<急速に中華街化する東京・池袋|不良中国人増加、治安悪化>7月6日には発砲事件が発生し、50代の女性が死亡した池袋。発砲したのは中国籍の男。その池袋で、先月6月24日には脱法ハーブを吸った男が車を暴走させ8人が死傷した事件があった。男が脱法ハーブを入手したのは池袋駅北口近くにあるいわく付きの“中国人ビル”のハーブ店。また、死亡したのは中国人女性。
池袋は急速に中華街化している、しかし、横浜中華街や神戸南京町のような伝統的中華街ではないし、ハッキリと中華街を形成している訳ではない。池袋は新華 僑の店が点在して中華街化している。池袋駅周辺全体ではその数は300とも400とも言われる(下のマップ参照)。豊島区に住む中国人の数は約1万 2000人いるという、それが問題なわけではない、問題なのは「不良中国人」や中国マフィア系中国人が増え、治安が悪化し事件の温床となっていることだ。
以下は、急速に中華街化する池袋で多発する事件を報じた7月12日のZakzakの記事――
池袋“不良中国人”の実態 発砲、脱法ハーブ…事件続発の元凶
(Zakzak 2014.07.12)
横浜、神戸とまではいかないが、急速に中華街化する東京・池袋で物騒な事件が立て続けに起きた。6日には発砲事件が発生し、50代の女性が死亡。先月下旬には脱法ハーブを吸った男が車を暴走させ8人が死傷した。暴力事件は日常茶飯事で、警視庁関係者は「不良中国人の増加が治安悪化の背景にある」と指摘する。
夜のネオン街に突如、銃声が響いた。6日午後10時40分ごろ、豊島区池袋2丁目にあるホテル内の喫茶店で、中国人女性(51)が拳銃で射殺された。警視庁組織犯罪対策2課によると、撃ったのは女性の夫で*中国籍の職業不詳の男(54)。夫婦ゲンカの延長での惨劇とみられ、殺人未遂の疑いで現行犯逮捕された。 (*産経新聞によると「曹剣平(そうけんへい)容疑者(54)、中国籍、板橋区大谷口上町」。)
現場は「サクラホテル」のカフェテラスで、JR池袋駅から歩いて4分、西口商店街を抜けた雑居ビルの一角にある。
飲食店関係者は「24時間営業で外国人旅行者に人気があり、付近で商売する中国人がよく出入りしている。10人以上いた客に被害が及ばなかったのが不幸中の幸い」と振り返った。
男の知人によると、男は中国東北部出身で、中国人専門の引っ越し業や内装工などで生活。警視庁が自宅を家宅捜索したところ、覚醒剤とみられる結晶が押収されたが、知人は「マフィアではない」と証言する。
では、なぜ拳銃を持ち歩いていたのか。
在日中国人事情に詳しい貿易関係者は「彼らのコミュニティーの中では、拳銃は簡単に買える。ロシア製のトカレフやマカロフなら粗悪品で5万円ぐらい。殺傷能力のあるものだと50万円ほどが相場だ」。簡単に手に入りやすいことや、銃に対する順法意識が低いことも背景にあるようだ。
池袋では先月24日にも事件が起きた。JR池袋駅西口前で、脱法ハーブを吸引した日本人の男(37)が車を暴走させ、中国人の女性1人が死亡したほか、7人が負傷した。
男が脱法ハーブを入手したのは、同駅北口近くにある、いわく付きの“中国人ビル”だった。
関係者によると、このビルは、闇金融の業者らが集まる「闇金ビル」として知られていたが、貸金業法の改正が成立した後の2007年以降、撤退や摘発が相次ぎ、中国系マフィアなどが出入りするようになった。
「空き室に中国人が続々と入居し、風俗エステ店や美容院、闇金業者、無許可クリニック、脱法ハーブ店などがひしめく“中国人ビル”になった。多くは東北部出身の大連マフィアやその関係者で、警察やヤクザも近づかない無法地帯、香港の『九龍城砦』のような状態になっている」(先の貿易関係者)
こうした不良中国人がのさばりだしたのは池袋の家賃相場が他の繁華街と比べて安いことに加え、11年10月に全国施行した暴力団排除条例も無関係ではない。
暴力団が表立って活動できなくなるのを横目に、中国系マフィアがわがもの顔で闊歩し、「ヤクザに代わって飲食店などから、みかじめ料を徴収して回る者が出るようになった」と捜査関係者。
取り立てのやり口は横暴そのもので、駅西口周辺でエステ店を経営する中国人女性(39)は、「みかじめ料の支払いを無視したり、値切ったりするとひどい仕返しをする。店に押し入って店内をめちゃくちゃに破壊したり、身柄をさらったり。平気で人も殺すから、みんな『ヤクザよりたちが悪い』と言っているよ」と声を潜める。
この女性によると、「最近も駅周辺に事務所を構えていた中国系の広告代理店の社長が行方不明になった」という。
