零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~(NHK・BSプレミアム 8月3日、10日)

12/18更新、再放送情報追加; 9/1更新、「零戦」・動画情報追加】 海軍の主力戦闘機ゼロ戦。圧倒的な性能で太平洋戦争緒戦の勝利をもたらしたが、米軍のゼロ戦対策と物量作戦でやがて劣勢に立たされていく。 零戦がどう完成し、戦い、そして特攻機になって行ったのかを証言とドラマで描く2部構成の番組――「零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~」――が今夜(2013-8-3)、夜9時にNHKプレミアムで放送されれる。 今夜は前編の放送、後編は8月10日夜9時からの放送。 これは絶対、録画せんと!12月18日夜10時(前篇)、明日12月19日夜10時(後編)、NHK総合・BS地上波で再放送! 録画準備、ヨースロー….

零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~(ゼロ戦の画像)昭和15年、完成したばかりの零戦は中国戦線に投入され、1機も失うことなく帰還する。 太平洋戦争前半、零戦は無敵の戦いをする。 元搭乗員は「負ける気がしなかった」と証言する。 孤独の戦いの中で「零戦は仲間とも思えた」と語る元搭乗員…

零戦を設計したのは三菱重工の天才・堀越二郎。 米軍も驚いた先進の工夫を随所にこらす。しかし、堀越二郎はその手記で「軍から防御の要求はなかった」と葛藤をみせる。


零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争1NHK-BSプレミアム 「零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~」
初回放送・前編 2013年8月 3日(土) 21時00分~22時30分
初回放送・後編 2013年8月10日(土) 21時00分~22時30分
再放送・前編2013年12月18日(水) 午後10:00~午後10:45(45分)[総合・BS地上波]
再放送・後編2013年12月19日(木) 午後10:00~午後10:45(45分)[総合・BS地上波]

太平洋戦争直前の昭和15年に完成し、太平洋戦争を通して常に最前線に立ち続けた「零式艦上戦闘機」、通称「零戦(ゼロ戦)」。 圧倒的な格闘性能と航続距離を武器に、真珠湾攻撃を成功させ太平洋の島々を制空権下におさめながらも、やがてアメリカの新鋭機との戦いに敗れ、最後は爆弾を抱えて敵艦に体当たりする「特攻」の先駆けとなっていった、当時の日本の栄光と悲劇の象徴。

零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争2零戦はなぜ悲劇的な運命を迎えたのか。 そして渦中に置かれた搭乗員たちはその現実とどのように向き合ったのか。 番組では、今は僅かになった元零戦搭乗員の証言をくまなく記録。 また、最初の特攻隊員として戦死した搭乗員・大黒繁男とその家族の物語をドラマで描く。 さらに、零戦を作り上げた天才設計者、堀越二郎の苦悩と葛藤に迫るとともに、超精細CGで零戦と米軍機の死闘の様子を再現するなど、零戦をあらゆる角度から描き、悲劇の全体像に迫る。

番組では、若手実力派俳優の染谷将太さん(20歳)をナビゲーターとして起用。 染谷さんの祖父もまた、予科練を出て特攻隊員となり、終戦を迎えている。 「搭乗員の墓場」と呼ばれたラバウルなど零戦ゆかりの場所を訪ね、日本各地で元搭乗員やご遺族の話を聞くことで、零戦に関わった人びとの心の軌跡をたどっていく。

零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争3零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争4日本海軍の主力戦闘機、零戦。海軍の期待を背負って誕生し、太平洋戦争を通じて1万機以上が生産された。 スピード、航続力、格闘性能、すべてが世界水準を超え、開戦と同時に太平洋の空を席巻。その戦いぶりは今も語り継がれている――

~搭乗員の証言から~

● 各国航空機を凌駕する零戦の性能、その強さの秘密を探る――

「長い時間飛んで物凄い性能ですよ。 相手の側からすると、ほんとうに手の打ちようがないでしょうね」
三上一禧(元零戦搭乗員)

―― 昭和15年。こう着状態に陥っていた日本と中国との3年に亘る戦争は、零戦の登場によって劇的な戦況の変化をもたらした。 長い航続距離を生かし、片道750キロの長距離飛行の末に辿り着いた重慶上空で、13機の初陣の零戦は、中国軍戦闘機27機の撃墜を報告。 1機の損害も出すことなく帰還する。

「自分が言ったとおりに舵が利いてくれる。 非常に飛行性がいいんですね」
本田稔(元零戦搭乗員)

―― 初陣から大きな戦果を上げた零戦。長い航続力、そして抜群の運動性能。 類まれな戦闘機に、搭乗員たちは瞬く間に魅了された。

「誠に寡黙な方で、本当にジェントルマンでした。 逸材という感じ、滅多にいないですよ、こういう人は」
市場久一(元三菱重工技手)

