検証・尖閣国有化(4) 最終決断、裏目に出た首相特使|総理特使の山口壮・外務副大臣、玄葉外相、岡田克也・副総理…落球を得意とするバックを背に野田首相は失投

最終決断、裏目に出た首相特使  検証・尖閣国有化(4)
(日経「コンフィンデンシャル 2013/3/28 7:00)

■ 立ち話サミット

ロシア語で「東方を支配せよ」という意味を持ち、冷戦時代は旧ソ連が極東地域における唯一の不凍港として、太平洋艦隊の拠点を置いた極東の地、ウラジオストク――。

2012年9月9日午前、この地を訪れた野田佳彦首相は、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の全体会合が始まる直前、出入り口に胡錦濤・中国国家主席の姿をみつけると、立ち話をしていた相手に断りを入れ、さりげなく胡錦濤に近づいて行った。

「震災、大変でしたね……」

この2日前、中国・雲南省で地震が発生し、大きな被害が出ていたことを踏まえ、野田は「一言もお見舞いも申しあげないのは、人道的におかしい」と判断し、自ら胡錦濤にこう言葉をかけた。

その野田に対して、胡錦濤は「すべて不法で無効だ。断固反対する。日本は事態の厳しさを十分認識して誤った決定をせず、関係を発展させる大局を維持すべきだ」。一気に捲し立てた。

その時の胡錦濤の様子を「とにかく、いきなりだった」と振り返る野田の言葉通り、胡錦濤は相当なけんまくで、尖閣諸島の国有化に反対を唱えた。それだけでは気が済まなかったのか、胡錦濤は「日中関係は緊迫している」とまで言い放ち、野田に再考を迫っている。結局、双方の言語を英語に変換する通訳係だけ伴った「非公式会談」は野田、胡錦濤の両首脳が立ち通したまま、わずか15分で終わった。

検証・尖閣国有化(4) 裏目に出た首相特使1>>  そして10日午後、政府は尖閣諸島への対応について関係閣僚会議を首相官邸で開催し、これを国有化する方針を正式に確認した。地権者・栗原國起との合意を踏まえ、02年度から毎年、年間2450万円で賃借契約を結んでいた魚釣島、北小島、南小島の三島を総額20億5000万円で買い取るのが骨子だった。途中、石原が「合わせて買う」と公言していた久場島については、三島の地権者である栗原國起の実妹が売却に応じなかったため、防衛省が賃借契約を継続する方向で決着させることにしていた。

7月初旬に野田自身が「所有者と連絡をとり、総合的に検討していく」と表明してから、ちょうど2カ月でのスピード決着に至った際の心理状況について、野田は語気を強めて、こう振り返る。

「地権者も(国に売るかどうかで)迷っていたので、『ここは一気に行くしかない』と思っていた」

ウラジオストクでの野田・胡錦濤会談から10日ほど前の2012年8月31日、外務副大臣の山口壮は中国・北京にいた。この時、野田、そして玄葉光一郎外相らの了解を得て、事実上の「総理特使」として中国を訪問した山口は「ナンバー2」のポストにもかかわらず、中国外交の総責任者、戴秉国・国務委員(外交担当、副首相級)との会談にまで漕ぎ着けていた。

■ 「いかなる変更も認めない」

席上、山口は野田から託された親書の中身に沿って、日中ハイレベル会談の重要性を戴秉国に説き、ウラジオストクで開かれるAPEC首脳会議でも野田と胡錦濤による日中首脳会談など頻繁な首脳間交流を行うよう呼びかけた。会談後、山口は自ら、記者団にそう説明しつつ、数時間にも及んだ戴秉国との会談内容については「全ての分野にわたって話をした」と述べるにとどめている。

「今日は胡錦濤主席とも相談した上で、あなたにお会いしている。大きな関連で日中関係のことなどを話しましょう」

席上、そう切り出した戴秉国の口調を見て、かつて在北京日本大使館にも勤務した経験を持つ山口は「その前の晩(30日)の傅瑩・外務次官とのやりとりを全部、踏まえてきたな」と感じた。その後、戴秉国は尖閣国有化に関して、山口に一つの明確なメッセージを伝えていた。

