炉心溶融は3月18日時点で認識されていた、しかし“暫定的”に結成された「情報分析・対応評価チーム」の解析結果であるが故に重視されなかった…

朝日新聞が国に情報公開法に基づいて情報公開請求し、公開された文書によって「保安院は炉心溶融をを事故1週間後の3月18日には認識していた」という事実を確認したと今日の朝刊(3月4日)で報道した。 事実を隠ぺいしようとする国の体質を我々は黙っていてはならぬ、「国民よ、怒れ!」。 ネットでの情報の共有と発信はそのためにある! 以下、朝日3月4日朝刊1面記事….

<炉心溶融 1週間後に認識> 保安院暫定組織分析生かされず

経済産業省原子力安全・保安院のチームが、東京電力福島第一原発事故から1週間後には、1~3号機の原子炉内の核燃料は溶け落ちて炉心溶融(メルトダウン)したと分析していたことが、朝日新聞が情報公開請求した文書でわかった。 ただし公表はされず、国が炉心溶融を認めたのは事故から2カ月後だった。分析を国民への説明などの初期対応に生かせなかった。

分析したのは、保安院内にある「緊急時対応センター(ERC)」で昨年3月14日から活動を始めた「情報分析・対応評価チーム」。もともと想定されていたチームではなく、保安院企画調整課の要請で、経産省や原子力安全基盤機構などの有志約10人で急きょ結成された。従来の分析部署が緊急対応に追われるなか冷静に分析する集団が必要だという判断だった。

メンバーが注目したのは、東電から24時間態勢で送られてくる水位や圧力データ、原子炉格納容器内の放射線量を測る「CAMS」(格納容器雰囲気モニター)の数値。昨年3月15日には1、2号機で放射線量が急激に上昇し、格納容器底部に燃料が溶け落ちたことをうかがわせた。 ほかのデータの変化もあわせ、同18日午後2時45分の時点で、1~3号機ですでに炉心溶融が起きたと判断している文書が残されていた。

文書では、溶融した燃料は底にたまって水に浸されやすくなっているため、「外部から注水を続ける限りにおいては安定した状態が継続している」と評価している。

保安院は、早い段階で炉内状況の分析ができていたことになる。 しかし、組織的な位置づけがあいまいだったため、チームの分析結
果はあくまで参考にとどめられ、公表されることもなかったという。

当時対応にあたった平岡英治・保安院次長も解析結果は知っていたが、チームが暫定的な組織で解析結果を扱うルールがあるわけではなかったので、重視しなかったという。 「(チームが)正規の態勢の中につくれていなかったのは反省点」と話している。

東電がコンピューターの解析結果を公表し1号機の炉心溶融を認めたのは5月15日で、2、3号機は同24日と、事故発生から約2ヵ月も経過してからだった。 この解析結果を受けて保安院も認めた。 (小堀龍之)

さらに、読売電子版(2012年3月3日14時37分)は「炉心溶融回避」の可能性があったとする以下の記事を配信している。

<炉心溶融、回避できた? 冷却装置を早期復旧なら>

東日本大震災による津波襲来後に電源を失った東京電力福島第一原子力発電所1号機で、緊急冷却装置を電源喪失後1時間半で復旧できていれば、炉心溶融を回避できた可能性があることがわかった。

日本原子力研究開発機構の玉井秀定・副主任研究員らの研究チームが分析したもので、福井市で開かれる日本原子力学会で20日発表する。

冷却装置は「非常用復水器(IC)」と呼ばれ、電源がなくても蒸気などを使って原子炉を冷却できる。政府の事故調査・検証委員会の中間報告によると、電源喪失に伴い弁が閉じたため、復旧には弁を開ける必要があったが、東電幹部が弁の状況を誤認して対策を取らず、事故拡大につながった。

研究チームが電源喪失後の原子炉の水位や圧力をコンピューターで模擬計算した結果、閉まった弁を1時間半後までに開けていれば、冷却機能が働き、水位が維持されることがわかった。2基あるICは、計16時間作動するとされており、研究チームは「その間に代替の注水手段を確保するなどしていれば、炉心溶融を防げた可能性がある」としている。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120303-OYT1T00456.htm