米大リーグで日本人選手が活躍するのは当たり前のことのように思う10代の人が多かろう。 しかし、ルネード投法と切れ味鋭いフォークボールを武器に大リーグで活躍し米国人をうならせた野茂英雄の活躍なくして、現在の日本人選手の大リーグでの活躍はなかったかもしれない。 野茂英雄が切り開いたが故に後に続く選手がいたのだ。 そして今がある。
野茂英雄は日本人最初の大リーがではない、2番目である。 日本人初の大リーガーは、東京オリンピックのあった1964年に大リーガーでプレーした南海ホークスの村上雅則(むらかみ まさのり)氏だ。 日本人初のメジャー勝利投手となった人であるが、東京オリンピックという一大イベントの陰で日本のマスコミは大きく報道しなかった。
それから31年後の1995年、野茂がアメリカに渡り、トルネードの快進撃が始まる。 ひた向きで、ストイックな野茂英雄とそのトルネード投法の快進撃は全米に驚きを与え、また人々を魅了した。 日本人がメジャーで強打者をバッタバッタと三振で切り捨てる。 メジャーのマウンドに立つ孤高のサムライ、野茂英雄。 その「野球殿堂」入りにここから快哉を叫び、そして敬意をを表す――
野茂氏など4人が野球殿堂入り
(NHK 1月17日 17時28分)
野球界の発展に大きな功績を残した人をたたえる「野球殿堂」に、大リーグに挑戦する日本選手の先駆けとなり、日米通算で201勝をあげた野茂英雄氏など4人が新たに加わりました。
ことし新たに野球殿堂入りしたのは、競技者表彰として、野茂氏の他、西武の黄金時代の主力だったソフトバンクの秋山幸二監督と日米で抑えとして活躍した佐々木主浩氏、さらに特別表彰として戦後の野球の復興に尽力し、おととし亡くなった相田暢一氏の4人です。
このうち野茂氏は、大阪府出身の45歳。
「トルネード投法」と呼ばれる独特のフォームから繰り出されるストレートとフォークボールを武器に近鉄に入団後、1年目から4年連続で最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得しました。
その後、大リーグのドジャースに移籍すると、1年目に13勝をあげて新人王に輝き、ノーヒットノーランを2回達成するなど、大リーグで活躍する日本選手の先駆けとなりました。
野茂氏は、引退後5年たってことし初めて殿堂入りの資格を得たばかりで、45歳4か月での殿堂入りは、川上哲治さんより4か月早い史上最年少です。
秋山氏は、熊本県出身の51歳。
1980年代の後半から6回の日本一に輝いた西武の黄金時代の主力でホームラン王や盗塁王のタイトルを獲得し、プロ通算2157安打を打ちました。 現在はソフトバンクの監督を務めています。
佐々木氏は、宮城県出身の45歳。
横浜でフォークボールを武器に最多セーブのタイトルに4回輝くなど抑えとして活躍し、1998年には、チームの38年ぶりの日本一に大きく貢献しました。 その後、大リーグ・マリナーズでも抑えとして129セーブをあげ、日米通算381セーブをあげました。
また特別表彰の相田氏は、北海道出身で、戦前に早稲田大学野球部のマネージャーを務め、戦時中に野球道具を保管して戦後の野球のいち早い復興に尽力しました。
■ 野茂氏、秋山監督、佐々木氏の喜びの声
野球殿堂に新たに加わった野茂英雄氏は、みずからが代表を務める社会人野球チーム、「NOMOベースボールクラブ」の練習拠点がある兵庫県豊岡市で、会見を開きました。
このなかで野茂氏は、「日本の殿堂入りの可能性は低いと思っていたので驚いている。実績はほかの殿堂入りした方々に比べると落ちてしまうので、周りの方が評価してくれるならうれしいし、光栄です」と殿堂入りの喜びを語りました。
そして、これから野球とどのように関わっていくかについては、「アマチュア野球の盛り上がりがプロ野球の盛り上がりにつながると思っている。しっかりアマチュア野球に携わっていきたい」と話しました。
秋山監督は、西武時代のチームメートだった東尾修さんから祝福の言葉を受けました。
秋山監督は、「もっと選ばれてもいい先輩がいるなかで、認めていただいてうれしい。これからも野球界が発展していくよう精進しながら頑張っていきたい。プロ野球を盛り上げてファンの人に球場に来てもらえるような試合を多くしたい」と話していました。
佐々木氏は、親交の深い400勝投手の金田正一氏から祝福を受けました。
佐々木氏は「自分が殿堂に選ばれたことで後に続く抑え投手たちの励みになると思います」と話しました。