―― 零戦の開発段階で海軍が要求したのは、速力、航続力、格闘能力、すべてにおいて世界水準をはるかに超えた性能を持つ戦闘機。 究極の軽量化を図ることでそれを実現したのは、「天才」と呼ばれた主任設計技師、堀越二郎だった。

● 3年9ヶ月の戦争中、常に最前線に立ち続けた零戦――

「特に零戦乗りは…絶対戦争して負けないという自信過剰に私も陥ってました。 負ける気がしないもの」
原田要(元零戦搭乗員)

―― 真珠湾攻撃成功の立役者となった零戦は、その後も海軍の作戦の中心を担っていく。 開戦と同時に、海を越えて南の島々を攻略。 アメリカをはじめとする連合軍の戦闘機を圧倒していった。

編隊を丸ごと一つ、壊滅させられました。 たった一機を除いて、すべてが撃ち落されてしまったのです
スタンレー・ヴェタサ(元アメリカ海軍航空隊)

―― 昭和17年6月。 勝利の熱狂の中にいた日本海軍を揺るがせることになる戦いが始まろうとしていた。 ミッドウェー海戦だ。アメリカ軍は、零戦の防御をかいくぐり、空母機動部隊に波状攻撃をかけた。日本はこの戦いで4隻の空母を失い、その後の作戦行動に暗い影を落とした。 しかし、アメリカの航空隊はこの戦いで惨敗していた。 攻撃に向かった120機のうち80機が零戦によって撃墜されたのだ。

「零戦の弱いところ、弱いところを狙ってきたですからね。 …ダーンと弾幕ができたらどうにもならないですよ」
本田稔(元零戦搭乗員)

―― ミッドウェー海戦と同じ頃、アメリカ軍はほぼ無傷の零戦の捕獲に成功していた。 徹底的に調査された零戦は、その弱点を巧妙につくアメリカ軍の戦法により、次第に優位を失っていく。 同年8月、アメリカ軍がガダルカナル島に上陸。 日米双方から「搭乗員の墓場」と呼ばれた、ソロモン諸島を巡る長い消耗戦が始まった。

「下士官は、消耗品じゃった。 もう本当の消耗品じゃったよ、パイロットあたりは」
一木利之(元零戦搭乗員)

―― ガダルカナルを巡る零戦の戦いは、10か月にわたって続いた。 ラバウルにいる航空隊の搭乗員たちにも、次第に疲労の色が見られるようになっていく。 連日のように出撃が繰り返され、櫛の歯が欠けるように未帰還機が増えていった。 その補充として、戦場経験の浅い搭乗員たちが次々と送り込まれてきた。

● 特攻の先駆けとなった零戦――笠井智一(元零戦搭乗員)

「かわいそうだとか何も思わなかった。 次は俺の番や、やったるで、という気持ちでした」
笠井智一(元零戦搭乗員)

―― 昭和19年2月まで、1年6か月にわたって続いたラバウルでの壮絶な消耗戦。 ラバウルから零戦隊が撤退してからわずか8か月後、零戦は爆弾を抱える特攻兵器に姿を変える。 出撃を命じられた搭乗員のほとんどが、二十歳前後の若者たちだった。角田和男(元零戦搭乗員)

「私が生き残ったのも、機会がなかった…. 私に弾が当たらなかったということだけ」
角田和男(元零戦搭乗員)

ラバウル航空隊

零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争5ラバウル航空隊とは
☛ 太平洋戦争当時、ニューブリテン島(現:パプアニューギニァ)ラバウルには、日本海羣の戦闘機や爆-機が集結して作戦を遂行していた。ラバウル航空隊とは、これら航空隊の総称である。70年前、ラバウルには、時に100機以上の零戦が並び、本土から5000キロ離れたこの空を守っていた。今でもこの地には、朽ち果てた零戦の残骸が残されている。

ラバウル基地の戦略的位置付け
☛ 昭和17年8月、アメリカ軍は、曰本軍の最前線基地だった南太平洋のガダルカナル島に上陸。 日本軍の飛行場を占領し、一大航空拠点を築いていった。 島の奪還を目指す日本軍とアメリカ軍との間では激しい戦闘が行われ、零戦は敵グラマン戰闘機との制空福争いを練り広げた。 その零戦隊の拠点となったのが、ガダルカナルから1000キロ離れたラバウルだった。 繰り広げられる、果てなき消耗戦。 アメリカはその圧倒的な国力を背累に、航空機を大量生産して最前線に送り込み、次第に零戦を圧倒していった。 零戦はここラバウルでの戦いを転換点に、アメリカに対する優位を急速に失っていくことになる。

