長は「現時点で根本的な原因解明に至っていない」との見解を示した。

運航再開を急ぎたい米ボーイング社は3月中旬に、新たなバッテリーシステム採用による改善計画案を米国連邦航空局(FAA)に提出。、80通りもの原因を想定し、大型電池を構成する各セルに絶縁テープを巻き絶縁性能を強化するなど、そのすべてに対応できる対策を講じることで、「最終的に根本的原因を究明できなくとも、安全に運航できる対策を今回打った」(787型機の技術担当幹部である、ボーイング民間航空機部門のマイク・シネット バイスプレジデント兼チーフ・プロジェクト・エンジニア)としている。

この改善計画案においても、GSユアサ製のバッテリーは引き続き採用しており、ボーイングはGSユアサの供給する製品自体に問題はないと考えているもようだ。

だが、それでも電池メーカーとしてのGSユアサの信頼は揺らいでいる。

そもそもGSユアサとは、2004年にYUASAと日本電池が統合して発足した企業である。鉛蓄電池で国内首位、世界3位級の実力を持つ。直近2012年3月期の連結売上高は2854億円、営業利益は160億円。自動車用電池は日本車メーカーを主要顧客に、新車・補修用を手掛ける。乗用車のエンジンルームの中にあるバッテリーで、そのロゴを目にしたことがある人も多いだろう。産業用鉛蓄電池はフォークリフト用、電源装置用で展開。特にビルのバックアップ電源などの電源装置は、国内市場をほぼ独占している。

最近、育成に力を入れてきたのがEVやPHVなどに搭載される自動車用リチウムイオン電池だ。その技術を航空機向けにも応用して実用化に成功。第1弾がB787で、航空機向けには世界で初めての採用となった。自動車向けは滋賀・栗東工場で、航空機向けは京都工場で生産している。

■ 自動車向けでの本格採用はここ2~3年

リチウムイオン電池は、正極と負極の間をイオンが行き来することで放電と充電が行われる仕組み。小型で軽量という特徴を生かし、携帯電話やノートパソコンなどモバイル機器用の電池として、爆発的に普及した。これが、日産自動車が世界に先駆けて量産したEV「リーフ」をはじめ、自動車向けで本格的に使われ始めたのが、ここ2~3年のこととなる。

これまで旅客機には、ニッカド(ニッケルカドミウム)電池が使われていたが、B787はボーイングが機体の軽量化を狙って、リチウムイオン電池を航空機として世界で初めて使うことになった。リチウムイオン電池とニッカド電池と比べると、サイズや重量で2~3倍の差があるようだ。

しかしながら、リチウムイオン電池にはリスクもある。携帯電話の普及初期に、電池が膨れ上がったり、06年ごろに日本メーカー製のノートパソコンから発火する事故が相次いだりしたことを記憶している人も少なくないだろう。リチウムイオン電池は素材や電池とつなぐ各種の機器・システムとの組み合わせを間違えると、トラブルにつながりかねない製品なのだ。自動車や航空機向けに万全のテストを重ねたに違いないが、モバイル機器と似たようなトラブルが出たことは事実である。

原因や責任の所在は定かではないものの、航空機と自動車という、最も安全性が重視される工業製品において、一歩間違えば惨事にもなりかねないトラブルがリチウムイオン電池から発生してしまったことは、一般に悪いイメージを与えてしまっている。

GSユアサのリチウムイオン電池事業は赤字が続いており、これから顧客を獲得していこうと伸ばしてきた分野。次世代の自動車や航空機向けとして成長が期待されていた“バラ色の未来”のシナリオが、崩れつつある。

http://toyokeizai.net/articles/-/13465

検証・尖閣国有化(4) 最終決断、裏目に出た首相特使|総理特使の山口壮・外務副大臣、玄葉外相、岡田克也・副総理…落球を得意とするバックを背に野田首相は失投

最終決断、裏目に出た首相特使  検証・尖閣国有化(4)
(日経「コンフィンデンシャル 2013/3/28 7:00)

■ 立ち話サミット

ロシア語で「東方を支配せよ」という意味を持ち、冷戦時代は旧ソ連が極東地域における唯一の不凍港として、太平洋艦隊の拠点を置いた極東の地、ウラジオストク――。

2012年9月9日午前、この地を訪れた野田佳彦首相は、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の全体会合が始まる直前、出入り口に胡錦濤・中国国家主席の姿をみつけると、立ち話をしていた相手に断りを入れ、さりげなく胡錦濤に近づいて行った。

「震災、大変でしたね……」

この2日前、中国・雲南省で地震が発生し、大きな被害が出ていたことを踏まえ、野田は「一言もお見舞いも申しあげないのは、人道的におかしい」と判断し、自ら胡錦濤にこう言葉をかけた。

その野田に対して、胡錦濤は「すべて不法で無効だ。断固反対する。日本は事態の厳しさを十分認識して誤った決定をせず、関係を発展させる大局を維持すべきだ」。一気に捲し立てた。

その時の胡錦濤の様子を「とにかく、いきなりだった」と振り返る野田の言葉通り、胡錦濤は相当なけんまくで、尖閣諸島の国有化に反対を唱えた。それだけでは気が済まなかったのか、胡錦濤は「日中関係は緊迫している」とまで言い放ち、野田に再考を迫っている。結局、双方の言語を英語に変換する通訳係だけ伴った「非公式会談」は野田、胡錦濤の両首脳が立ち通したまま、わずか15分で終わった。

検証・尖閣国有化(4) 裏目に出た首相特使1>>  そして10日午後、政府は尖閣諸島への対応について関係閣僚会議を首相官邸で開催し、これを国有化する方針を正式に確認した。地権者・栗原國起との合意を踏まえ、02年度から毎年、年間2450万円で賃借契約を結んでいた魚釣島、北小島、南小島の三島を総額20億5000万円で買い取るのが骨子だった。途中、石原が「合わせて買う」と公言していた久場島については、三島の地権者である栗原國起の実妹が売却に応じなかったため、防衛省が賃借契約を継続する方向で決着させることにしていた。

7月初旬に野田自身が「所有者と連絡をとり、総合的に検討していく」と表明してから、ちょうど2カ月でのスピード決着に至った際の心理状況について、野田は語気を強めて、こう振り返る。

「地権者も(国に売るかどうかで)迷っていたので、『ここは一気に行くしかない』と思っていた」

ウラジオストクでの野田・胡錦濤会談から10日ほど前の2012年8月31日、外務副大臣の山口壮は中国・北京にいた。この時、野田、そして玄葉光一郎外相らの了解を得て、事実上の「総理特使」として中国を訪問した山口は「ナンバー2」のポストにもかかわらず、中国外交の総責任者、戴秉国・国務委員(外交担当、副首相級)との会談にまで漕ぎ着けていた。

