任天堂・山内溥氏が遺した言葉 「イズム」守れるか (日経「ニュースの真相」)

ファミコン」などで「任天堂」を世界的なゲーム機メーカーに育て上げた前の社長の山内溥氏が19日午前、京都市内の病院で肺炎のため亡くなった。 85歳だった。 山内氏は、昭和24年にトランプやカルタなどを製造していた家業を継ぎ、それ以来、50年以上にわたって任天堂の社長を務めた。 この間、昭和58年にはテレビでゲームを楽しめるファミリーコ任天堂・山内溥氏が遺した言葉1ンピュータ、いわゆるファミコンを発売したのをはじめ、家庭用ゲーム機を国の内外に広く普及させ、任天堂を世界的なゲーム機メーカーに育て上げた。 また、平成4年、1992年にはアメリカ大リーグの「シアトルマリナーズ」に個人として出資して筆頭オーナーとなり、2000年にはイチロー選手が入団し、話題を集めた。

さて、日経電子版の「ニュースの真相」で<任天堂・山内溥氏が遺した言葉 「イズム」守れるか>という記事が今日掲載された。 なかなかいい内容だったので、記事をクリップして掲載しよう。 読んでみて損はないと思うが…  では、以下クリップ記事――

任天堂・山内溥氏が遺した言葉 「イズム」守れるか
(日経「ニュースの真相」 2013/9/21 7:00)

「ファミコン」の登場から30年。19日、ビデオゲーム産業の礎を築いた任天堂の中興の祖、山内溥前社長が亡くなった。85歳だった。

任天堂・山内溥氏が遺した言葉2京都・聖護院近くの広大な屋敷に足を踏み入れることを許されたのは2007年の冬。名状しがたい庭を臨む応接間で家主を待つと、山内氏がゆっくりと姿を見せた。腰掛ければ眼光鋭く、頭脳は明晰で饒舌。02年の引退から5年半経ってもなお、任天堂をとりまく経営環境に詳しいことに驚かされた。後を継いだ岩田聡社長らからの報告はファクスで随時、受け取っていた。

昨年末、岩田社長に取材をした時、最後に「山内さんはお元気ですか」と聞いた。「はい、頭脳明晰。お年ですから、当然、いろいろなところが弱られているとは思いますけれど、でも、お元気ですよ」との答え。ただ、直接、山内氏に会って新製品「Wii U」の発売を報告できていないことが、少しさみしそうだった。

今年8月、山内氏は京都大学から「名誉フェロー」の称号を授与された。同大医学部付属病院の新病棟の建設費として約70億円を寄付した功績がたたえられたが、本人は授与式に顔を見せず、代理出席した岩田社長がコメントを代読した。「光栄に存じる。世界で活躍する人材を送り出してほしい」。京大付属病院は自宅から目と鼻の先。そこで、山内氏は安らかに眠った。

 「ダメだな、任天堂はと思ったよ」

07年冬のインタビューは、「ニンテンドーDS」や「Wii」、あるいは岩田社長ら現経営陣への評価、娯楽への思いなどを詳細に語った最後の機会となった。花札・カルタ屋を世界企業へと昇華させ、一時は保有する任天堂株(約10%)で日本一の富豪にもなった山内氏。印象深かったのは、過去の失敗を痛快なほど認め、逆に成功は「運」と言い放つ謹厚慎重な姿勢だった。

「あのとき、僕は極めて不満やった。『64(ロクヨン)』が出たときに、ダメだな、任天堂はと思ったよ」「本当だったら任天堂は倒れているところなんやけど、でも僕に運があったのは、『ゲームボーイ』が誕生して『ポケモン』も出てきたこと。これは何かといったら、もう運がよかったとしか言いようがない」

ロクヨンとは任天堂が96年に発売した据え置き型ゲーム機。当時の経営環境は、今の任天堂が置かれている状況と似ていた。

任天堂・山内溥氏が遺した言葉3山内氏は80年以降、携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」、ファミコン、スーパーファミコンと立て続けにヒットを飛ばし、「NINTENDO」の名を世界にとどろかせた。93年3月期の売上高は6346億円、営業利益は1592億円。わずか12年間で売上高を約26倍に、営業利益を約39倍にまで膨らませた。