不良中国人のさらなる増加で池袋全体が無法地帯…となっては困る。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140712/dms1407121529007-n1.htm
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しかし、なぜ池袋が中華街化したのか? 日経ビジネス2012年6月13日のコラム記事に「池袋北口に広がる“本当の中国” ― 新華僑がニューチャイナタウンを展開」というを発見した。 これを読んだら中華街化の背景と新華僑の現状が見えきた――
池袋北口に広がる“本当の中国”
新華僑がニューチャイナタウンを展開
(2012年6月13日 藤巻秀樹)
横浜中華街や神戸南京町は華やかな非日常のチャイナタウンだ。飾り気のない「日常の中国」に出会いたければ、池袋北口に行けばいい。ここには1980年代以降に来日した新華僑の経営する店が約200店舗もある。西口なども加えた池袋駅周辺全体ではその数は300とも400とも言われる。中華料理店だけでなく、食材・雑貨店、旅行代理店、不動産仲介店、美容院、保育園、自動車学校、インターネットカフェなど様々な種類の店や施設がある。池袋の中華街は中国人の日常生活を支える街である。
駅の地下街から階段を上り、北口に出ると、中国語のフリーペーパーを配るおばさんがいた。横には携帯電話を耳に当て大声で中国語をしゃべるビジネスマン風の男。目の前には池袋の中国人に食材を提供する食品店のビルが立つ。「陽光城」と書かれた赤い看板が日射しを浴びて輝いていた。
ここには中華街の入り口を示す楼門もなければ、関帝廟もない。それどころか、ずらりと中華料理店が並ぶような通りもなく、パラパラと店が点在する感じだ。ただ、一たびビルの中に入ると、印象が一変する。池袋北口には中国人経営者が店舗やオフィスを構える雑居ビルが数多くあり、内部は中国一色なのだ。
駅前には中国の書店と食品スーパーが入るビルがあり、中では中国語しか聞こえない。北口にそびえるホテルのすぐ近くの12階建てビルには新華僑の経営とみられる中国系の店舗、オフィスがずらりと入居していた。貿易、旅行、国際通信、翻訳・通訳、物販、IT(情報技術)、新聞、出版など業種は様々。一見目に付きにくいところで、池袋のチャイナタウン化が確実に進んでいるのである。
中華料理店の味は、横浜中華街とは違い、日本人の好みに合わせた味ではない。中国人に聞くと、現在の中国の料理をそのまま再現した本場の味だという。地域的には東北地方(旧満州)の料理が多い。最近、日本に来るのは同地方の出身者が多いからだ。蚕の唐揚げや犬肉料理を出す店もある。
■ 新華僑が日本に来るのはなぜか?
池袋を中心に豊島区に住む中国人の数は約1万2000人。昼間、仕事で池袋を訪れる人の数も入れると、約3万人。その大半が留学生として来日、日本に住み着いたニューカマーだ。彼らは戦前から日本にいた中国人(老華僑)と区別するため、新華僑と呼ばれる。
池袋駅西口で出版業を営む日本僑報社の段躍中編集長(54歳)もそうした新華僑の一人。同社は日中関係の書籍を扱っている。「1980年代に改革・開放政策が進展して、海外への私費渡航が事実上解禁された。このため、外国に行く人が増えた」と話す。段さんは1991年に来日、日本の大学院で勉強しながら出版業を始め、池袋に引っ越してきた。
池袋に新華僑が集まるのは「周辺に日本語学校が多い。交通の便が良い割に、駅近くに安く借りられるアパートがあるから」と言う。アルバイト先を見つけやすいことも池袋が中国人を引き付ける原因になった。最近は裕福な留学生も増えたが、かつての中国人留学生は大半が渡航費用を借金して来た。返済のために働かなければならない。新華僑が住む地域は次第に北に広がる傾向を見せており、板橋、十条、赤羽や埼玉県に住む人も多い。こうした後背地を抱えた、新華僑の拠点として池袋チャイナタウンがある。
新華僑が増えたことで、日本に住む中国人の数は外国人全体の3分の1を占め、首位に立つ。その数は、2011年末で約67万5000人に達した。だが、国外移住を目指す中国人にとって日本は一番人気の国ではない。日本文化に関心を持つ人も少ない。彼らが最も憧れるのは米国だ。実際、中国の裕福なエリート層は米国に留学している。では彼らはなぜ日本に来るのか。
1つは、日本が「留学生30万人計画」を打ち出すなど、受け入れに熱心なこと。より魅力的なのは、留学生にアルバイトを認めているので、働きながら勉強できることだ。日本語学校や専門学校に籍を置いているものの、アルバイトに精を出し、学業よりもお金を稼ぐことに忙しいという人が少なくない。