■ 「いかなる変更も認めない」

席上、山口は野田から託された親書の中身に沿って、日中ハイレベル会談の重要性を戴秉国に説き、ウラジオストクで開かれるAPEC首脳会議でも野田と胡錦濤による日中首脳会談など頻繁な首脳間交流を行うよう呼びかけた。会談後、山口は自ら、記者団にそう説明しつつ、数時間にも及んだ戴秉国との会談内容については「全ての分野にわたって話をした」と述べるにとどめている。

「今日は胡錦濤主席とも相談した上で、あなたにお会いしている。大きな関連で日中関係のことなどを話しましょう」

席上、そう切り出した戴秉国の口調を見て、かつて在北京日本大使館にも勤務した経験を持つ山口は「その前の晩(30日)の傅瑩・外務次官とのやりとりを全部、踏まえてきたな」と感じた。その後、戴秉国は尖閣国有化に関して、山口に一つの明確なメッセージを伝えていた。

いかなることでも、日本による現状の変更は認められない。それが東京都であろうが、政府であろうが、それは関係ない――。

「きちんと対応しないといけない、と何度も進言したつもりだ……」。訪中時に戴秉国から受け取ったメッセージを背景にして、山口は野田や玄葉らに舞台裏でぎりぎりの説得工作を続けた。

最低でもウラジオストクでの野田・胡錦濤会談を踏まえ、閣議決定の時期は遅らせるべきだ、というのが当時の山口の趣旨だった。しかし、この時、すでに野田は尖閣国有化について腹を固め、その決意はもはや微動だにするものではなかった。

北京での山口・戴秉国会談については、その後、日本国内で様々な波紋や、憶測を呼ぶことになる。そのうちの一つは、ウラジオストクでの立ち話サミットを実現させたにもかかわらず、その直後に野田が尖閣国有化を閣議決定したことを中国側が問題視し、中国・胡錦濤の「面子」を潰したという説である。

「中国側は面目をつぶされた」

12年9月27日、日中国交正常化40周年に合わせて北京を訪問した河野洋平・前衆院議長(日本国際貿易促進協会長)、加藤紘一・自民党元幹事長(日中友好協会長)、高村正彦元外相(現・自民党副総裁、日中友好議員連盟会長)ら日本政界の知中派に対して、こう言い放ったのは中国切っての知日派とされる唐家セン・前国務委員(副首相級)だった。

■ 「日本のミスリード」説

唐家センが河野らを相手に開陳した「面子論」は、同じ儒教文化を背景に持つ日本でも「わかりやすい話」として瞬く間に広がった。さらに、その「面子論」の後を追いかけるように、日本の政界ではある「怪情報」が駆け巡った。いわく、野田や玄葉らに「(閣議決定には)間を置いたほうがいい」などと進言し、決定延期を目指してギリギリまで政府内で奔走していた山口が戴秉国らとの会談で、中国側を「ミスリード」、あるいは「ダブルトーク」をしたというものだった。この説を山口自身は「政府の応答要領を外したことはない」と全面否定するが、この噂が一人歩きすることは止められなかった。

国有化のプロセスが大詰めを迎えた段階で、それまで極秘チームに加えていなかった山口に急きょ、自らの親書を持たせ、中国に派遣した理由について、野田は「まず、中国には丁寧に説明しないといけないと思った」と説明する。その上で、敢えて山口にその大任を命じた背景について、野田は「(尖閣国有化の)規定路線の範囲で、中国に伝えるという任には外務副大臣が最適だと考えた」と言う。

そんな日本側の裏事情を知る由もない胡錦濤がウラジオストクで「日本側は事態の重大性を十分に認識すべきで、中日関係発展の大局を守るべきだ」と野田に迫ったように、尖閣国有化後の中国は対日姿勢を急速に硬化させていった。

加速度的に激しさを増す中国側の反応について、日本政府内部では「想定していたものよりも厳しい」という声も漏れていた。その背景としては、山口が心中に秘めていた問題意識が戴秉国らに伝播した結果、中国側にほのかな期待を抱かせることになり、その反動となって中国が一層、反発しているのではないか、と解釈する空気もあった。

だが、中国が「だまされた」といわんばかりの態度を取っていること自体が実は、中国による「やらせ」である可能性もある。というのも、複数の日本政府関係者によれば、実は野田政権による閣議決定直前の9月上旬、張志軍・中国外務次官が極秘で東京を訪れ、佐々江賢一郎外務次官ら日本の外交当局が「近いうちに閣議決定する」と伝えていたからである。

「在外公館の視察」(日本政府関係者)という名目で東京にある中国大使館を訪問した張志軍に対して、日本の外交当局が「閣議決定が近々あり、それを延ばすことは不可」という情報を入れていたとすれば、唐家センら中国側が唱える「日本の譲歩を信じ、トップ会談で詰め寄った胡錦濤の面子が丸つぶれになった」という説は根底から揺らぐ。同様に、山口が戴秉国らをミスリードしていたとする見方の信憑性も薄れることになる。

8月19日の石原との会談で「船溜まりは絶対に認められない」と主張した野田は一方で、この会談後、尖閣諸島の国有化に伴って何らかの構造物を国の責任において設けることを真剣に検討するようになっていた。この点について、野田自身は「詳しいことは言えない」と断った上で「レベル1からレベル10までの選択肢があったとして」という仮定を前提に「船だまりをレベル10とすると、自らが考えていたものはレベル1程度のものだった」と説明している。

検証・尖閣国有化(4) 裏目に出た首相特使2藤村ら当時の日本政府関係者によると、野田が最後まで拘ったのは魚釣島にある灯台の光源を発光ダイオード(LED)に切り替えるなど、何らかの形で利活用することだった。

■ 石原の思い「何となくわかる」

「自分は『穏健な保守』だと思っているが、石原さんは『反米』まで唱える。これは違うと思う」

首相公邸での濃密な対話の中で、野田が感じ取った自らと石原の違いは知らず知らずのうちに、野田の背中を尖閣諸島の国有化へと押していったことは間違いない。

その一方で、「最後の力道山世代」を自任する野田は、戦中派の旗手・石原が「国士」として腹に抱え続けてきた領土、主権、そして日本という国家に対する深い思いについても「何となくわかる」と述べ、これに理解も示そうとした。戦前・戦中派と戦後派の「中間」に位置しているという野田独自の心情、言い換えれば「愛国主義」が、後に国有化を巡るギリギリの判断を下す最後の局面で大きな影響を与え、灯台のLED化に拘らせた側面は否めない。

実効支配の一段の強化を迫る石原の攻勢を横目で睨みつつ、野田が腹を固めようとしていた8月末、外交当局も猛烈な巻き返しに転じようとしていた。その先頭に立っていたのはもちろん、外相の玄葉である。

「そう、簡単ではなかった。(説得工作は)一度では済まなかった……」

当時の首相官邸内での緊迫したやりとりについて、そう振り返る玄葉は野田に対して、何度か「これ(国有化)以上、利活用をやったら、『想定外』になる」と詰め寄っている。それでもかなわないと見た玄葉は副総理で元外相の岡田克也とともに2人がかりで野田を説得し、陥落させた。尖閣諸島について、「国有化・構造物なし」の原則が決まった瞬間だった。