いかなることでも、日本による現状の変更は認められない。それが東京都であろうが、政府であろうが、それは関係ない――。

「きちんと対応しないといけない、と何度も進言したつもりだ……」。訪中時に戴秉国から受け取ったメッセージを背景にして、山口は野田や玄葉らに舞台裏でぎりぎりの説得工作を続けた。

最低でもウラジオストクでの野田・胡錦濤会談を踏まえ、閣議決定の時期は遅らせるべきだ、というのが当時の山口の趣旨だった。しかし、この時、すでに野田は尖閣国有化について腹を固め、その決意はもはや微動だにするものではなかった。

北京での山口・戴秉国会談については、その後、日本国内で様々な波紋や、憶測を呼ぶことになる。そのうちの一つは、ウラジオストクでの立ち話サミットを実現させたにもかかわらず、その直後に野田が尖閣国有化を閣議決定したことを中国側が問題視し、中国・胡錦濤の「面子」を潰したという説である。

「中国側は面目をつぶされた」

12年9月27日、日中国交正常化40周年に合わせて北京を訪問した河野洋平・前衆院議長(日本国際貿易促進協会長)、加藤紘一・自民党元幹事長(日中友好協会長)、高村正彦元外相(現・自民党副総裁、日中友好議員連盟会長)ら日本政界の知中派に対して、こう言い放ったのは中国切っての知日派とされる唐家セン・前国務委員(副首相級)だった。

■ 「日本のミスリード」説

唐家センが河野らを相手に開陳した「面子論」は、同じ儒教文化を背景に持つ日本でも「わかりやすい話」として瞬く間に広がった。さらに、その「面子論」の後を追いかけるように、日本の政界ではある「怪情報」が駆け巡った。いわく、野田や玄葉らに「(閣議決定には)間を置いたほうがいい」などと進言し、決定延期を目指してギリギリまで政府内で奔走していた山口が戴秉国らとの会談で、中国側を「ミスリード」、あるいは「ダブルトーク」をしたというものだった。この説を山口自身は「政府の応答要領を外したことはない」と全面否定するが、この噂が一人歩きすることは止められなかった。

国有化のプロセスが大詰めを迎えた段階で、それまで極秘チームに加えていなかった山口に急きょ、自らの親書を持たせ、中国に派遣した理由について、野田は「まず、中国には丁寧に説明しないといけないと思った」と説明する。その上で、敢えて山口にその大任を命じた背景について、野田は「(尖閣国有化の)規定路線の範囲で、中国に伝えるという任には外務副大臣が最適だと考えた」と言う。

そんな日本側の裏事情を知る由もない胡錦濤がウラジオストクで「日本側は事態の重大性を十分に認識すべきで、中日関係発展の大局を守るべきだ」と野田に迫ったように、尖閣国有化後の中国は対日姿勢を急速に硬化させていった。

加速度的に激しさを増す中国側の反応について、日本政府内部では「想定していたものよりも厳しい」という声も漏れていた。その背景としては、山口が心中に秘めていた問題意識が戴秉国らに伝播した結果、中国側にほのかな期待を抱かせることになり、その反動となって中国が一層、反発しているのではないか、と解釈する空気もあった。

だが、中国が「だまされた」といわんばかりの態度を取っていること自体が実は、中国による「やらせ」である可能性もある。というのも、複数の日本政府関係者によれば、実は野田政権による閣議決定直前の9月上旬、張志軍・中国外務次官が極秘で東京を訪れ、佐々江賢一郎外務次官ら日本の外交当局が「近いうちに閣議決定する」と伝えていたからである。

「在外公館の視察」(日本政府関係者)という名目で東京にある中国大使館を訪問した張志軍に対して、日本の外交当局が「閣議決定が近々あり、それを延ばすことは不可」という情報を入れていたとすれば、唐家センら中国側が唱える「日本の譲歩を信じ、トップ会談で詰め寄った胡錦濤の面子が丸つぶれになった」という説は根底から揺らぐ。同様に、山口が戴秉国らをミスリードしていたとする見方の信憑性も薄れることになる。

