考える習慣失う? 「スマホ中心生活」の大学生 <日経特集「スマホチルドレンの憂鬱」>

日経特集「スマホチルドレンの憂鬱」8月27日の記事は「考える習慣失う? 『スマホ中心生活』の大学生」…記事はこう始まる「一部の大学生は、もはやスマートフォン(スマホ)依存というレベルではなく、スマホに支配されていると表現したくなるほど、スマホ中心の生活を送っている。その結果、じっくりと物事を考える時間や習慣さえも失いかけているようだ…」。 スマホ、SNS、その便利さ故に利用者はどんどん増えている。 便利なものへの過度の依存は、潜在的危険をはらんでいるのは確かだろう。 スティーブ・ジョブズよ、答えて欲しい…人類は幸せになったのか、それともただバカが増えただけなのか?

以下、日経記事をクリップして掲載――

考える習慣失う? 「スマホ中心生活」の大学生
(日経特集「スマホチルドレンの憂鬱」 2013/8/27)

一部の大学生は、もはやスマートフォン(スマホ)依存というレベルではなく、スマホに支配されていると表現したくなるほど、スマホ中心の生活を送っている。その結果、じっくりと物事を考える時間や習慣さえも失いかけているようだ――。小学校高学年から中高生までスマホが急速に広がるなか、様々な課題が浮上してきた。本連載では、スマホを肌身離さず持ち歩く「スマホチルドレン」の現状を、中学校での生徒指導経験が豊富な兵庫県立大学の竹内和雄准教授が明らかにする。今回は、前回までとは少し趣向を変えて、大学生とスマホの現状を見ていく。

考える習慣失う、「スマホ中心生活」の大学生1筆者は、公立中学校に勤務していた2006年ころから、勤務地の大阪府寝屋川市近辺で、ネット問題に関するインタビューを断続的に実施してきた。教育行政に携わるようになった2009年からはネット問題インタビューの対象地域を全国に拡大した。最初は小中学生に回答してもらっていたが、現在は高校生や大学生まで広げている。時代の変遷に応じて、インタビューを通じて青少年から聞かれる内容も変化してきており、最近はスマホに関連した内容が増えている。

本連載「スマホチルドレンの憂鬱」ではこれまでの4回の記事で、小学校高学年から中高校生のスマホ利用について様々な課題を挙げてきた。だが、昨今の大学生の生の声を聴くにつれ、小中高生の将来の姿である大学生を見据えた論考も必要だと感じるようになった。そこで今回は前述のインタビュー内容のうち、特にここ半年のスマホに関わるものを抽出しながら、大学生とスマホの現状について記すことにする。

多くの大学生は実にスマホをうまく活用している。様々な方法の検索にたけているし、コミュニケーションの取り方も実にうまい。あくまで数字は筆者の印象にすぎないが、大学生の90%は賢い使い方をしていると感じる。

しかし、スマホに依存してしまっている残り10%の若者の実情は深刻である。もちろん、「漫画やギャンブル、テレビゲーム。いつの時代も若者の一部は、特定のものに依存してきた。今回はその依存先がスマホというだけで、このスマホ依存騒動も一過性のものではないか」という指摘もあるが、筆者はそうは思わない。それぞれのものに夢中になった若者を、教師として一般の人以上に身近で見てきた自負があるからかもしれないが、これまでのどの時代の若者の様子と比較しても、現在のスマホ依存の状況は深刻だと感じている。

考える習慣失う、「スマホ中心生活」の大学生2まずは、ネットとの関わり合いについてのインタビューに応じてくれた大学生の声の中から、ごく一般的な声だけを記載し、そこから論考をスタートさせてみよう。

■ 大学生の声から垣間見える実態

「Yahoo!ニュースでじゅうぶんわかるので、基本、新聞は読みません。通学に1時間くらいかかりますが、友達とLINE(ライン)のやり取りをして、あとは簡単なゲームをしたらもう駅。大学に入る前は、『通学途上で読書』でもとか思っていたけど、気づいたら今年に入ってまだ1冊も読んでないなあ」(大学2年生、男子)