■ 最後の晩餐

「何とか政府で買い上げるところまで来たのですが、現状では、これ以上踏み込むことは不可能です。力不足で申し訳ありません」

12年9月4日、首相補佐官の長島昭久は東京・田園調布にある石原の自宅でこう報告し、頭を下げた。尖閣を国有化するが、石原が求め続けていた「船だまり」などの港湾施設建造は見送る、という意味だった。その様を見て石原はこう言い放った。

検証・尖閣国有化(4) 裏目に出た首相特使3「さっさと契約して、発表すればいいだろう。外務省にやられたな、お前ら。だらしないなっ」

そう長島に憤まんをぶつけながら、石原は「(元地権者の)栗原にだまされた。裏切られた」と何度もつぶやいた上で、長島の背中にこう声をかけた。

「国がしっかりとやって、15億円もちゃんと使ってくれ」――。

その3日後の9月7日午後7時過ぎ、石原は東京・麻布にあるアメリカン・クラブで地権者・栗原國起と最後の晩餐に臨んでいる。証人として立ち会ったのは自民党幹事長で長男の伸晃、そして栗原との仲介役を務める参議院議員の山東昭子の2人である。

「僕も気が短いから、はっきり言ってもらいたい」

同席した山東によると、こう切り出した石原に対して、栗原はテーブルに向かって頭を下げながら、「済みません、国に売ることに決めました」と絞り出した。

年が明けて2013年元旦、皇居での式典に出席していた山東と久しぶりに顔を会わせた石原は、さばさばとした表情で「あれ(尖閣国有化)がなかったら、東京都(都知事)に残らなければならなかったから、俺も踏ん切りがついた」と語っている。この時、石原は同時にこうも話していたという。

「(尖閣購入が)流れてしまったから、東京都に残る意味もなくなった。(それが)こっち(日本維新の会)に来る、きっかけになったのかなぁ……」

=終わり

(記事タイトル(リンク)をクリックで記事にジャンプ)

■ 検証・尖閣国有化(1)石原都知事の勝算|日米中の交渉の舞台裏で一体何が起こっていたのか…  (投稿日: 2013/03/26)

■ 検証・尖閣国有化(2) 首相官邸の静かな工作|当時の野田首相、藤村官房長官、長浜官房副長官、長島首相補佐官らは何を話し合っていたのか…  (投稿日: 2013/03/28)

■ 検証・尖閣国有化(3) 中国指導部、真夏の「急変」|石原都知事の意図を曲解する民主のボクちゃんたち、外交戦略なきアホ民主政権が中国指導部を読める訳がない…  (投稿日: 2013/03/29)

野田政権の尖閣国有化をめぐる動き

追記、日経BP 2013-3-27 日経BPコラム―田原総一朗の政財界「ここだけの話」の3月27日で田原氏は野田首相の特使・山口元外務副大臣に直接聞いた話としてこのようなコラム記事を掲載している――

山口元外務副大臣に直接聞いた「尖閣国有化」の経緯
(田原総一朗の政財界「ここだけの話」 2013年03月27日)

私は以前、本コラムで「尖閣諸島の国有化の前に、外務副大臣が中国の戴秉国(たい・へいこく)国務委員に2度会っていた」という内容の記事を書いた。これに対して、信頼する人物から間違いだという指摘を受けた。

記事中では実名を書かなかったが、外務副大臣とは民主党の山口壯衆議院議員のことである。山口氏に確認しないまま記事を書いたことも含め、率直におわびしたい。

胡錦濤主席が激怒したわずか2日後、国有化を発表
私は尖閣諸島国有化をめぐる経緯について、以前から疑問を持っていた。実際に何が起きていたのか詳しく知りたいと考え、山口氏に直接会って話を聞いた。

まず、ことの発端を整理しておきたい。2012年4月17日(日本時間)、石原慎太郎東京都知事(当時)が米国ワシントンDCで講演し、東京都が尖閣諸島を購入すると発言した。

その後、8月19日に野田佳彦首相(当時)は石原氏と極秘に会った。この会談で、東京都が尖閣諸島を購入するのではなく、日本政府によって国有化する方針が決まったとされる。

野田首相は9月9日、ロシア・ウラジオストクで行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の前に、胡錦濤国家主席と立ち話をしている。このとき、胡錦濤主席は「断固反対」と怒りをあらわにしたとされる。

そのわずか2日後の11日、日本政府は国有化を閣議決定し、発表した。

中国側に返事もせず、「もう決まったことだから」と野田首相
しかし、こうした経緯は考えてみれば不自然である。私は山口氏に会って事情を聞くと、山口氏は戴秉国氏に2度会ったことは明確に否定したうえで、重要な証言を語った。

山口氏は首相特使として8月31日に中国へ行き、尖閣諸島の問題について中国外交部のトップである戴秉国氏と会談した。山口氏は日本側の方針として、「尖閣の平穏かつ安定的な維持」をするための国有化方針を伝えた。これに対して、戴秉国氏はあくまでも原則論を述べたという。

ただし、戴秉国氏はこのとき新しい提案をしたという。原則論を踏まえつつ将来に向けた工夫もあるという内容だったようだ。

山口氏は帰国してすぐにそのことを自分から玄葉光一郎外相(当時)はもちろん、野田首相および藤村修官房長官(当時)に報告したという。外交上の常識として、まず戴秉国氏に返事をしなければならないことも伝えたのである。

山口氏は国有化そのものに反対する立場ではない。しかし、野田首相と玄葉外相に、中国側に返事をすること等を含め、中国側とやり取りするためにもう少し時間が欲しいとして、国有化の閣議決定を延期することを懸命に訴えたという。ウラジオストクで野田首相と胡錦濤主席が立ち話をしたわずか2日後に閣議決定とは、あまりにもタイミングが悪すぎるという判断も山口氏にはあったからだ。

ところが、野田首相は「もう決まったことだから」と言い、中国側に返事も出さないまま国有化を決定し、発表してしまった。これでは山口氏の立ち場もまったくない。山口氏は10月の内閣改造で外務省を去っている。

この経緯について山口氏は相当憤りを感じているようだ。山口氏の説明を聞いて、閣議決定の経緯に関する私の疑問は解けた。当時の官邸が状況を的確に判断できなかったことは、きわめて残念なことである。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20130327/345380/?rt=nocnt

東電が原発事故総括『防げた事故だった』 アッタリまえだ! 腹を切れ~!!!