また、「自分の中では、アメリカでプレーした選手で一番すごいのは野茂君です」と話し、同じ年にプロ入りし、ことしそろって殿堂入りした野茂英雄氏をたたえていました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140117/k10014568281000.html
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野茂氏は功績にも淡々 松井氏、上原ら後輩たちからは感謝の声
(サンスポ 2014.1.17 19:44)
米大リーグ挑戦の先駆者として活躍し、野球殿堂入りが決まった野茂英雄氏(45)は17日、兵庫県豊岡市で記者会見し、パイオニアとして尊敬を集めていることに「僕がもしあの時メジャーに行ってなくても、今のような時代がやって来たと思う」と表情を変えず淡々と話した。
本人の言葉とは逆に、後に続いて海を渡った選手からは感謝の声が相次いだ。ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(39)は「明らかに言えるのは野茂さんがいなければ、その後のほとんどの選手は米国に行けなかったということ。そういう道すらいまだにできていなかったかもしれない」と指摘した。
昨季ワールドシリーズ優勝を飾ったレッドソックスの上原浩治投手(38)も「野茂さんのおかげで僕らはメジャーでプレーができている。その感謝だけは忘れないようにしないといけない」と訴えた。
パドレス、レンジャーズで活躍した独立リーグ、BCリーグ信濃の大塚晶文監督(42)は近鉄時代に野茂氏の背番号11を引き継いだ。「野茂さんがいたからこそ大リーグでプレーする夢が描きやすかった」と振り返った。宮崎県日向市出身で32歳の青木宣親外野手(ロイヤルズ)は子どものころ、キャンプで浜辺を走っていた近鉄時代の野茂氏を追い掛けたことがある。「憧れの人がメジャーに行って活躍されたのがうれしかった」と原点を語った。(共同)
http://www.sanspo.com/baseball/news/20140117/npb14011719460008-n1.html
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【野球殿堂とは】
☛ 日本の野球の発展に大きな貢献した方々の功績を永久に讃え、顕彰するために1959年に創設された。現役引退後5年以上経過した人で候補入りしてから15年間が選考対象となるプレーヤー表彰と、現役以外の監督やコーチ、または選手引退後21年以上経過した人が対象となるエキスパート表彰に分けて表彰される。野球体育博物館内の殿堂ホールには殿堂入りのレリーフ(ブロンズ製胸像額)が掲額されている。
● 野球殿堂博物館HP http://www.baseball-museum.or.jp/
● 野球殿堂博物館 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%90%83%E6%AE%BF%E5%A0%82%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8
☛ 投票は野球取材15年以上の経験を持つ記者が、表彰委員会がノミネートした22人の候補者のなかから最大7人までを連記。75%(243票)以上を獲得した候補者が殿堂入りとなる。
【第54回プレーヤー部門の開票結果は以下の通り】
有効投票数=324 当選必要数=243(有効投票の75%)
野茂英雄 267票(82.4%=得票率)
秋山幸二 257票(79.3%)
佐々木主浩 255票(78.7%)
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原 辰徳 196票(60.5%)※
古田敦也 165票(50.9)
斎藤雅樹 149票(46.0)
清原和博 69票(21.3)
大島康徳 60票(18.5)
岡田彰布 49票(15.1)
篠塚和典 36票(11.1)
西本 聖 36票(11.1)
伊東 勤 33票(10.2)
桑田真澄 33票(10.2)
佐藤義則 32票(9.9)
郭 源治 30票(9.3)
川相昌弘 29票(9.0)
石毛宏典 19票(5.9)
佐々岡真司 15票(4.6)
野村謙二郎 13票(4.0)
松永浩美 10票(3.1)
西村徳文 7票(2.2)
鈴木尚典 1票(0.3)
(ニュースソース http://nikkan-spa.jp/570764)
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