考える習慣失う、「スマホ中心生活」の大学生3「下宿にテレビはありません。YouTube(ユーチューブ)で見ていたらじゅうぶん。実家では何となくテレビを見ることもあるけど、(スマホで)Facebook(フェイスブック)しながら、音楽聴きながら、雑誌見ながらとかそんな感じ。そういえば、昔みたいに、ずっとテレビだけ見ているとか、一つに集中することってないなあ」(大学3年生、女子)

「飲み会とか(の連絡は)、フェイスブックかLINE。ないと乗り遅れる。大学の先生はごちゃごちゃ言わないから、講義の間も(メッセージを)やり取りしていることも。スマホはフリック入力(画面に表示されるテンキーに指を滑らせることによって文字を入力)だから、目立たなくて楽。長々とは書けないけど、飲みの相談とか、日常会話程度(ならスマホでできる)」(大学1年生、男子)

「Twitter(ツイッター)で何となくつぶやいていたら、誰か拾ってくれるって感じかな。なんとなくゆるーくつながっている感じ。スマホがないと、やっていけない」(大学2年生、男子)

「誰かと会って話をしている時でも、ほかの誰かとやり取りしてる。リアルの自分とネットの自分、“2つの自分”が違う人として会話してる感じかな。もちろん、下宿に固定電話はありません。目覚まし時計もありません。(すべてが)スマホで十分」(大学3年生、女子)

■ 依存どころか「支配」されている印象も

彼らの声を聞いて感じられるのは、「スマホ依存」という言葉ではもはや表現することすら難しい状況だ。彼らの日常がスマホと一緒に動いているという印象を強く受ける。

彼らの声から見えてくるのは、スマホがもはや特別なものではなく、彼らの生活の中心にスマホが当然のようにあるという感覚だ。「スマホ中心の生活」は彼らの共通の意識としてあって、その上で「スマホと自分はどうつきあっているか」を話しているように見える。

中高生が内心ダメだと感じながら、スマホにずるずるとはまっていっているのに対して、大学生は確信犯的にスマホ前提の生活を受け入れている印象が強い。筆者は大学の教員として、大学生の自主性を尊重しようと考えており、その行動の細部にまで口出しするつもりはないが、それにしても彼らの生活の様子には強い危機感を覚える。

考える習慣失う、「スマホ中心生活」の大学生4今まで、漫画もテレビゲームも、強い影響力で大学生の生活に浸食していたと思う。それらの問題点は、大学生が手にしている時間が長いことにあった。その時間があまりに長いため、その状態が「依存」と呼ばれてきた。

しかし、それでも依存対象である漫画やテレビゲームから離れる時間は残されていたが、今の一部の大学生たちの様子からはスマホに生活の一部始終を「支配」されている印象さえ受ける。スマホでオンラインコミュニケーションやソーシャルゲームをしている時間だけではなく、スマホを使っていない時間も常にスマホを意識している。スマホで目を覚まし、スマホで友達とずっと連絡を取り合い、スマホで音楽を聴き、スマホで暇つぶしする。暇つぶしでは済まず、ソーシャルゲームにはまったりもする。

中高生が勉強や部活動に忙しいのに対し、大学生には時間に余裕があるというのが大きな違いと考えられるが、それにしても大学生の日常生活へのスマホの食い込み方には危機感を強く持った。

筆者のこの感覚は、古い時代の感覚であって、もしかすると杞憂なのかもしれない。実際、ほとんどの大学生がスマホと賢くつき合い、便利な道具としてスマホを使いこなしている。スマホに依存してしまった大学生も、ほとんどの場合で彼らなりに立ち直り、反省して元の生活に戻せる場合が多い。