東電が原発事故総括「防げた事故だった」
(NHL 3月29日 17時8分)

東電が原発事故総括1東電が原発事故総括2おととし3月の原発事故について、東京電力は、事前の備えが十分であれば「防げた事故だった」と原因を総括したうえで、安全を最優先にする組織や、緊急対応の強化などを盛り込んだ改革プランを公表しました。

東京電力は、改革によって将来的な原発の運転再開につなげたい考えですが、事故を起こした当事者として理解を得られるかは不透明で、廣瀬社長は「改革が実行できなければ、原発を動かす資格はないと考えている」と話しました。

改革プランは、東京電力の社内事故調の最終報告が自己弁護に終始しているなどと批判を浴びたことから、社内の特別チームで検討していたもので、29日の改革監視委員会で了承され、公表されました。

それによりますと、まず今回の事故について総括し、「巨大な津波を予想することが困難だったという理由で、原因を天災として片づけてはならない」として、「事前の備えが十分であれば防げた事故だった」と結論づけました。

そのうえで、事故で明らかになった問題を具体的に改善する、6つの対策を盛り込んだ改革プランを示しています。

この中では、経済性を最優先するあまり、原発という特別なリスクを扱う会社でありながら経営層のリスク管理に甘さがあったとして、経営とは独立した形で安全の取り組みを継続的に監視する内部組織を設けるとしています。

また、情報の共有がうまくいかないなど、事故対応が混乱した反省に立って、1人の責任者が管理する人数を最大7人以下に制限するなど、緊急時の指揮命令系統を明確にするとしています。

このほか、原発のリスクを公表することに消極的だったとして、「リスクコミュニケーター」という新たな専門の担当を設け、経営側や原子力部門のリーダーに社会の目線で提言を行うとしています。

東京電力は、こうした改革の実行によって、将来的に、新潟県にある柏崎刈羽原発の運転再開につなげたい考えです。 しかし、事故を起こした当事者として社会の理解を得られるかは不透明で、記者会見した廣瀬社長は「改革が実行できなければ、原発を動かす資格はないと考えている」と話しました。

■ 改革プランをいかに実行に移すか

事故から2年がたって、具体的に示されたさまざまな改革プラン。

東京電力は絵に描いた餅にせず、いかに目に見える形で実行に移すかが問われることになります。 そのための具体策として、東京電力は、各プランの進捗(しんちょく)状況を3か月に1度、確認し、遅れている場合は原因を追及し、必要な改善を行うとしています。 また、半年に1度は、プラン自体の見直しの有無も検討するとしています。

さらに、事故の教訓を風化させないため、津波の威力を示す、逆さまになって突き刺さっている自動車のようなものや、水素爆発のすごさを示す折れ曲がった鉄骨のようなものを保存するほか、社員については、一定の期間、福島の復興に向けた取り組みに参加させ、事故現場を自分の目で見て感じる活動も行うとしています。

また、3月11日を「福島原子力事故の日」と定め、この日は、休日でも、原子力部門は毎年、事故を振り返り、実際に事故対応に当たった担当者と対話を行うなどとしています。
事故の教訓をどう共有するか

一方、これらの改革の内容、事故の教訓を、ほかの電力会社とどのように共有していくかも大きな課題です。

事故で明らかになった数々の問題は、当事者である東京電力が最もよく知っていることは言うまでもなく、国内外の原子力の安全を高めるためにも積極的に情報を発信していくことが求められます。

特に、事故の教訓を取り入れた原発の新たな安全基準作りが進んでいますが、基準で求められる対策を整備したとしても、緊急時に期待した効果を発揮できるかは、分かりません。

NHKが、福島第一原発の事故の際の消防車による注水を専門家と共に検証した結果、注入しようとしたうちの半分以上が原子炉に入らずに漏れ出ていたという結果が出ています。 原子力規制委員会は、今後、各原発に出向いて、緊急対応を行う実際の担当者と直接対話をしながら、原発の弱点探しをするという方針を示しています。

こうした取り組みが実効性を持つためには、福島の事故から浮かび上がった教訓と対策を共有していくことが重要で、東京電力はもちろん、ほかの電力会社も、みずからの問題として捉え継続して実行していくことが何より求められているといえます。

■ 米原子力規制委の元委員長「今後も監視」

改革プランについて、アメリカ原子力規制委員会の元委員長で、改革監視委員会の委員長のデイル・クライン氏は「東京電力は過ちを認め、事故を起こさないための改革プランをまとめた。しかし、これから改革の長い道のりが始まることになり、継続的に実行されるか、今後も監視を続けていく」と話しました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130329/k10013537881000.html

検証・尖閣国有化(3) 中国指導部、真夏の「急変」|石原都知事の意図を曲解する民主のボクちゃんたち、外交戦略なきアホ民主政権が中国指導部を読める訳がない…

石原都知事の意図を曲解する民主のボクちゃんたち、外交戦略なきアホ民主政権が中国指導部を読める訳がない…

中国指導部、真夏の「急変」  検証・尖閣国有化(3)
(日経「コンフィンデンシャル」 2013/3/27)

■ 水一杯の会談

2012年8月19日、うだるような熱波に見舞われた盛夏にあって、この日は珍しく朝から雨模様だった。

その夜、首相の野田佳彦は首相公邸の執務室に密かに東京都知事の石原慎太郎を招き入れ、頂上会談に臨んだ。時計の針はすでに9時を過ぎようとしていた。テーブルを挟んで向き合った両者の目の前にはコップ一杯の水がポツンと置かれていた。その無機質な雰囲気がかえって、これから始める会談の重さを、その場に居合わせた全員に無言で告げているかのようでもあった。

検証・尖閣国有化(3)「できるだけ早くあの島を、今の個人の所有者から東京都なりが、石垣市も含めて、あるいは沖縄県も含めて、できれば国が一緒になって所有して、最後は国の責任であの島の実効支配を自主的にやってくれ」

石原自身の説明によれば、開口一番、石原は野田にそう切り出している。その様を見て、野田は「ストレートに切り込んできた」と受け止めた。

この時、石原が野田に言わんとしたのは、政府が尖閣諸島に「避難施設(船だまり)」を建設するなどして、日本による実効支配の実態を強化するのであれば、東京都による購入計画を取り下げる、ということだった。野田がその提案を飲めば、この時までに東京都に集まっている約14億5500万円もの寄付金も国に委託し、国有化を支援する意向も石原は伝えている。

「あそこに自衛隊を置けとは言わない。最低限、船だまりや無線の中継基地を造ってほしい。できれば灯台や有人の気象観測所も……」

野田を面前に見据えながら、石原はそう畳み掛け、尖閣諸島に関する実効支配の強化策について野田から何らかの言質を取ろうと試みた。だが、石原の説明によれば、野田は「考えさせてほしい」と述べただけだった。

この時のやりとりについて、石原の要請に基づき、会談に同席した当時「たちあがれ日本」幹事長(当時)の園田博之は「無線中継基地、灯台、船だまりなどを石原さんが提案すると、野田君は『灯台とかは何とかなるかもしれないが、船だまりは中国との関係が破裂する』から、到底、受け入れられない、と応じた」と証言する。

「石原さんにしては、穏やかな提案だと思う。受け入れてはどうか」

そう合いの手を入れた園田に対して、野田は「灯台や無線など、いくつかの対応は検討したが、船だまりだけは無理だという結論だ」と譲らなかった、と園田は振り返る。

しかし、この時、石原が数多くの記者会見でも決して詳(つまび)らかにしなかった、日本の命運を大きく左右する「重大発言」、あるいは、そう解釈されても仕方のないやりとりが野田・石原会談において交わされていた。そのことを最初に明らかにしたのは園田と「新党さきがけ」時代から近い関係にあり、野田政権を民主党・政調会長、そして後に内閣の一員である国家戦略担当相として支えていた前原誠司だった。

