東電・吉田昌郎元所長が死去、食道がんのため、享年58才【更新7/11、記事追加】

更新7/11、後段に日経記事「吉田所長の警告 混乱続く福島原発」を追加】 東京電力福島第一原発事故時の発電所長で、現場で復旧作業の指揮にあたった吉田昌郎(よしだ・まさお)元所長が9日、食道がんで死去した。58歳だった。 2010年6月から福島第一原発所長。11年3月の東日本大震災で過酷事故を起こした福島第一原発の対応や復旧作業にあたった。11年11月に食道がんで入院。12年7月には脳出血で緊急手術を受け、その後は自宅で療養していた――

東電・吉田昌郎元所長が死去1 東電・吉田昌郎元所長が死去2東電・吉田昌郎元所長が死去3以下、NHKニュースをクリップ――

東電 吉田昌郎元所長が死去
(NHK 7月9日17時15分)

東電・吉田昌郎元所長が死去(NHK)3東京電力福島第一原子力発電所の事故で現場で指揮を執った吉田昌郎元所長が、9日午前、東京都内の病院で食道がんのため亡くなりました。 58歳でした。

吉田元所長は、3年前の6月に福島第一原子力発電所の所長に就任し、おととし3月11日の事故発生から現場のトップとして事故対応の指揮を執りました。
すべての電源が失われる中で、吉田元所長は、福島第一原発の複数の原子炉で同時に起きた事故の対応に当たりましたが、結果として1号機から3号機でメルトダウンが起きて被害を防ぐことはできませんでした。 吉田元所長は、その後、病気療養のため交代するおととしの11月末までおよそ9か月間にわたって福島第一原発の所長を務め、事故の収束作業にも当たりました。 おととし12月に食道がんと診断されて所長を退任しその後、去年7月には脳出血の緊急手術を受け療養生活を続けていました。

吉田元所長は、所長在任中のおととし11月、福島第一原発の事故現場が報道関係者に初めて公開された際にインタビューに応じ、「事故直後の1週間は死ぬだろうと思ったことが数度あった。1号機や3号機が水素爆発したときや2号機に注水ができないときは終わりかなと思った」と当時の思いを語っていました。

東電・吉田昌郎元所長が死去(NHK)1東電・吉田昌郎元所長が死去(NHK)2また、去年8月に長野県の出版社が福島市で開いたシンポジウムで公開されたインタビュー映像では福島第一原発の今後について「日本だけでなく、世界の知見を集めてより安定化させることがいちばん求められていると思う。それが地元の人たちにとって改善したと実感してもらえることだ。私自身も体力が戻ったら現場で力を出したい」と述べ、復帰への意欲をのぞかせていました。

東京電力によりますと、事故発生から退任までに吉田元所長が浴びた放射線量はおよそ70ミリシーベルトで、東京電力はこれまで、「被ばくが原因で食道がんを発症するまでには少なくとも5年かかるので、事故による被ばくが影響した可能性は極めて低い」と説明しています。

吉田元所長は、9日午前11時32分に東京都内の病院で食道がんのため亡くなりました。

東京電力の廣瀬社長は「吉田さんは再び私どもと一緒に福島の復興に尽くしたいとの強い気持ちを聞いておりました。持ち前の明るい大きな声で陣頭指揮を執る姿に出会えることを心待ちにしておりましたが、東京電力の再生に向け共に働くことができず無念でなりません」というコメントを発表しました。

双葉町長「町民を代表して感謝」

東京電力福島第一原子力発電所の事故で現場で指揮を執った吉田昌郎元所長が亡くなったことについて、福島第一原発が立地する福島県双葉町の伊澤史朗町長は「原発事故からの収束に命がけで取り組んでこられたことに町民を代表して感謝するとともに、ご冥福をお祈りします」とコメントしています。
また、同じく福島第一原発が立地する福島県大熊町の渡辺利綱町長は「体調が回復してもう一度現場に戻ってきてくれると思っていただけに、本当に残念です。事故のあと直接会ってはいませんが、事故の直後には電話で『事故が起きてしまって申し訳ない』と話していて、責任感の強い人でした」と話していました。