ラバウルの海に沈む零戦(参照: NHKオンデマンド・零戦特集 http://www.nhk-ondemand.jp/share/pickup/index.html?np_banID=topMID002_20130802 )

零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争7零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争8零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争9

◇     ◇     ◇

零戦が劣勢になっていった理由は三つあると思う。 最大の理由はアメリカ軍がほぼ無傷のゼロ戦を手に入れ徹底的に研究したことだ――

零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争6”1942年(昭和17年)6月、アメリカ軍はアリューシャン列島のダッチハーバーに近いアクタン島の沼地に不時着した零戦(アクタン・ゼロ[33])をほぼ無傷で鹵獲することに成功した。この機体の徹底的な研究により、零戦が優れた旋回性能と上昇性能、航続性能を持つ一方で、高速時の横転性能や急降下性能に問題があることが明らかとなり、その弱点を衝く対抗策として優位高度からの一撃離脱戦法と「サッチウィーブ」と呼ばれる編隊空戦法がアメリカ軍に広く普及することになった。”(Wikipedia 「零式艦上戦闘機⇒アメリカ軍との戦闘」より抜粋

次に挙げるとすると、ミッドウエー海戦の戦術的失敗で多くの熟練パイロットを失ったことだろう。その後、消耗戦になり生産力で劣る日本は劣勢を挽回できなくなる。 生産力で劣るのはどうしようない事実だったが、生産力があっても零戦は大量生産に向かない戦闘機だったことを忘れてはいけない。 それが最後に挙げる理由だ。

零戦は、軽量化のため機体骨格に多くの肉抜き穴を開けたり、空気抵抗を減らすために製造工程が複雑な沈頭鋲を機体全面に使用するなど、大量生産に向かない設計となっており、後のP-51と比較すると零戦の生産工数は3倍もあるのだ。 そんな戦闘機を一万機以上も作ったのだから、日本国民は凄い。 実際、後に欧州の航空史家は著作の中で『こんなややこしい飛行機を1万機以上も作ったことが驚きだ』と書いているぐらいスゴイことなのだ。

しかし、徹底した軽量化という日本の技術は戦後の自動車産業の勃興に生かされた。 アメリカの自動車会社ビッグスリーを倒産の崖っぷちに追いやった日本の軽量化・低燃費の自動車は、正に亡き「零戦」の逆襲そのものではなかろうか。 石油が豊富だったアメリカは大出力エンジン搭載の新鋭機で零戦に対抗した、そして戦後はその発想のまま自動車を生産し続けた。 ガソリンをばらまいて走るアメ車。 しかし、いつか枯渇する石油を前にして自動車は「零戦」を彷彿させる設計コンセプトが今や当たり前となった。 「零戦」を造れなかったアメリカは今もって軽量化・低燃費化に苦しんでいる。

戦争に敗れたとは言え、「零戦」の心髄は日本の戦後復興と技術にただならぬ貢献をしたのではないか…..  とかく、「零戦の栄光と悲劇」にスポットを当てがちだが、「零戦」の戦後日本への貢献をメディアがなぜ語らないのか私には腑に落ちない。 「零戦」のこころは今も日本に、日本の技術に生きているのだ。

当ブログ関連投稿記事リンク

● <零戦を祖国の空に>修復され飛行可能なゼロ戦を日本に戻そうと試みる人がいる。こういう話があったのか…(投稿日:2013/03/29)

● 「ゼロ戦」展示期間延長、8月末まで(所沢航空発祥記念館)! まだ見てない人、この機会を逃さないように… (投稿日:2013/03/24)

● 風立ちぬ⇒堀越二郎⇒零戦⇒宮崎駿監督「零戦設計者の夢」 (投稿日: 2013/07/21)

2013-8-10 追加情報

零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~前編は動画サイトwww.piedeo.netで視聴できるでようだ(8月10日現在)。 いつ削除されか分からないが、前編を見逃した方はこのリンクを試してみては http://www.pideo.net/video/youku/c034e48663aef5df/
最初に15秒ほど宣伝が入るが、そのご前編をフルで見ることができる。 以下の画像は動画にリンクしてあるので、画像クリックで動画にジャンプできる。
零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争10

2013-9-1 追加情報

零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~後編は動画サイトwww.piedeo.netで視聴できるようだ(9月1日現在)。 いつ削除されか分からないが、前編を見逃した方はこのリンクを試してみては http://www.pideo.net/video/youku/a5e7a711b62af1ea/
最初に15秒ほど宣伝が入るが、そのご前編をフルで見ることができる。 以下の画像は動画にリンクしてあるので、画像クリックで動画にジャンプできる。

零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~後編(動画)

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中