しかし、年齢的にも上の大学生に対して中高生は、スマホを道具として便利に使いこなすのではなく、スマホの魅力に引きずりこまれ、本来やるべき勉強などがおろそかになってしまう場合が多い。スマホを使うのではなく、スマホに使われてしまう危険が高いとさえ感じる。

大学生と比べて、中高生がスマホに依存してしまうと、立ち直れる可能性はぐっと下がる。成長過程であるため、自分ひとりではなかなか元の生活にもどれない。一時期でも依存してしまうと、勉強の遅れは深刻になり、部活動もやめて、これまでの人間関係を大きく変えてしまうことがある。中高生では挽回が難しく、その後の人生に大きなハンディを負ってしまう可能性もある。

このあたりの危険性については大人が十分に理解し、子どもと使い方をしっかり話し合った上で、子どもをスマホと向き合わせる必要がある。

■ 大学生との連絡で痛感したLINEの便利さ

考える習慣失う、「スマホ中心生活」の大学生5筆者もLINEの利便性を認識できる経験をした。大学の授業(受講生20人弱)でレポート提出やフィールドワークの連絡用に連絡網を作ろうと「名前と携帯電話番号を書いてください。必要な時以外は電話しないので」と断って紙を回そうとしたとき、学生から「LINEでグループ作りましょう」と提案された。その場の全員が快諾したので、彼らに任せたところ「ふるふる」(スマホのGPSを活用したLINEの友達検出・登録機能)や「QRコード」(LINEには友達を簡単に登録するための2次元バーコード機能もある)など耳慣れない言葉を口々に話ながら、5分程度でグループを作成し、筆者にもグループへの参加を求めてきた。

彼らにスマホを預け、なすがままに受け答えしていたら、1分もかからずLINE上の新規グループに参加できた。筆者のLINEデビューの瞬間である。その後は必要に応じてLINEを考える習慣失う、「スマホ中心生活」の大学生6使っているが、非常に便利だと痛感している。

最大のメリットは、瞬時に全員に意思伝達できること。しかも、スマホからだけではなく、パソコンからでも利用できる。授業に関連した調査の段取りなどの打ち合わせは、LINE上で学生が相談している様子をパソコンから眺め、必要に応じて介入するという方法でスムーズに進められる。はじめのうちは画像や動画ファイルだけだったが、最近ではエクセルやワードのファイルを含めて、容量が1Gバイトのデータまでを送受信できるので、学生とのデータのやり取りに使う機会も増えた。

とはいえ、学生とのやり取りは今もメールが基本である。LINEでのやり取りは、雑談レベルのものが多い。つまり、重要な案件はメールで、調整などはLINEで、というすみ分けがいつの間にかできている。

2013年のゼミ生からは、意識的にLINEを多用するようにしているが、ここでも便利さを感じている。学生にはLINEを研究の意味合いを兼ねて使用していることを説明し、承諾を受けた上で活用しているが、メール主体からLINE主体の連絡体制への大幅な乗り換えもありうると最近では考えている。

多くの研究者や企業人の間でSkype(スカイプ)での打ち合わせが一般的になってきたが、Skypeが一般的でない学生の間ではLINEでの打ち合わせが多い。考えてみると、LINEの普及に先駆けて大人はSkypeで同じようなことをしていたわけで、子どもたちのニーズにソフトが追いついてきただけなのかもしれない。

LINEは、無料のメッセージ機能だけでなく、無料通話機能も便利である。今まで研究関連の電話を学生がしてきた場合、携帯電話の通話料を学生に負担させないため、こちらからかけ直していた。最近はLINEの無料通話を使っている。ただし無料だからか、つい通話時間が長くなるというデメリットも感じている。

■ メールとは違う「怖さ」を体感

使い始めて半年もたっていない“にわかユーザー”としての意見だが、LINEとメールの違いもみえてきた。メールでのやり取りには読み返す時間があり、細部まである程度の注意を払える余裕があるが、LINEの場合は単文形式でやり取りが繰り返されるため、感情に任せて文章をどんどん書いてしまうことが多い。