「(野田)首相は石原氏の発言にあきれ、国として所有しないと大変なことになると(考えた)」

前原は10月12日のテレビ朝日の番組でこう述べ、それまで明らかになっていなかった野田・石原会談の核心部分に触れた。この場で、前原は石原が野田に対して、「中国と戦争になってもやむを得ない」という趣旨の強硬論を展開したため、その後の事態を懸念した野田が国有化を急いだ、という見方を示している。

前原が石原による「問題発言」を聞いたのは、ほかでもない野田本人からだった。前原によれば、石原が首相公邸の一室で行った野田との極秘会談の内容を突然、記者会見で明らかにしてから数日後の9月4日夜、野田は首相公邸の同じ部屋に前原を密かに招き、石原とのやりとりについて詳細に説明し、国有化への理解と支援を求めている。

「都知事がこういうことを言い出さなかったら、問題は起きていない。(都は)自衛隊も持っていないのに気合だけで言ってもらっても困る」

テレビ番組の中で前原はこう述べ、石原を厳しく批判した。

野田・石原による直接対話の席上、石原は実際にどのような言葉づかいで、前原の言う「対中戦争も辞さず」という趣旨のことを野田に伝えたのか。この会合に出席、あるいは関係した複数の人間の記憶や、証言を束ねると、石原は以下のような趣旨のことを野田に伝えている。

船だまりなどを作る(=尖閣諸島に対する実効支配を強める)ことで中国と戦争になっても構わない。通常兵器なら日本は勝てる――。

その瞬間、野田は思わず、心の中でこう声を荒らげた。

「冗談ではない。自衛隊の最高指揮官は東京都知事ではなく、内閣総理大臣である自分なのだ」

それ以前から記者会見などで「大事なことは、血を流してでも守るんだという意思表示をすること」だと説いていた石原にとって、この場で口にした言葉にそれまでの言動と大きな差異はなかったのかもしれない。しかし、内閣総理大臣として日本の安全保障を担っていた野田にとって、石原の言葉は簡単に看過できるものではなく、いつまでも胸に残る「つかえ」となった。

「内輪の会合では、石原さんは『中国と戦争になっても仕方ない。経済より領土だろう』と言っていた。『戦争をやっても負けない』とも言っていた。米専門家の分析として、海空戦力であれば、自衛隊は人民解放軍を凌駕しているという趣旨の話を再三していた。『通常戦争なら、日本は勝てる』という趣旨だった」

「一言も言ってない」

そう首相補佐官の長島昭久が回想すれば、その長島とともに一度だけ、石原を東京都庁に尋ねたことがある官房副長官の長浜博行も「二人で(石原を都庁に)訪ねた際もそういった趣旨のことは言っていた」と証言する。

この時のやりとりについて、石原自身は12年11月20日、園田らと立ち上げた新党「日本維新の会」の代表として東京都内の日本外国特派員協会で講演した際、前原による暴露発言を踏まえて「野田総理との会談の席上、戦争も辞さないと言ったのは本当か」と問われ、こう答えている。

「野田君との会話でそういう悪い評判が立つだろうと思ったから、野田君とも親しい園田君という優れた政治家を同行しました。(中略)そんな『戦争も辞さない』とか、『自衛隊置け』とか、そんなことは一言も言っていません。それは園田君に聞いてもらえば、わかります」

「石原(慎太郎・東京都知事)に好きにされるよりは……」

野田の命を受け、6月頃から中国の外交当局と水面下での接触を加速させ、政府による国有化に理解を求め続けてきた日本側に対して、筆頭外務次官の張志軍、そして、その上司にあたる戴秉国・国務委員らは非公式ながら、尖閣国有化を飲み込む感触を、そんな言葉で日本側に伝えつつあった。

■ 北戴河の声

検証・尖閣国有化(3)2にもかかわらず、日本側が心のどこかで期待していた中国による暗黙の「容認論」を取り巻く空気は、8月になると急変する。その裏事情について、中国政府内に多数の知己を持つ若手の中国研究家、川島真・東大准教授は「8月の北戴河で突然、『何か』があって、全てがひっくり返った可能性が高い」と指摘する。

中国の最高意思決定機関である共産党首脳が北京の暑い夏を避けるために集う河北省の避暑地、北戴河。日本の外交当局が対中国交渉ルートの「大本命」と位置付けていた張志軍と傅瑩・外務次官のコンビが、共産党・中央政治局常務委員会の有力者に日本側からの説明をベースにした「尖閣国有化」の情報を持ち込んだのは8月上旬で、北戴河で新指導部の発足に向けた権力闘争がピークに達していた頃だったとされる。

「石原・東京都による購入よりも、政府による国有化で平穏かつ安定的な維持管理を目指す方が得策ではないか……」

かねて日本側が再三、伝えている説明内容を繰り返し、最高権力が集まる「中南海」の意向を探ろうとしていた張志軍らに対して、報告を受けた最高権力者の一人はこう声を荒らげたという。

「そんな話はうるさい。もう、聞きたくないっ」――。

川島ら複数の中国専門家や外交・防衛当局者らによると、張志軍らが報告を上げたのは次期指導部の中でも親日的と目されていたナンバー2候補の李克強副首相(現首相)だった。

元来、温家宝に近く、改革・開放路線を信奉する国際派の李克強はこの時、すでに政治的にかなり苦しい立場に追い込まれていた。北戴河の非公式会合では、保守派から胡錦濤の改革・開放路線を公然と批判する声が上がった。その矛先は06年に温家宝らが日本を代表する保守派、自由民主党の安倍晋三首相(当時)と合意した日本との「戦略的互恵関係」という対日外交戦略にまで及んでいたからである。

「お前たちが説明しようとしていることはわかるが、日本の権力は一体、どこにあるのか……」

中国の国内事情に詳しいジャーナリスト、富坂聡によると、張志軍、傅瑩に対して李克強はそう言葉を継ぎ、二人を直ちに追い返した。富坂は「李克強にとっては、すでに『はい、わかりました』と言える話ではなくなっていたのではないか」と言う。

この富坂の見立てについて、川島も以下のような言葉で同調する。「この一件以来、中国の外交当局は指導部に対して、日本との尖閣問題について発言する機会を失ったはずだ」

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK16020_W3A310C1000000/

(4)に続く…

■ 検証・尖閣国有化(1)石原都知事の勝算|日米中の交渉の舞台裏で一体何が起こっていたのか…  (投稿日: 2013/03/26)

■ 検証・尖閣国有化(2) 首相官邸の静かな工作|当時の野田首相、藤村官房長官、長浜官房副長官、長島首相補佐官らは何を話し合っていたのか…  (投稿日: 2013/03/28)