8月19日の石原との会談で「船溜まりは絶対に認められない」と主張した野田は一方で、この会談後、尖閣諸島の国有化に伴って何らかの構造物を国の責任において設けることを真剣に検討するようになっていた。この点について、野田自身は「詳しいことは言えない」と断った上で「レベル1からレベル10までの選択肢があったとして」という仮定を前提に「船だまりをレベル10とすると、自らが考えていたものはレベル1程度のものだった」と説明している。

検証・尖閣国有化(4) 裏目に出た首相特使2藤村ら当時の日本政府関係者によると、野田が最後まで拘ったのは魚釣島にある灯台の光源を発光ダイオード(LED)に切り替えるなど、何らかの形で利活用することだった。

■ 石原の思い「何となくわかる」

「自分は『穏健な保守』だと思っているが、石原さんは『反米』まで唱える。これは違うと思う」

首相公邸での濃密な対話の中で、野田が感じ取った自らと石原の違いは知らず知らずのうちに、野田の背中を尖閣諸島の国有化へと押していったことは間違いない。

その一方で、「最後の力道山世代」を自任する野田は、戦中派の旗手・石原が「国士」として腹に抱え続けてきた領土、主権、そして日本という国家に対する深い思いについても「何となくわかる」と述べ、これに理解も示そうとした。戦前・戦中派と戦後派の「中間」に位置しているという野田独自の心情、言い換えれば「愛国主義」が、後に国有化を巡るギリギリの判断を下す最後の局面で大きな影響を与え、灯台のLED化に拘らせた側面は否めない。

実効支配の一段の強化を迫る石原の攻勢を横目で睨みつつ、野田が腹を固めようとしていた8月末、外交当局も猛烈な巻き返しに転じようとしていた。その先頭に立っていたのはもちろん、外相の玄葉である。

「そう、簡単ではなかった。(説得工作は)一度では済まなかった……」

当時の首相官邸内での緊迫したやりとりについて、そう振り返る玄葉は野田に対して、何度か「これ(国有化)以上、利活用をやったら、『想定外』になる」と詰め寄っている。それでもかなわないと見た玄葉は副総理で元外相の岡田克也とともに2人がかりで野田を説得し、陥落させた。尖閣諸島について、「国有化・構造物なし」の原則が決まった瞬間だった。

■ 最後の晩餐

「何とか政府で買い上げるところまで来たのですが、現状では、これ以上踏み込むことは不可能です。力不足で申し訳ありません」

12年9月4日、首相補佐官の長島昭久は東京・田園調布にある石原の自宅でこう報告し、頭を下げた。尖閣を国有化するが、石原が求め続けていた「船だまり」などの港湾施設建造は見送る、という意味だった。その様を見て石原はこう言い放った。

検証・尖閣国有化(4) 裏目に出た首相特使3「さっさと契約して、発表すればいいだろう。外務省にやられたな、お前ら。だらしないなっ」

そう長島に憤まんをぶつけながら、石原は「(元地権者の)栗原にだまされた。裏切られた」と何度もつぶやいた上で、長島の背中にこう声をかけた。

「国がしっかりとやって、15億円もちゃんと使ってくれ」――。

その3日後の9月7日午後7時過ぎ、石原は東京・麻布にあるアメリカン・クラブで地権者・栗原國起と最後の晩餐に臨んでいる。証人として立ち会ったのは自民党幹事長で長男の伸晃、そして栗原との仲介役を務める参議院議員の山東昭子の2人である。

「僕も気が短いから、はっきり言ってもらいたい」

同席した山東によると、こう切り出した石原に対して、栗原はテーブルに向かって頭を下げながら、「済みません、国に売ることに決めました」と絞り出した。

年が明けて2013年元旦、皇居での式典に出席していた山東と久しぶりに顔を会わせた石原は、さばさばとした表情で「あれ(尖閣国有化)がなかったら、東京都(都知事)に残らなければならなかったから、俺も踏ん切りがついた」と語っている。この時、石原は同時にこうも話していたという。

