「娘の臓器受けた子、抱きしめたい」 1歳半で脳死移植 (朝日記事クリップ)|私自身、3人の子を持つ親として記事の親の気持ちは痛いほど分かる…ただ、チョットした油断が愛児を失う事になる…それを忘れてはならないと思う…

朝日新聞の今日(7月12日)の朝刊の小児臓器提供に関する記事「『娘の臓器受けた子、抱きしめたい』 1歳半で脳死移植」を読んで、私は涙を抑えることができなかった。 私自身、3人の子を持つ親として記事の親の気持ち――「娘の臓器受けた子、抱きしめたい」――は痛いほど分かる。 もしかしたら、記事のこの一節――「6月29日夕、一家が自宅のプールサイドでくつろいでいるときだった。華乃ちゃんの姿が見えないことに、妻(35)が気づいた。1~2分後、プールに浮かんでいる娘を見つけた」――を読んで一言有る方もいるかも知れない。 ただ、こう言いたい――「最初から完璧な親などいない。 子供の成長と共に成長して親になるのだ」だと。 私自身、幼いころに親がチョット目を離した隙に死ぬ目に会う事故を二度起こしたことがある、と亡くなった母に大人になってから何度も言い聞かされた。 野口英世とその母「シカ」の話の例もある。 自らの不注意だと親は一生自分を責めるものなのだ。

小山徳道(おやまのりみち)さん(33)が取材に応じたのは最愛の娘の脳死に伴う臓器移植の件だ。 小山徳道さんとその奥さんのその決断に至るまでの心の葛藤はいかばかりだったか…その当事者でなければ分からないことだ。 脳死…実は前述の私の母は54才の時に癌で亡くなった、私が26才の時だった。 最後は人工延命処置によってかろうじて生きているだけで、脳死状態だった。 脳死という事実を告げられて、家族の中で真っ先に延命処置の停止を言ったのは私である。 私は3人兄弟の末っ子なのだが、仕事を辞めて半年ほど母の付き添いをしていた。 今から30数年前の話なのだが…癌の末期を看病した私としては、脳死となれば、生きている我々の自己満足のためだけに延命することはあってはならないと思った。 継続して付き添っていなかった父と姉、兄にはなかなか理解してもらえぬことだったが。

この朝日の記事を読んで、30数年前のことが鮮やかに蘇った…どうしようもなく涙がこぼれた。最愛の家族の脳死を受け止め、決断することは余りにも辛く切ない。 私の子ども3人とも無事に成人し、長男は29才、次男は27才、一番下の娘は23才…子ども達が大過なく無事に成長したのも、亡くなった母の戒めのおかげだと思う。 今、私は58才、妻は54才…家族皆無事に今日まで生きて来られた、それだけで幸せだったのかもしれない。 朝日の記事の、華乃(はなの)ちゃんの写真は心に刺さる。 ご両親の悔しさは如何ばかりか。 そして、その愛娘の一部がある人の命を繋いで生きているとするならば…私が当事者なら…やはり私もその人を抱きしめたいと思う。 以下、朝日新聞記事のクリップ――

「娘の臓器受けた子、抱きしめたい」 1歳半で脳死移植
(朝日 2013年07月12日08時20分)

娘の臓器受けた子、抱きしめたい1千葉県出身でシンガポール在住の会社員、小山徳道(おやまのりみち)さん(33)の娘、華乃(はなの)ちゃん(1歳6カ月)が脳死と判定され、腎臓と心臓の弁が現地で提供された。歌と踊りが好きな利発な女の子だった。小山さん一家は11日、華乃ちゃんの遺骨とともに帰国した。

日本では2010年7月17日に改正臓器移植法が施行され、子どもからの臓器提供が可能になった。しかし、6歳未満からは1例だけ。今回は海外での提供だが、提供した側の家族が実名で取材に応じた例はこれまでにない。

6月29日夕、一家が自宅のプールサイドでくつろいでいるときだった。華乃ちゃんの姿が見えない娘の臓器受けた子、抱きしめたい2ことに、妻(35)が気づいた。1~2分後、プールに浮かんでいる娘を見つけた。

「はなちゃん、はなちゃん」。叫びながら、必死に心臓マッサージをした。唇は紫色。意識がない。救急車で病院に運ばれ、約40分後に心臓が動き始めた。だが、脳が激しく損傷していた。「脳死ということですか?」。小山さんの問いに、医師がうなずいた。