だが続く次世代機、ロクヨンは不発に終わった。起死回生を図り01年に投入した「ゲームキューブ」はもっと売れなかった。代わりに隆盛を誇ったのはソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が94年に発売した初代「プレイステーション(PS)」と、後継の「PS2」。任天堂はゲーム機の盟主から引きずり下ろされ、業績は急落。約10年ものあいだ辛酸をなめた。

ただ、携帯型ゲーム機のゲームボーイと「ポケットモンスター(ポケモン)」というソフトが窮地を救ってくれた。業績はV字を描き、99年3月期には売上高が5728億円、営業利益が1561億円まで回復。その後、ゲームボーイの飽きとゲームキューブの不振でまた下降。02年、山内氏は自ら引退を決めた。

 「勝ったら天に昇るけれども、負けたら地に沈む」

52年間の社長業で山内氏が味わった艱難(かんなん)辛苦はこれにとどまらない。

ゲーム&ウオッチ以前、少なくとも2度は倒産の危機に陥っている。いずれも、「ディズニートランプ」や「光線銃」といったヒット商品が売れなくなる落ち目に、経営の多角化失敗やオイルショックといった不運が重なった結果だった。

山内氏はこうした波乱に満ちた経験を経て「娯楽産業とは浮沈の激しい産業である」と覚悟した。それは07年冬、山内氏が語ったこの言葉に集約されている。「僕たちのビジネスというのは、勝ったら天に昇るけれども、負けたら地に沈む

同時に、娯楽で勝つための持論も固めていった。運とともに必要な「資質」。それが、以下の言葉にある。「非常に運がよかったんやろうけれども、しかし、僕自身が『ソフト体質』の人間だから、今みたいな形に導くことができたんやないかなと思っている」

ソフト体質――。山内氏がインタビューで最も多く発した単語である。

娯楽産業とは、技術や性能といったハードの出来ではなく、コンテンツの面白さやルール、仕組み、すなわちソフトの出来が優先される世界であり、それを創造できる資質が備わったソフト体質の人間が経営をすべき、というのが山内氏の持論だ。

「もし、僕がハード体質の経営者だったら、任天堂という企業はおそらく今日までとても来られなかった。DSが、Wiiがヒットした、かつてはファミコンが大ヒットしたと人々に言ってもらえるのは、それは私たちがソフト体質だったからです。ハード体質の経営者がもし、いたとしたら、辞めてくれと言いますし、そうしないと任天堂という企業はつぶれるんですよ」

■ 「任天堂はソフトが主で、ハードが従の路線」

ハードを軽視しているわけではない。山内氏は「私たちのビジネスはソフトとハードが一体型のビジネス。ハードを知らずしてソフトを語ることはできない。知った上でどこに主眼を置くか。つまり、任天堂はソフトが主で、ハードが従の路線」とも語った。ただ、主従のバランスが逆転してしまうこともある。代表例がロクヨンだ。

ロクヨンは当時の家庭用ゲーム機で最高レベルの性能を誇っていた。ハードの出来はよかった。であるがゆえに、ゲームソフトの開発にかかる労力やコストも跳ね上がり、結果、ヒット作に恵まれなかった。だから山内氏は後継者選びに際し、ソフト体質であることを強烈に意識した。

「いったい何を基準にして任天堂に必要な人を選ぶのかと言えば、果たしてその人がソフト体質を持っているか否か。実際に接してみると、この人はハードの人、この人は体質的にソフトに順応できる人というのがわかってくるんですよ。僕自身がソフト体質の経営者だから、そういうことがわかるんじゃなかろうかと自分では思っているわけです」

親心なのか、厳しさなのか。引退に際し、山内氏は52年かけて築いた持論とともに、8000億円以上もの余剰資金と、次世代機のヒントも残した。

「あのとき、2画面ゲーム機をやろうということを僕が考えて、しかしそれを、どういうふうに展開するのか、どういうふうに肉付けしていくのか、これを次の連中に託そうと、そう僕は思ったわけ。幸いにして任天堂にはすごくゆとりがあった。借金はないし、預金はたくさんあるし、少々のことではつぶれないというところまで運よくきていた」

「人間っていつまで生きていられるか分からないし、ここはやっぱり次の連中の力というか、運というか、そういうものを試そうと。もしも、それでだめだったら、彼らは結局、任天堂の経営者として失格なんです。でも幸い、失格しても任天堂は倒れない。まだ、もつ」

任天堂・山内溥氏が遺した言葉4岩田社長や宮本専務は見事に山内氏が課した試練に打ち勝った。山内氏は最後の大博打に大勝利したとも言える。DSやWiiの大ヒットを「非常に素晴らしかった」と喜ぶ一方で、クギを刺すことも忘れないのが、いかにも山内氏らしかった。