「(尖閣購入が)流れてしまったから、東京都に残る意味もなくなった。(それが)こっち(日本維新の会)に来る、きっかけになったのかなぁ……」

=終わり

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野田政権の尖閣国有化をめぐる動き

追記、日経BP 2013-3-27 日経BPコラム―田原総一朗の政財界「ここだけの話」の3月27日で田原氏は野田首相の特使・山口元外務副大臣に直接聞いた話としてこのようなコラム記事を掲載している――

山口元外務副大臣に直接聞いた「尖閣国有化」の経緯
(田原総一朗の政財界「ここだけの話」 2013年03月27日)

私は以前、本コラムで「尖閣諸島の国有化の前に、外務副大臣が中国の戴秉国(たい・へいこく)国務委員に2度会っていた」という内容の記事を書いた。これに対して、信頼する人物から間違いだという指摘を受けた。

記事中では実名を書かなかったが、外務副大臣とは民主党の山口壯衆議院議員のことである。山口氏に確認しないまま記事を書いたことも含め、率直におわびしたい。

胡錦濤主席が激怒したわずか2日後、国有化を発表
私は尖閣諸島国有化をめぐる経緯について、以前から疑問を持っていた。実際に何が起きていたのか詳しく知りたいと考え、山口氏に直接会って話を聞いた。

まず、ことの発端を整理しておきたい。2012年4月17日(日本時間)、石原慎太郎東京都知事(当時)が米国ワシントンDCで講演し、東京都が尖閣諸島を購入すると発言した。

その後、8月19日に野田佳彦首相(当時)は石原氏と極秘に会った。この会談で、東京都が尖閣諸島を購入するのではなく、日本政府によって国有化する方針が決まったとされる。

野田首相は9月9日、ロシア・ウラジオストクで行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の前に、胡錦濤国家主席と立ち話をしている。このとき、胡錦濤主席は「断固反対」と怒りをあらわにしたとされる。

そのわずか2日後の11日、日本政府は国有化を閣議決定し、発表した。

中国側に返事もせず、「もう決まったことだから」と野田首相
しかし、こうした経緯は考えてみれば不自然である。私は山口氏に会って事情を聞くと、山口氏は戴秉国氏に2度会ったことは明確に否定したうえで、重要な証言を語った。

山口氏は首相特使として8月31日に中国へ行き、尖閣諸島の問題について中国外交部のトップである戴秉国氏と会談した。山口氏は日本側の方針として、「尖閣の平穏かつ安定的な維持」をするための国有化方針を伝えた。これに対して、戴秉国氏はあくまでも原則論を述べたという。

ただし、戴秉国氏はこのとき新しい提案をしたという。原則論を踏まえつつ将来に向けた工夫もあるという内容だったようだ。

山口氏は帰国してすぐにそのことを自分から玄葉光一郎外相(当時)はもちろん、野田首相および藤村修官房長官(当時)に報告したという。外交上の常識として、まず戴秉国氏に返事をしなければならないことも伝えたのである。

山口氏は国有化そのものに反対する立場ではない。しかし、野田首相と玄葉外相に、中国側に返事をすること等を含め、中国側とやり取りするためにもう少し時間が欲しいとして、国有化の閣議決定を延期することを懸命に訴えたという。ウラジオストクで野田首相と胡錦濤主席が立ち話をしたわずか2日後に閣議決定とは、あまりにもタイミングが悪すぎるという判断も山口氏にはあったからだ。

ところが、野田首相は「もう決まったことだから」と言い、中国側に返事も出さないまま国有化を決定し、発表してしまった。これでは山口氏の立ち場もまったくない。山口氏は10月の内閣改造で外務省を去っている。

この経緯について山口氏は相当憤りを感じているようだ。山口氏の説明を聞いて、閣議決定の経緯に関する私の疑問は解けた。当時の官邸が状況を的確に判断できなかったことは、きわめて残念なことである。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20130327/345380/?rt=nocnt

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