世界遺産・富岡製糸場を守った片倉工業の信念⇒製糸場操業停止後も年8千万円以上を負担し18年間管理した片倉工業は歴史を伝える遺産として建物を守り抜くため、売らぬ、貸さぬ、壊さぬを貫いた。世界遺産の影の物語…

カタールのドーハで開催中のユネスコ世界遺産委員会は6月21日、「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)の世界文化遺産登録を決めた。この富岡製糸場を語るとき忘れてはいけないものがある-「片倉工業」と言う会社が貫いた信念だ。製糸場操業停止後も年8千万円以上を負担し18年間管理し、歴史を伝える遺産として建物を守り抜くため、売らぬ、貸さぬ、壊さぬを貫いた。 片倉工業は、142年前に操業を始めた富岡製糸場を1939年(昭和14年)に引き継ぎ、1987年(昭和62年)まで50年近く生糸生産を続けた。製糸場の操業を停止し工場を閉鎖した後も、日本の産業近代化の歴史を伝える遺産として建物を守り抜くことを社是とし、富岡市に無償譲渡するまでの18年間徹底した維持管理をして歴史遺産を守り続けた。 こういう会社が日本にあることを誇りに思う。 目先の利益ではなく、日本人が古来より大事にしてきた世界に冠たる美徳―誠実さと律義さ―をこの会社は思い出させてくれる――

<世界遺産決定>富岡製糸場を守った片倉工業の信念  <世界遺産決定>富岡製糸場を守った片倉工業の信念_富岡製糸場と絹産業遺産群・世界遺産への歩み年表

世界遺産に決定した富岡製糸場
製糸場守った信念 停止後も18年管理、片倉工業
売らぬ 貸さぬ 壊さぬ
(朝日新聞朝刊・社会面 2014年6月22日)

「売らない、貸さない、壊さない」。21日、世界遺産登録が決まった富岡製糸場(群馬県富岡市)。この3原則を掲げ、操業停止後も日本の産業近代化を象徴する建物を守った私企業がある。「やっと安住の地ができる」。関係者は静かに喜びをかみしめた。

製糸場を最後に経営した片倉工業(東京都中央区)。竹内彰雄社長(65)は「一番幸せで、最高の形になった」と喜ぶ。

142年前に操業を始めた富岡製糸場を1939年に引き継ぎ、50年近く生糸生産を続けた。工場を閉じた後も、日本の産業近代化の歴史を伝える遺産として建物を守り抜くことが社としての責任であり、「十字架だった」という。

87年3月5日の閉所式では、当時の柳沢晴夫社長(故人)がこう語った。

「単なる遺物とか見せ物としておくつもりはございません」。歴史的、文化的価値が高く貴重な建物が確実に守られ、創業以来の工場関係者の思いが受け継がれていく形が固まるまで、自社で徹底した維持管理を続ける決意の表明だった。

88年、「文化財に」と打診した広木康二・元富岡市長(85)は「柳沢元社長は『誰にも売りません。貸しません。壊しもしません』と言い切った」と述懐する。片倉工業は閉所後18年間、5万平方メートル余の敷地にある建物を守り続けた。

2003年、当時の小寺弘之・群馬県知事(故人)が富岡製糸場を核に世界遺産登録をめざす、と発表した。柳沢元社長は直前に亡くなっていたが、片倉工業は「世界遺産なら」と決断。富岡市の打診を受け、05年、市に建物を無償譲渡した。

譲渡業務を担当した冨岡晴紀常勤監査役(62)は1975年入社で、初任地が富岡工場だった。「教科書に載っているあの製糸場だ。まだ動いているんだ」。着任日の驚きと感動は、今も忘れられない。

操業停止後は、富岡工場管理事務所に社員3人が常駐した。維持管理費は年8千万円前後。1億円かかった年もあった。「富岡工場は特別だから出費は当たり前。そんな雰囲気が社内にありました。企業は利益を出してなんぼですが、金では買えないものもある。青臭いかもしれませんが」

最後の管理事務所長だった田部井弘さん(71)は柳沢元社長の口癖を思い起こす。「きっちりとな。きっちりと」。工場で顔を合わせるたびに念を押された。火事が一番、怖かった。「『すみません』では済まないですから」。枯れ葉が積もれば火の気に気をもみ、隠れて喫煙していた来訪者を怒鳴り飛ばした。

05年9月30日が勤務の最終日。正門や東繭(ひがしまゆ)倉庫などの鍵を箱に戻し、一覧表を市の担当者に渡した。「ああ終わった。何もなくて本当に良かった」。あのときは一抹の寂しさがあったが、21日夕、地元テレビの中継で世界遺産に決まった瞬間を見届けると、別の思いで胸がいっぱいになった。「世界の宝と認められた。これからは世界に守られていく」(馬場由美子、上田雅文)

「昔の職場が世界遺産、誇り」

「登録すべきだという勧告内容を完全に支持します」。ユネスコ世界遺産委員会での約25分間の審議は、大半が委員国の賛成スピーチ。日本を含め21カ国の委員国のうち、18カ国が1~3分で賛意や祝意を表明した。議長が木づちを打ち鳴らして登録を決めた後、群馬県の大沢正明知事は、県庁のパブリックビューイング会場に向けて電話した。ほっとした表情で「全ての国から賛成をいただき決定しました」。

群馬県富岡市では、市民約6千人が近くの小学校から製糸場まで祝賀パレード。くす玉を割って祝った。

計30年近く製糸場で働いた富岡市の海津すみ子さん(76)はテレビの速報で知り、一緒に働いた仲間から電話も受けた。片倉工業元社員の会の役員も務める。「鳥肌がたった。製糸場が世界に認められ、誇りです」