それでも華乃ちゃんは顔色もよく、おしっこも出ている。大好きな「いないいないばあっ!」の曲を聞かせ、手を握って励ました。

4日目、検査で脳に血が流れていないことが確認された。瞳孔も反応しなかった。医師は時間をかけて、脳死状態であることを説明した。その後、移植コーディネーターが声をかけてきた。「臓器提供に協力するお気持ちはありますか」

そういう選択肢があることを、このとき初めて知った。だが迷いはなかった。妻も同じだった。「親にとって、子どもを失うことはあまりにもつらすぎる。同じ思いをする人が1人でも減って欲しいと思った」。華乃ちゃんが痛みを感じることはないという説明も決め手となった。

頭では、娘の脳機能が戻ることはないと理解できた。でも「もしかしたら」という希望は捨てられず、脳死判定まで3日間、待ってもらった。夫婦で祈りを重ね、判定の現場にも立ち会い、少しずつ死を受け入れていった。

脳死の正式宣告は7日午前11時。「今まで本当にありがとう」と別れを告げた。深夜に臓器摘出手術が始まり、翌朝3時に終わった。心臓の弁はまだ移植されていないが、腎臓の一つは他の子どもに移植されたと聞いた。

「もし可能なら、その子に会いたい。そしてぎゅっと抱きしめて、『頑張って』と伝えたい」

【岡崎明子】

〈シンガポールの臓器移植〉 1987年に施行された臓器移植法では、21歳以上、60歳未満は提供拒否を事前に保健省に届け出ない限り、脳死も含め死亡すると自動的に臓器提供者となる。人口531万の国で、過去5年間の心臓提供数は年平均3件(日本は20件)、肝臓は15件(同26件)。子どもの提供者数は少ないという。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201307110515.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201307110515

追加記事―朝日2013年8月6日

記者有論
科学医療部・岡崎明子(朝日新聞)子どもの臓器提供 両親が込めた願いとは 岡崎明子
(朝日 2013年8月6日)

1歳6カ月の娘、華乃(はなの)ちゃんを事故で失い、臓器提供を決断したシンガポール在住の小山徳道さん夫妻はいま、一時帰国し、山々に囲まれた妻の実家で静養している。

「普通の生活に戻るには、あと数カ月は必要ですね」。そう語る小山さんを、インターネット上の中傷が苦しめている。「1歳半をプールに放置」「まだ心臓の動いてる子の臓器を強権で提供」。親の不注意を責める言葉や個人攻撃が、心に突き刺さった。

事故が起きたときの状況を、もう少し詳しく書く。数家族が集まってマンションのプールサイドで談笑する中、子どもたち7~8人が遊んでいた。大人たちが代わる代わる目をかけていたが、ほんの一瞬のすきに、華乃ちゃんがプールに落ちてしまった。

一瞬、目を離してしまったことは、悔やんでも悔やみきれない。不注意だと責めを受けるのは覚悟の上で、取材を受けたという。

なぜか。娘の事故をきっかけに、臓器移植が広がらぬ日本の現状を知り、子どもを失い、自分のようにつらい思いをする親が、一人でも減って欲しいと考えたからだ。

7月12日朝刊で記事が掲載された直後、子どもの臓器提供を行う施設に対するアンケート結果が報道された。法律が改正された2010年以降、子どもからの臓器提供は2件にとどまるが、家族から提供意思の表示があったケースは15件あった。報道されることで、提供後の生活に影響が出るのではないかと心配してやめた例もあったという。

私は1999年、臓器移植法の施行後、初の脳死移植となった事例の取材に携わった。その際、肝臓の提供を受けた男性に話を聞いた。たまたま移植前から取材していた縁だった。「本当に、ありがたいです」。以前に比べ生気を取り戻した顔を見て、移植医療のすごさを実感した。一方、提供者側を実名で報じたのは今回が初めてだった。

日本臓器移植ネットワークの調査によると、カード記入などにより臓器提供の意思表示をしている人は、6人に1人にとどまる。多くの人が、自分とは関係のない医療だと思っているのが現状だ。

小山さんが決断に至るまでの心の軌跡を読んで「もし自分だったら」と考えた親は、少なくないだろう。小山さんは「娘を救えなかった罪を、生涯背負って生きていきたい」という。彼の思いが、移植医療のあり方に一石を投じるきっかけになって欲しい。

(おかざきあきこ 科学医療部)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201308050439.html

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