教員としての立場から慎重を期していたつもりだが、学生の書き込みに苛立ってしまい、その感情を少しだけLINE上に吐露してしまったことがある。その時は、翌日読み返して反省し、本人とそのやり取りを見ていた学生たちに謝罪した。期せずして、感情の高まりと同時に指先で書き込みをして、瞬時に相手からのフィードバックがあることの怖さを自ら体感してしまったのだ。

中高生のLINEでのトラブルに関わる機会が増えたが、トラブル発生の理由も実感できるようになった。筆者と学生には上下関係があるので、学生からの負のフィードバックが届くことはあまりない。だから筆者が気をつけなければ、アカデミックハラスメントの温床になってしまう。学生たちが夜遅くまでLINEでやり取りしているのを見て、筆者もつい深夜のやり取りに加わってしまったことがあるが、後で猛省した。

「学生とのLINEの試用期間」は当初予定では、もうじき終了する約束だが、今後どうするかについて正直なところ悩んでいる。やめてしまうには、あまりにLINEは便利なのである。学生とも相談して決めるつもりだが、危うい部分があることを考慮しても、それを上回る利便性があると考えるようになっている。使い方のルールを学生としっかり話し合い、その上での活用を検討しようと思い始めている。

結局、便利すぎるものには、その裏返しに危険や負の側面もあるということかもしれない。利便性を謳歌するには、ルールを作り、利用者全員で遵守しなくてはならない。当然といえば当然だが、結論を出すのは少し先延ばしして、もうしばらく学生にはつきあってもらおうと思っている。

■ 大学生の自主性を重んじてきたが…

自立心が高まり、自分の将来についても意識が向き始めた大学生の場合は、スマホとの付き合いにどんな変化が見られるか。印象に残ったインタビューの声を記しておこう。

「私は最近、お風呂に入る前後2時間は、スマホを見ないようにしています。先生に言われて、最初は本を読む時間に充てようと思って始めましたが、なかなか読書はできていません。(この時間に)1日のことを振り返ったり、のんびりしたりしています。普段は常に何かに追われているので、続けていこうかなと思っています。でもやっぱり気になって時々(スマホを)見て、LINEやツイッターの書き込みがたくさん来ていたら、(それらを)見てしまいますね。書き込みの多い時間帯なので、違う時間にしようかとちょっと考えたりしています」

この学生は、自発的にスマホを断つ時間を2時間作っているが、半面でかなり強い意志がないと続けられないと言っている。読書に専念するには、強い決意を持ってスマホを見ない時間を作らなければならないと思っている。

筆者は、大学生の自主性を重んじて、強制や叱責はできるだけしないようにしてきたが、彼らの将来のことを考えるとき、厳しい言葉で話すことも必要かもしれないと思い始めている。そして、大学生でもこのような状況なので、中高生の保護者にその実態に気づいてもらうための情報提供を一刻も早くして、実態を正確に伝える努力をしなければならないと強く思っている。

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竹内和雄竹内和雄(たけうち・かずお)
兵庫県立大学環境人間学部准教授。公立中学校で20年間生徒指導主事等を担当(途中小学校兼務)、教育委員会指導主事を経て、2012年より現職。大学では教職を目指す学生の指導のほか、いじめやネット問題など、「困っている子」への効果的な対応方法を研究。研究室では、教師を目指す学生が自主的に集まる教師塾「センセーション」で、毎週木曜日に大学生と子どもたちの今について議論する。総務省の「スマートフォン時代における安心・安全な利用環境の在り方に関するWG」構成員、文部科学省学校ネットパトロール調査研究協力者。 <写真>
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http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2103C_R20C13A8000000/

「スマホチルドレンの憂鬱」投稿掲載記事へのリンク

■ <日経特集「スマホチルドレンの憂鬱> 「知らぬ間に「ネット加害者」、未熟な中学生の常識」 (投稿日: 2013/08/20)

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