「結果として『脳トレ』とか、いろいろな分野が出てきて、それによってDSやWiiが普及して評価された。しかし、初めから(成功を)意図していたと言うのは、これはおかしい。そんなことは違う。結果として新しい分野を、新しいユーザーを開拓できたのは非常に幸運だったし、任天堂にとって非常に大きい意味があったというべき」

 「娯楽はよそと同じが一番あかん」

こうした「山内イズム」は岩田社長ら現経営陣の体の隅まで染みこんでいる。DSとWiiで絶好調だった当時、岩田社長はインタビューでこう話していた。

「今日起こっているような現象を、『いやぁ、前からわかっていました』といえたら格好いいんですけど、そんなことはない。方向は正しいという自信はあっても、こういうスピードでこういうことが起こるとは思っていませんでしたというのが正直なところです。世の中の皆さんが何をきっかけに大きく反応してくださるのかというのはわからない」

08年3月期は売上高が1兆6724億円、営業利益が4872億円。決算発表後の株主総会で、岩田社長は、株主を前にこう話した。「内在するリスクは、組織に慢心や油断が生まれることです。追い風に恵まれ、お客様に支持していただいた結果ですが、社内にこうなって当然と考える者も出てくる。それをいかに食い止めるかを考えています」

好調は続き、翌09年3月期、岩田社長は売上高1兆8386億円、営業利益5552億円という金字塔を打ち立てた。米国の「リーマン・ショック」に端を発する未曾有の経済危機の中、奇跡のような数字だった。だが、そこをピークに業績は下降し続けている。

12年3月期は決算公表以来、初の最終赤字に転落し、13年3月期は2期連続となる営業赤字だった。裸眼立体視を売りとした「ニンテンドー3DS」、画面付きコントローラーを売りとした「Wii U」と不振が続いた。ゲーム機の新たな遊び方や、新ジャンルのゲームソフトの提案ができておらず、山内社長の言う「ハード体質」に偏った、ともいえる。

市場では、かつての敵がソニーならば今の敵はスマートフォン、と見る向きが多い。変革を求める一部の株主やアナリストからは、「ハードを捨て、スマートフォンにソフトを供給せよ」といった声も聞こえてくる。しかし、これは「ソフトとハード一体」という山内イズムに背く考えだ。

任天堂・山内溥氏が遺した言葉5「娯楽はよそと同じが一番あかん」。これも山内イズムの1つ。岩田社長も、「マリオ」の生みの親である宮本茂専務も、耳にタコができるほど山内氏から言われ続けてきた。ソフトとハードを一体開発するからこそ、独創性が生まれる。ハードを捨てれば、何千、何万とあるソフト供給者と同じ土俵に立つことになり、「驚きを生む」ことはさらに難しくなる。

任天堂は山内イズムの塊だと言ってよい。山内氏は52年間で学んだすべてを遺(のこ)した。停滞も爆発的なヒットも、じつに任天堂らしい。売れるからといって暴力的な表現が強いゲームは許さないし、射幸心をあおるような近年のゲーム手法にも手を出さない。イズムを捨てることは任天堂らしさを失うことと同義だ。

 「そんなことで行き詰まったら何をするの」

「失意泰然、得意冷然」。山内が掲げた座右の銘である。運に恵まれた時は運に感謝をし、冷然と努力せよ。恵まれない時は慌てず泰然と構え努力せよ。山内はそう、継ぐ者たちにも語ってきた。厳しいとはいえ、今の任天堂が保有する現金および有価証券は、山内氏から継いだ時と同じ水準の8000億円以上。山内氏いわく「まだ、もつ(倒れない)」状況だ。

07年冬、インタビューの最後に山内氏はこう言った。「アイデアが枯渇して、何をしていいのかわからなくなったら、社業をやめなきゃしょうがないよね。そんなことで行き詰まったら何をするの。何もすることがないやないの。ハードの会社になるの? なれないよ、そんなの」

苦しくても泰然と構え、もう一度人々に驚いてもらえるようなアイデアを仕込み続けるしかない。それが「娯楽屋」の宿命や――。今、振り返れば、そんな遺言のようにも思える。

(電子報道部 井上理)

http://www.nikkei.com/article/DGXZZO59970440Q3A920C1000000/

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