二見元所長「命ささげて収束に当たった」

東京電力福島第一原子力発電所の所長を平成9年から3年間務めた二見常夫さんは「命をささげて懸命な作業で事故の収束に当たってくれた。彼がいなければ、もっと惨事が広がっていた可能性もあり、現場の指揮官としてよくやってくれたということばに尽きる。自分のことばで原発事故の記録を書き残したいと話していたのでそれがかなわなかったことが残念だ」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130709/k10015922331000.html

吉田元所長は福島第一原発事故の拡大を阻止した英雄だったのか? 未だ明かされない多くの事を残して亡くなられたのは甚だ残念である。 マスコミによってヒーローに祭り上げられたが、その後、政府の事故調査・検証委員会によって功罪を指摘されたのも事実である。 私個人としては、ただただ右往左往する菅直人率いる首相官邸や対応の遅い東電本社とういう状況の中で福島第一原発に留まり孤軍奮闘・陣頭指揮を執る吉田元所長なくして、あの事故の収束は無かったと思う。 功罪を問う前に、その決死の功績は素直に認めるべきではないか… 以下、Wikipedia「吉田 昌郎」を転載――

吉田 昌郎(よしだ まさお、1955年2月17日 – 2013年7月9日)

日本の技術者。東京電力株式会社原子力・立地本部担当執行役員。 東京電力福島第一原子力発電所元所長(執行役員)。所長在任中の2011年3月に東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所事故が起こり、現場で対応に当たった。

■ 人物・経歴

大阪府出身。 身長180センチ。大阪教育大学附属天王寺中学校(21期)、大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎(15期)を経て、1977年に東京工業大学工学部を卒業。高校時代は剣道部と写真部、大学時代はボート部に所属。1979年同大大学院で原子核工学を専攻。通商産業省からも内定を貰っていたが、大学の先輩の勧めで東京電力に入社。社内の評価は「豪快」「親分肌」、部下思いのため現場の信望は厚く性格はおおらかといわれている。福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所両原発の発電部保守課、ユニット管理課などを経て、2007年から本店原子力設備管理部長。2010年6月から福島第一原子力発電所所長。2011年12月1日付で病気療養のために所長職を退任し、本店の原子力・立地本部事務委嘱の執行役員に変更となった。なお、病名は食道癌。東京電力によると被曝線量は累計約70ミリシーベルトで被曝と病気との因果関係は極めて低いとしている。2012年7月30日、東京電力は26日に吉田が脳出血で緊急手術を行ったと発表した。2013年7月9日、食道癌のため死去。58歳没。

■ 福島第一原子力発電所事故への対応

東日本大震災による福島第一原子力発電所事故では事故発生当時の福島第一原子力発電所所長として対応に当たった。

  • 3月12日、海水注入開始後に、開始したことを知らされていない首相の菅直人が海水注入による再臨界の可能性について会議で取り上げたことを受けて、官邸の了承を得ず海水注入を開始したことを問題視した東京電力フェローの武黒一郎は、吉田に海水注入の中止を命じた。吉田はこの命令を受領しておきながら、独断で続行を決意し、現場の作業員に「今から言うことを聞くな」と前置きしたうえで作業員に「注水停止」を命令し、実際には注水を継続させた。(注水継続の根拠たるデータ等の客観的証拠は未だ示されず、あくまでも吉田自身の証言に基づくマスコミ報道による。)
  • 会社内では普段「親分肌」、「温厚」な性格だとされていたが、原発事故の発生後は感情を表に出すことが増えた。4月上旬、1号機の格納容器が水素爆発するのを防ぐため、テレビ会議で本店から窒素ガス注入を指示された際には、「やってられんわ! そんな危険なこと、作業員にさせられるか」と上層部に関西弁で声を荒らげた。翌日には抗議の意味を込めてサングラス姿でテレビ会議に出席し、役員らを驚かせた。一方で、免震重要棟の廊下で眠る作業員に「もう帰れ」と声をかけるなど部下思いのため、現場の信望は厚い。以前は原発のスタッフを近隣の街に連れ出し、酒を酌み交わすことも多かったという。
  • 政府の事故調査・検証委員会によると、1号機でも冷却装置「非常用復水器(IC)」が止まったにもかかわらず、吉田が稼働していると誤認して事故対応していたことや、東電の社内調査では、2008年に東電がこれまでの想定5.7メートルを上回る10メートル超の津波の可能性を検討した際に、当時原子力設備管理部長だった吉田が「学術的性格の強い試算で、そのような津波はこない」と反対し、防潮堤のかさ上げが見送られた事実が判明している。所長という立場上、施設の安全管理の責任は所長に有り、予備電源の燃料タンクを海岸沿いの原子炉建屋横に放置した責任は重く、放射線被害を拡大させた張本人でもある。