■ 検証・尖閣国有化(4) 最終決断、裏目に出た首相特使|総理特使の山口壮・外務副大臣、玄葉外相、岡田克也・副総理…落球を得意とするバックを背に野田首相は失投  (投稿日:2013/03/30)

野田政権の尖閣国有化をめぐる動き

<零戦を祖国の空に>修復され飛行可能なゼロ戦を日本に戻そうと試みる人がいる。こういう話があったのか…

修復され飛行可能なゼロ戦を、米国から「祖国日本」に戻そうと試みる人がいる。 栃木県出身で、いまはニュージーランド在住の石塚政秀さん(52)とういう方だが、朝日電子版の記事で初めて知った。 心より応援する。 問題は年間3千万円かかるという維持費だ。 かつての製造元・三菱重工はスポンサーになってくれのか~。 この話は是非、皆さんに知ってもらいたい――

零戦を祖国の空に1零戦を祖国の空に 修復され米現存の1機、「帰国」探る
(朝日 2013年3月28日12時26分)

【野村周】1945年の終戦までに約1万機が製造された零戦。今も空を飛べるのは4機とされる。ただ、そのすべてが今はアメリカ国籍だ。このうちの1機を日本に「帰国」させようと試みる人がいる。

零戦を祖国の空に2 栃木県出身で、いまはニュージーランド在住の石塚政秀さん(52)。パイロット用ジャケットの製造会社を経営するかたわら、航空専門誌などで執筆活動も続けている。

太平洋戦争の初期、零戦は高い運動能力、長い飛行距離、高速の3要素を実現し、日本のものづくりの力を世界に示した。2008年、「かつての日本の財産を日本に」と石塚さんは動き出した。1年後、米法人を設立し、世界の戦闘機を収集す零戦を祖国の空に3る米国人コレクターから約3億5千万円で購入した。

所有するのは、三菱重工業製の22型。70年代にパプアニューギニアで発見され、米国人コレクターが回収。ロシアなどで飛行できるまでに機体が修復された。ただし、搭載されていた国産のエンジンでは飛ぶことができず、米メーカーのものを使っている。
零戦を祖国の空に4
飛行機は各国の航空当局に登録することが義務づけられている。石塚さんは、いまは米国にある登録を日本に移そうと計画する。

ただ、日本の空を飛ぶには、いくつかのハードルが立ちはだかる。

まずは航空当局の許可の取得だ。国交省航空局によると(1)一定条件以上に機体の安全性が零戦を祖国の空に4証明されていること(2)操縦するパイロットが必要な知識と技能を有していること――などが求められる。「実際に申請を受けてみないと分からないが、戦闘機の復元機であれば、一般機以上に条件のクリアは難しくなると思う」(国交省航空局)。

パイロットについては、水産航空(東京都調布市)社長の野口武彦さん(40)が協力を申し出ている。日本でプロペラ機からジェット機までの操縦教官の資格を持ち、米国でも零戦を操縦する資格を持っている。

次は資金面。維持費は年約3千万円かかる。各地の航空ショーなどでの飛行を想定しているが、継続的に十分な費用を得られるかは見通せていない。

このため、スポンサー探しを続けている。リーマンショックや東日本大震災などで中断を余儀なくされてきたが、今春からあらためて本格化させた。

零戦は戦争を象徴するものという見方もある。石塚さんは「戦争を記録する歴史的遺産でもあるはず。平和を訴えることにもつなげたい。かつて日本が誇った航空技術を保存するためにも、なんとか飛べる零戦を里帰りさせたい」と話す。

■ ふくらむ期待「技術者育成につながる」

零戦の帰国を期待する声は多い。

所沢航空発祥記念館の学芸員、近藤亮さんは「力の小さなエンジンしかない中、機体を軽くし、性能を頂点まで高めた。限られた条件のなかで高い技術を詰め込むという、日本の伝統工芸のひとつと言える」と語る。

航空ファン編集長の三井一郎さんは「日本が世界に誇った飛行機が、本来の姿と動きで空を飛ぶのを見ることは、将来の優秀な技術者やパイロットの育成につながっていくのではないか」と話す。

零戦を設計・製造した三菱重工業は、子会社の三菱航空機が国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」の開発を進めている。

愛知県豊山町にある三菱重工の史料室に20年以上在籍する岡野允俊さん(84)によると、MRJの開発者も時おり史料室を訪れ、展示されている零戦を細かく眺めているという。

「『ここはこうやったのか、うまいことやったなあ』とか、ブツブツ言いながら見てますよ」と岡野さん。「かつてのものづくりの誇りが、いまにつながってくれるといいですね」

MRJの開発が進むのは、戦前に建てられた名古屋市港区のビル。70年以上前、ここで零戦の開発が行われた。

☛ 〈零戦〉 正式名称は零式艦上戦闘機。旧日本海軍の依頼を受け、1930年代後半に三菱重工業が開発。終戦までに同社と中島飛行機が約1万機を製造した。機体が軽く、上昇力や空中での機敏性に優れていたとされる。開発の段階によって21型、22型、52型などがある。飛行できない復元機体は、国内で約10機が保存・展示されている。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201303280092.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201303280092

☛ (朝日電子版・「零戦」フォトギャラリーはこちら http://www.asahi.com/national/gallery/2013zerosen/

☛ Wikipedia 「零式艦上戦闘機」(れいしきかんじょうせんとうき、大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機。 零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)の略称で呼ばれる。零戦は米陸軍のP-51マスタング、独空軍のメッサーシュミットBf109、英空軍のスピットファイアなどとともに、第二次世界大戦期の代表的な名戦闘機として知られている。)

☛ Wikipedia 「堀越二郎」(ほりこし じろう、1903年6月22日-1982年1月11日)、群馬県藤岡市出身、東京帝国大学工学部航空学科を首席で卒業。日本の天才的航空技術者。 零式艦上戦闘機の設計主任。 七試艦上戦闘機、九試単座戦闘機、九六式艦上戦闘機、零式艦上戦闘機、雷電、烈風など数々の名戦闘機の設計を手掛けた、また戦後はYS-11の設計に参加した。 宮崎駿の漫画「『風立ちぬ』(かぜたちぬ)の主人公のモデル。)

<零戦を祖国の空に>の動画――「帰国させたい」 日本人所有の零戦

関連ブログ投稿記事

■ 「ゼロ戦」展示期間延長、8月末まで(所沢航空発祥記念館)!まだ見てない人、この機会を逃さないように… (投稿日:2013/03/24)

■ 「<零戦、日本への里帰り>ついに実現!9月4日横浜港到着、祖国の空を飛ぶのは2015年か…」(投稿日: 2014/09/03)

ネットをよく調べてみると「零戦里帰りプロジェクト」というものがあった。 朝日の記事に出てくる石塚政秀さんによるプロジェクトだ。 これに関する記事をクリップして掲載――

■ 日本人が零戦のオーナーに、そして里帰りを目指す (航空ファン 2012-09-19 16:11:58)

