<東日本大震災2年> 忘れ得ぬ人々…

あの大震災から早や二年、復興は遅々として進まず。 されど、鎮魂の鐘を再び鳴らす時がやってきた、忘れ得ぬ人々への冥福を祈るが故に。 幾年過ぎようとも忘れてはならぬ、あの震災、命を奪われた人々、からくも助かりあの日以前のくらしに戻れぬ人々。

新聞記事を読んで涙がこぼれた…津波で亡くなった姉の制服を着て高校に通学した少女、今なお姉の制服のリボンだけは身に着けて通学する。 震災のために3月で閉校する中学、最後の卒業生は14人…卒業式と閉校式を同日に行い、亡くなった生徒へも卒業証書を出し名を読み上げて卒業式を行った。 会えぬ君に伝えたい――

17歳・あの日の制服… お姉ちゃんといっしょ 岩手
(朝日 2013年03月09日21時54分)

震災2年_姉のリボン「お姉ちゃんと一緒に高校に通っている気がします」。岩手県立高田高校2年生の遠藤紗来(さら)さん(17)は、東日本大震災で亡くなった姉の愛実(あみ)さん(当時17)が津波に巻き込まれた時につけていた制服のリボンをつけて、大船渡市の仮校舎に通っている。

2年前の3月11日、現在の紗来さんと同じ高田高校生だった愛実さんは、陸前高田市の海沿いにある室内プールで水泳部の練習中、地震にあった。「今から避難する」と母親にメールし、指定避難場所の市民会館に誘導され避難するが、津波は浜から約1キロ離れた会館をものみこんだ。数日後、愛実さんの遺体は、会館の3階で見つかった。

2カ月後の高田高校の入学式。妹の紗来さんは、津波に襲われたときに愛実さんが着ていた制服を着て、校門をくぐった。震災から間もなく、新しい制服はなかった。私服で通学する生徒もいるなか、「自分はまだ恵まれている」と迷わず袖を通した。

制服の支給後も、紗来さんはリボンだけは愛実さんのものを使っている。二つ年上の姉をいつもライバル視していた。中学では同じ卓球部、高校でも水泳部に入った。そして来月、愛実さんが進めなかった3年生となる。「残り1年の高校生活、お姉ちゃんの分も、がんばります」。 リボンに誓った。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201303090180.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201303090180

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【関連記事】 陸前高田市・高田高水泳部/大会目指し日々練習 (河北新報 2012年02月12日)
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震災2年_最後の卒業式最後の卒業生は14人 亡くなった生徒の名前に全員で返事 震災受け閉校の宮城・大川中
(産経 2013.3.9 19:52)

東日本大震災で被害を受けた宮城県石巻市で9日、市立大川中学校の3月末閉校を前に卒業式と閉校式があり、生徒は伝統の応援歌で別れを惜しんだ。

児童や教職員計84人が死亡、行方不明となった大川小の進学先の大川中では生徒2人が亡くなり、1人が行方不明に。新入生も減少し、市立河北中と統合して66年の歴史を終える。

最後の卒業生は14人。亡くなった生徒の名前が読み上げられると全員返事し、同級生代表が代わりに卒業証書を受け取った。

閉校式では卒業生を含む全生徒20人が応援歌を披露。いつの間にか歌われなくなっていたもので保護者らが復活を提案。「今こそ行かん堂々と」と歌う生徒の姿に会場からすすり泣きが漏れた。

生徒会長の佐藤優太君(15)は「寂しいが、心の中には死ぬまであり続ける」と涙を流した。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/130309/dst13030919570011-p3.htm

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生徒達の胸に飾られているコサージュは、13年間同校に勤務した用務員高橋修一さん(60)とその奥さんがこの日のために作ったものだという。 (河北新報記事より

春がそこまでやってきている。 しかし、被災地の、被災者の、本当の春は未だ見えぬ…