2012年6月11日、福島原発告訴団が東電役員等33人を業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで刑事告訴したが、そのなかに吉田も含まれている。
2011年4月4日夜に吉田が放射性汚染水の海洋に放出する「ゴーサイン」を出した内容を含んだ社内テレビ会議映像が2012年11月30日に公開されたが、放出までの政府と東電の経緯は含まれておらず、詳細は不明のままである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%98%8C%E9%83%8E

7/11、追加記事

吉田所長の警告 混乱続く福島原発
(日経「ルポ迫真」 2013/7/11)

7月9日夜。ひとりの男の訃報が日本を駆け巡った。東京電力福島第1原子力発電所の元所長、吉田昌郎。享年58歳。原子炉建屋の水素爆発に直面しながらも、際限のない事故拡大を食い止めようとした。未曽有の危機に向き合った指揮官は、今の廃炉作業をどう見ていたのか。

吉田所長の警告 混乱続く福島原発「もっと現実を見ろ。水が一番の問題なんだ」。東電フェローの山下和彦(57)は、吉田に怒鳴りつけられたことが忘れられない。2011年4月、本店作成の廃炉工程表を説明したときだ。事故炉を冷却して安定させることに重きを置くあまり、増え続ける汚染水への危機意識が希薄な内容だった。それから2年余り。吉田が警告した汚染水問題は混乱を極めている。

「それなら飲めるのか」。6月7日、東電常務執行役の新妻常正(58)は福島県相馬市の漁業関係者から罵声を浴びた。福島第1原発の建屋に流れ込む地下水を海に流す「地下水バイパス計画」。汚染水増加を抑える一手だが、説明会で風評被害を恐れる反発の声が噴出した。

19日、追い打ちをかける事態が発生する。海側の井戸水から高濃度の放射性物質を検出。今も井戸水から検出される放射性物質の値は上昇、海に漏れている疑いが濃くなってきた。

「地域の信頼を一気に失った。2年間が元のもくあみだ」。地下貯水槽からの汚染水漏れが発覚した直後の4月7日。社長の広瀬直己(60)は本店に緊急招集した幹部に怒りを爆発させた。3月には停電トラブルが発生。深刻な事態まで時間に余裕があると見て、公表が遅れたことが県民の不安を増幅させた。

吉田は原発事故直後の修羅場で本店とうまく意思疎通できないことに苦しんだ。そのギャップは今も残る。停電問題もそうだった。現場点検した送配電部門の社員は急場しのぎでつないだケーブルが絡み合う様にあきれかえった。送配電部門に頼らず原発部門で乗り切ろうとした“ムラ意識”が失態を招いた。

廃炉に携わる大手企業幹部は「廃棄物を処分し更地にするには5兆円はかかる」と指摘する。東電は1兆円弱を廃炉に引き当てているが、既に約3千億円使った。汚染水だけでも想定外の問題が次々と発生し、その都度費用はかさむ。

「体力が戻ったら現場のために力を尽くしたい」。病床で語っていた吉田の願いはついにかなわなかった。30~40年に及ぶ廃炉作業の入り口で、東電は足踏みしたままだ。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD1007Q_Q3A710C1SHA000/

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