9月19日午前、都内のホテルで零戦ファン大喜びの記者説明会がありました。 8月号P.16掲載のプレーンズ・オブ・フェイム航空ショーの本誌記事で一部既報のとおり、アメリカとロシアで修復・再製され、現在はアメリカで飛ぶ零戦22型(N553TT)がニュージーランド・クライストチャーチ在住の日本人実業家、石塚政秀氏がCEOを務める米デラウェア州のゼロ・エンタープライズINC.の所有であることが正式に発表され、合わせて来年4月以降に同機を日本に里帰りさせ各地で飛行させようというプロジェクト、「零 Reset」(仮称)構想の概要が発表されたのです。

日本人が零戦のオーナーに、そして里帰りを目指す1石塚氏によれば、里帰り計画は2008年春にスタートしたものの諸般の事情から一時中断、
しかし2010年春、機体の入手に合わせて同機を管理するゼロ・エンタープライズINC.を設立、その後はプロジェクトの実現に向けて関係者などへの働きかけを行ないつつついに今日、正式発表の日を迎えたのだそうです。

今後は日本への輸送、組み立て、飛行、展示に関する各方面との交渉ごとを本格化させ、
2013年4月から翌14年3月までの間を目処にプロジェクトを実現させたい、とのことでした。

プロジェクトに要する莫大な費用や、Nナンバーの大戦機を日本で飛ばす困難さなど、実現までの道のりは遠く厳しかろうと思いますが、こうした「飛行機野郎」の夢を『航空ファン』は応援していこうと思います。詳しくは、次号で!

日本人が零戦のオーナーに、そして里帰りを目指す2http://blog.goo.ne.jp/koku-fan/e/76b05f699623f70464512e96fac91a52

零戦里帰りプロジェクト2012年9月20日
株式会社AGENCY ONE

当社が広報事務局となり、2012年9月19日に以下の内容で記者説明会を開催いたしました。
—————————————————————————————————————————–
ゼロエンタープライズ、米国で所有する零式艦上戦闘機(零戦)のご紹介
ならびに里帰りプロジェクト「零Reset」(仮称)構想について 世界に4機とされる飛行可能且つ、レストア(修復)された零式艦上戦闘機の里帰りプロジェクトで日本を元気に!
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当社は、同時に当日発表いたしました
「零Reset」構想の日本事務局として窓口を担当することになりました。
各お問合せ先については次の通りです。
取材希望やプロジェクト詳細についてご関心のある方はお問合せください。

●報道関係者お問合せ先
担当:荒木、田端、TEL.080-5443-1922、090-4189-5378 (田端)、e-mail: press@agency1.co.jp

●その他企業・団体・個人からのお問合せ先
担当:大久保、TEL. 080-3708-450、e-mail: h.okubo@agency1.co.jp

http://agency1.co.jp/zerosen.html


<零戦よ、祖国の空に戻ってこ~い>
石塚政秀さん、がんばって~!
桜吹雪

検証・尖閣国有化(2) 首相官邸の静かな工作|当時の野田首相、藤村官房長官、長浜官房副長官、長島首相補佐官らは何を話し合っていたのか…

首相官邸の静かな工作  検証・尖閣国有化(2)
(日経「コンフィデンシャル」 2013/3/26)

■ 隠密会議

2012年5月18日、首相官邸――。首相の野田佳彦は内閣総理大臣執務室に藤村修官房長官のほか、長浜博行官房副長官、長島昭久首相補佐官、佐々江賢一郎外務次官、河相周夫官房副長官補らを密かに招集した。このうちの何人かは官邸の「裏口」から入り、首相動向を調べるメディアの目からも見えない隠密行動を取っていた。

この席上、野田は会議参加者に向かって、尖閣諸島の国有化に向けて具体的な行動に移るよう、指示を下している。その瞬間、「チーム野田」の中では最も先鋭的な「尖閣国有化論者」というレッテルを貼られていたはずの長島はある種の驚きを持って野田の言葉を聞いていた。

長島から見て、国が尖閣を買い上げるということはつまり、中国と対峙することになるのはもちろんのこと、内政的にも「東京都が買う」と公言している都知事・石原慎太郎との「全面対決」を意味する。外交、内政上のリスクを全て飲み込み、かつ覚悟した上で、野田は大きな一歩を踏み出そうとしている、と長島は感じた。

検証・尖閣国有化(2) 首相官邸の静かな工作1 「よく、腹をくくったな」

野田の決意に対して内心、長島は思わず、そうつぶやいていた。その日の夜、興奮冷めやらぬ長島は日記帳にこう記している。

「揺るがぬ決断に感銘を受ける」――。

その野田の命を受け、長島は早速、石原に面会を申し入れている。だが、週の前半にはあまり外の人間との面会日程を入れないことで知られる石原と時間の調整がなかなかつかなかった。あれこれ、手を回した上で、ようやく取れた時間は6日後の5月24日だった。

「本当は週明け、月曜日にでも伝えたい気分なのだが……」

はやる気持ちを抑え込みながら単身、都庁に乗り込み、尖閣諸島を政府として所有する方針を伝えようとしていた長島に対して、石原はのっけから戦闘モードで開口一番、こう言い放った。

「国が邪魔をするのかっ」

表向き、長島は「横田基地の話をする」という名目で石原に面会を求めていた。しかし、石原は長島の顔を見るなり、いきなり、「尖閣」という言葉を口に出してきた。石原の腹を探るつもりだった長島はやむなく方針を転換し、正面突破を試みることにした。

都による尖閣購入を内外に宣言した石原にとって、いまさらのように立ちはだかる政府の動きは不愉快きわまりない。だが、その一方で、石原の気持ちのなかにも、本来なら国が買うべきだという筋論も行き交う。だから、思わず、長島を問いただした。

石原:「ところで、政府は尖閣をどうするつもりなんだ」

長島:「今、悩んでいます。(東京都の出方には)冷や冷やしています。ただ、個人的には国が買うべきだと思っています」

石原:「(間髪入れず)その通りだ。しかし、寄付が9億円も集まっている。善意が寄せられ、こっちも退くに退けねえよ。だからといって、俺に義理立てする必要はない。『(尖閣諸島を国が)かすめ取った』などとは言わないよ」

この時、長島は内心、「しめたっ」と思った。石原は何が何でも東京都が購入する、とまで言い張っていない。政府は粛々と物事を進めれば、案外、石原は簡単に降りるかもしれない……。

「(都知事の姿勢に)感銘しました。(野田に)確認して戻ってきますっ」

足早に首相官邸に戻った長島から報告を受けた野田は時をおかず、長浜に対して、地権者との交渉に入るように命じた。これ以降、6月になって野田政権の国有化モードはまず石原、次に対地権者、そして対中国という順番で一気に加速していくことになる。

■ 出口戦略

「国(政府)が買うのが筋だ。筋違いはわかっているが、寄付があるので今更、手を引けない」――。

石原と長島が会った1週間後の12年6月1日、東京都庁の都知事室でそう発言したのは石原慎太郎だった。眼前には野田の命を受け、対石原・東京都交渉を主導していた長島と、地権者・栗原國起との折衝を断続的に続けていた長浜が神妙な面持ちで石原の言葉を聞き逃すまいと身構えていた。