群馬県甘楽町の元従業員、高麗(こうま)文江さん(62)も「自分の職場が世界遺産になった。誇れるかな」。15歳で片倉工業に入社し、繭から糸を取る「操糸」を担当した。夏になったら孫の姫禾(ひめか)さん(9)と製糸場を訪れたい。「ばあちゃん、ここで働いていたんだよって自慢しちゃうわ」

登録「4資産で物語描けた結果」

フランスから産業革命の成果である器械製糸を導入し、発展させて世界に戻した――。ユネスコはそこに、「顕著な普遍的価値」があると評価した。富岡製糸場が殖産興業で日本を近代化しただけでは世界遺産には認められなかった。

鈴木淳・東大教授(日本近代史)は「絹産業の自動化は日本が担った。115年間、同じ工場の中で技術革新が行われ、中国やブラジルで生かされている」。元ユネスコ事務局長の松浦晃一郎さんは「富岡だけではだめで、今回登録される4資産でストーリーが描けた結果」と分析する。近代養蚕農家の原型となった田島弥平旧宅、養蚕教育機関の高山社跡、蚕の卵を冷蔵保管した荒船風穴(ふうけつ)。富岡製糸場はこの3資産と連携した。石井寛治・東大名誉教授(日本蚕糸業史)は、高品質な生糸の量産化を果たした結果、輸出先の米国で絹のストッキングが普及した点を指摘する。こうした世界的な絹の大衆化への貢献も日本政府はアピールした。(ドーハ=長屋護)

それにしても、年1億円近くの経費を18年間もつぎ込んで「株主は黙っていたのか?」とか、専門家たちをして「奇跡的保存状態」と言わしめた維持管理は並大抵ではなかったろうと思うが、その辺りを毎日新聞の記事はこう報じている――

富岡製糸場_「近代化の礎守る」所有の片倉工業、尽力 - 毎日新聞2005年に富岡市に寄贈するまでの18年間、巨大工場の保存に尽力し続けた。維持・管理費は年間1億円以上。しかし、株主から批判はなかった。竹内社長は「片倉に関わるすべての人々が、富岡の大切さを深く理解していた」と話す。

98年から7年間、最後の管理事務所長を務めた田部井弘さん(71)=群馬県桐生市=は、当時をこう振り返る。「何かあってからでは取り返しがつかない。まるで自分の子供を見守るように、とにかく気を使いました」 火事を招かないよう、落ち葉はこまめに掃く。雨漏りを防ぐために屋根の瓦のずれは見逃さない。見学者が場内で喫煙しているのを見つけ、大声を上げたこともあった。「壊れてから元に戻そうとしても遅い。毎日が緊張の連続だった」日々の地道な活動によって、専門家が「奇跡的」と評する保存状態を維持した。

(毎日新聞 「富岡製糸場:「近代化の礎守る」 所有の片倉工業、尽力」(2014年06月21日21時41分) http://mainichi.jp/feature/news/20140622k0000m040038000c.html

片倉工業は私企業ということで、その功績を日本のマスコミは大々的には報じないのだろうが、それでは視野が狭い。 片倉工業とその太っ腹の株主を始め、富岡製糸場の保全にかかわってきた人々をもっとしっかりと取り上げて、その功績を世界に発信すべきだ。 日本人が成した誇るべき「心意気」を世界に発信しないでどうするのか。

  • 富岡製糸場はどのようにして建てられ、どういう役割を役割を果たしのか?
    ☛ 富岡製糸場は、明治5年(1872)明治政府が近代化政策のもと、主要輸出品である生糸の品質向上と増産を目指して設立した日本で最初の官営模範器械製糸工場。 明治政府が雇ったフランス人技師ポール・ブリュナの指導のもとで、建物の建設と器械製糸技術の導入が計画されました。 繰糸器などはフランスから輸入されましたが、石や木材などは群馬県内から調達し、レンガはブリュナの指導のもと日本の瓦職人が製造した。 日本人の大工職人によって建てられた建物は、木骨レンガ造やトラス構造といった西欧技術と、日本瓦の屋根などの在来技術を結集したものだった。 また、全国から集まった工女はフランス人技術者から器械製糸技術を学び、故郷に戻った後、各地に設立された製糸工場で指導者となり、器械製糸の伝播に貢献した。 (詳しくは「富岡製糸場」公式サイトで http://www.tomioka-silk.jp/hp/

6月21日正式決定し世界遺産登録される「富岡製糸場と絹産業遺産群」は次の4資産からなる――1)富岡製糸場(富岡市)、明治5年(1872年)に明治政府が設立した官営の製糸場で、国内の養蚕・製糸業を世界トップレベルに引き上げた、2)近代養蚕農家の原型になった「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)、3)養蚕教育機関だった「高山社(たかやましゃ)跡」(藤岡市)、4)自然の冷風で繭を低温貯蔵し蚕の卵の保存に使われた「荒船風穴(あらふねふうけつ)」(下仁田町)。詳しくは、当ブログ「富岡製糸場、世界遺産に決定 国内18件目」(更新6月21日)を読んで頂ければ….。

日本からの文化遺産への登録は昨年の「富士山」(山梨、静岡両県)に続く14件目。自然遺産と合わせた国内の世界遺産は18件となった。 日本の世界遺産18の分布地図と世界遺産一覧表(登録年順)は以下の通り――

日本の世界遺産全18の分布地図日本の世界遺産全18の一覧表(登録年順)

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