また中国はコネ社会で、有力な人脈を持っていないと、国内で成功できるチャンスは少ない。中国にいても、うだつが上がらないと考えた人が人生のリセットを求め、日本でのサクセスストーリーを夢見てやって来るのである。
■ 女性起業家たちが活躍
池袋で活躍する中国人起業家にはなぜか女性が目立つ。
池袋駅北口から徒歩2分の雑居ビル内にある「逸品火鍋」。中国東北地方・大連出身の綾川陽子さん(39歳)が経営する中華料理店だ。店内は赤と黒を基調にしたモダンなインテリア。本国からコックを呼び、東北料理と四川料理を供している。客はこの辺の店では珍しく日本人が目立つ。従業員に日本人向けの接客教育を施すなど営業努力をすることで、順調に売り上げを伸ばしている。
綾川さんが来日したのは1998年。中国で大学を卒業し、国営企業に勤めていたが、海外に出てチャレンジしたいと思うようになり、米国留学を夢見た。だが、資金もなく、いきなり行くのは難しい。まず勉強しながらアルバイトができる日本に来て資金を貯めることにしたのだ。
日本での生活は非常に忙しかった。朝4時に起きてホテルの清掃をした後、日本語学校に行く。夕方からまた清掃の仕事をして、深夜遅く帰宅する毎日だった。大学院に進学した後も牛丼店、コンビニ、ラーメン店など色々なアルバイトを続けた。そして、過労でついにダウン。米国留学はあきらめた。
日本企業に就職して3~4年たった頃、転機が訪れた。池袋でカラオケ店が売りに出ているのを知り、中国人向けのカラオケ専門店を開こうと思いついた。新華僑の留学生たちはカラオケ好きだが、日本人の店には入りにくい。中国語で歌える店をやれば、当たると思ったのだ。借金をして店の営業権を買い取り、2007年9月にオープンしたら、これが成功。同年12月からは中華料理店も始めた。昨年8月には中国製オートバイ部品の輸入販売にも着手。事業多角化に乗り出している。
池袋北口で人気の焼き小籠包専門店「永祥生煎館」を経営する徳永麗子さん(50歳)は中国上海市の出身だ。1988年に来日、中華料理店で皿洗いをしながら日本語学校に通い、卒業後は服飾関係の専門学校に進んだ。日本で勉強した後、中国に帰って商売したいと思っていたが、日本人の男性と結婚。一度は夢を諦めた。
結婚後に日本と上海を往復しているうちに、上海名物の焼き小籠包を日本で売ることを思いついた。主婦になっても事業欲は衰えず、子育てが一段落した2009年12月に池袋に店をオープンした。食材にこだわり、中国人にも日本人にも合う味を追求した結果、売り上げが伸びた。上野、大久保にも出店し、チェーン展開を始めた。
■ 新華僑のハングリー精神が作り出す世界同時現象
池袋に新華僑の店が増えるのを見て、経営者のネットワーク化を図り、池袋駅を中心とした半径500メートルのエリアを「東京中華街」として売り出そうと考えた人がいる。在日歴20年を超える広告プロデューサーの胡逸飛さん(49歳)だ。経営者たちの賛同を得て、2008年に地元の日本人商店街に趣旨を説明した。ここで、大きな反発を買った。
中華街構想はすぐに挫折。胡さんは「池袋を国際的に売り出せば、街全体の活性化につながるのに」と残念がる。池袋西口商店街連合会の三宅満会長(67歳)は「人の街に来て、いきなり中華街はないだろう。まず商店会に入って汗を流してからでないと何も始まらない」と語る。胡さんは「構想を諦めたわけではない。日本人とコミュニケーションをとり、一歩一歩進めたい」と言うが、その後、両者の距離が縮まった形跡はない。
中華街構想は実現しなかったものの、池袋でビジネスを展開する新華僑のパワーは衰えていない。世界の華僑社会に詳しい山下清海・筑波大学大学院教授は「海外に移住する新華僑は世界に広がり、欧米各地にニューチャイナタウンができている」と指摘する。ロサンゼルスやニューヨークに、老華僑が築いた従来のチャイナタウンとは別の新華僑のチャイナタウンが形成されているという。その波は欧州にも広がり、パリ、ローマ、バルセロナにもニューチャイナタウンが次々に出現している。
池袋のチャイナタウン化は何も日本特有の出来事ではない。海を渡って起業を目指す新華僑のハングリー精神が作り出した世界同時現象なのである。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120608/233127/?P=1
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