一連の長島とのやりとりの中で、石原が口にした「寄付」とは副知事の猪瀬直樹が発した言葉が契機となって、東京都に全国から寄せられていた尖閣購入のための「義援金」のことだった。後にこの寄付金の規模は総額で15億円近くにものぼることになる。

この席上、長島と長浜は尖閣諸島の国有化を視野に入れて、地権者との交渉を水面下で始めたことを伝えている。

「都が買って国に渡してもいい。(そういう段取りで)密約してもいい……」

長島の記憶によれば、この時、石原はこう漏らしている。同じ日の記者会見でも石原は「国に譲ってもいい」という趣旨の発言をしている。

こうした石原の発言を受け、野田は密かに長島に対して「都知事の真意を確認してくれ」と再度、命じている。長島の問い合わせに対して、石原側近の兵藤茂・特別秘書官は「あくまでも手続きが早い方が優先」という言い回しをした、と長島は振り返る。

この頃、東京都が尖閣諸島を購入する段取りとして想定されていたのは、まず12月の都議会にかけて承諾を得た上で、翌13年3月末にやってくる政府と地権者との賃貸借契約の期限切れを待って、実際の売買契約に至るというものである。

つまり、兵藤が言外に言わんとしていたのは「政府の手続きが早ければ、東京都による購入は論理的に難しい」という類の趣旨だ、と長島は解釈した。

その後、野田は長浜らを通じて、精力的に栗原の説得工作を続けていく。石原に地権者との交渉に入ったことを告げた12年6月1日から約1週間後の6月7日、長浜は栗原に対して、政府が尖閣諸島を購入することを決めたと伝え、最終的な意思確認作業に入っている。しかし、この時点で栗原はなお、「石原さんの顔を立ててほしい……」などと言を左右にしながら、政府にも明確な言質を与えてはいなかった。

「石原さんは『国には絶対に売らないよ』とかなりの自信を持っていたが、実際には地権者は揺れ始めていると思っていた」

その言葉通り、野田は長浜らから逐次、交渉経緯について報告を受けるなかで、栗原の対応に微妙な前向きの空気があることを見逃さなかった。地権者・栗原の胸の内を読みながら、首相官邸は慎重、かつ大胆に一歩ずつ、相手方の本陣へと迫ろうとしていた。

「とにかく、当時の認識としては地権者が『国には売らない』と言ったら、即、アウトという感じだった……」。当時の首相官邸内の切迫感を長島はそう話す。

ギリギリの心理戦にしのぎを削っていた野田の下に思わぬ援軍が朗報を持って飛び込んできたのは、ちょうどこの頃のことである。

「国が買う場合、地権者の『言い値』で買えます」

そう太鼓判を押したのは「久しぶりの大物官僚」といわれていた勝栄二郎・事務次官率いる財務省だった。水面下で野田が調べさせていた予算措置について、勝ら財務省幹部は6月28日、省内の事務方を通じて「尖閣購入には内閣予備費が使える」と報告していたのである。財務省にしてみれば、時の内閣の要請に応じて出動できる類の予算という位置付けではあったが、石原や栗原との交渉などで駆け引きを展開していた野田をはじめとする官邸のチームにとって、この報告が「頼もしい援軍」となったことは間違いない。

■ 静かなアプローチ

長島と長浜が石原に対して、「地権者との交渉を始めた」と告げてから4日後の6月5日、野田は首相官邸で藤村と長島だけを呼び寄せ、尖閣国有化に向けた自らの考えを再び開陳した後、ある指示を下している。

検証・尖閣国有化(2) 首相官邸の静かな工作2 「中国との関係についてシミュレートしてほしい」

この指示を受け、まず長島は自ら東京の中国大使館の幹部らを会食に誘い出し、中国側の腹の内を探る作業を独自に始めている。同時に、後に防衛大学校の学長になる慶応大学の国分良成教授ら日本選りすぐりの中国研究者や、安全保障問題の専門家らとも水面下で精力的にコンタクトを取りながら、尖閣諸島を日本政府が購入した場合に想定し得る様々な事態、シナリオについて意見を聞くなど「頭の整理」を続けた。

その結果、長島らが中国側の「本音」として引き出した感触は「とにかく、東京都にいいようにされるのだけは絶対に困る」というものだった。北京の日本大使館員らを動員して玄葉光一郎外相らが極秘裏に外交ルートで探りを入れた結果、上がってきた情報も基本的に長島が収集したものと同じラインだった。

同じ頃、野田政権の尖閣国有化計画を知る、数少ないキーパーソンの一人、佐々江が山梨県・山中湖畔のホテルで向き合っていたのは中国外務省のトップ、張志軍次官だった。

日中両国が定期的に開催する「日中戦略対話」の席上、両次官は北朝鮮による核・ミサイル問題での連携を確認したほか、10年夏に尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件を踏まえ、海上紛争の防止策などを議論している。

さらに東京・外務省で張志軍は玄葉光一郎外相とも面会している。この時、「時折、生じる問題についてはお互いが冷静に対処していくことが大事だ」と伝えた玄葉に対して、張志軍は「突っ込んだ意見交換ができた」と意味深な言葉で応じている。

実は、張志軍がこの時に指摘した「突っ込んだ意見交換」の対象こそ、日中双方の外交当局が日中戦略対話の非公式な「延長戦」として激論を交わした東京都による尖閣購入問題だった。

複数の日中外交筋によると、山中湖畔のホテルで晩さん会を終え、日中双方が数人でプライベートな雰囲気に任せてアルコールを口にする場になった時、いつしか激論が始まっていた。

アルコールの勢いも手伝ってか、尖閣購入について日中関係の「基盤」を損なうことは阻止すべきである、と強い口調で日本側を牽制(けんせい)した張志軍に対して、佐々江や同席した外務省幹部らも「石原都知事が尖閣を購入し、(船だまりの建設など)勝手なことをやるのと、日本政府が国有化に踏み切り、『平穏かつ安定的な維持・管理』に努めるのと、どちらが大局的に望ましいと思うのか」などと真っ向から反論している。その上で、日本側は中国側に尖閣国有化の可能性を示唆し、これに理解を求めたという。

張志軍外務次官―戴秉国国務委員というオーソドックスな外交ルートはもちろん、国交正常化40周年に向けた日中関係の「深奥」にあるパイプ、人脈まで日本側は動員した。もてる、すべての「ルート」を通じて、日本側は懸命に「国有化」が現状の「変更」ではなく、「維持」につながる、と説いた。そして、それが「将来世代に解決を託す」という、トウ小平以来の日中間の「暗黙の了解」を堅持する唯一の道なのだ、と中国の権力中枢に密かに伝えようとしていた。それを日本の外交当局は「静かなアプローチ」と命名した。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1601V_W3A310C1000000/

((3)に続く…)

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野田政権の尖閣国有化をめぐる動き