「ゼロ戦」展示期間延長、8月末まで(所沢航空発祥記念館)! まだ見てない人、この機会を逃さないように…【更新6/15、記事追加】

更新6/15、記事追加】 <唯一現存する飛行可能な「伝説の名機 ― 零戦」> 埼玉県所沢市の所沢航空発祥記念館では、現在も飛行可能な「ゼロ戦」と呼ばれる旧日本海軍の伝説の名戦闘機を展示しているが、予想を超える人気を集めているとして、今月いっぱいまでの予定だった展示期間を、ことし8月末まで延長することになった。

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動画 ― 零式艦上戦闘機五二型、エンジン始動=世界で唯一、飛行可能なゼロ戦(所沢航空発祥記念館)


展示が延長されることになったのは、アメリカ・カリフォルニア州の航空博物館が所蔵し、「ゼロ戦」の愛称を持つ旧日本海軍の「零式艦上戦闘機」。 このゼロ戦は、製造当時のエンジンが搭載されたものとしては世界で唯一飛行できる状態で保存され、県営の所沢航空発祥記念館が、去年12月から今月いっぱいまでの予定で機体を借りて展示してた。 記念館では期間中、エンジンを始動させるなどの催しも行っていて、先月末までの3か月間の入館者数は例年の4倍近い13万人余りと予想を超える人気を集め、展示の延長を求める声が数多く寄せられた。

このため、アメリカの航空博物館と交渉し、機体を借りる期間を8月末まで延長することで合意した。 所沢航空発祥記念館の白砂徹事業課長は、「多くの人たちに見に来てもらい、平和を考えるきっかけにしてほしいと思います」と話している。

(参照: NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130324/k10013413571000.html

所沢航空発祥記念館の概要
1911年(明治44年)4月1日、臨時軍用気球研究会所沢試験場が開設され、幅50メートル、長さ400メートルの滑走路と格納庫、気象観測所を備えたわが国最初の飛行場が埼玉県所沢に「所沢飛行場」として誕生。 日本最初の国産軍用機である「会式一号機」をはじめ初期の飛行機や飛行船の製作、当時のパイロットの訓練等全て所沢飛行場で行われ、昭和20年の終戦を迎えるまで、所沢は日本の航空技術の発達に多大の貢献を果たした。 終戦後、飛行場は米軍の占領下おかれたが、住民の強い返還運動により昭和57年までに基地の約7割が返還さた。 一方、所沢を航空発祥の地として永く後世に伝えるため、航空資料の調査収集も始まり、平成2年11月、埼玉県立の所沢航空発祥記念館の建設に着手、同5年4月3日、開館を迎えた。 現在、飛行場跡は「県営所沢航空記念公園」として開放されている。

■ 所沢航空発祥記念館ホームページ ⇒ http://tam-web.jsf.or.jp/contx/

■ 日本の航空技術の100年展|「ゼロ戦」特別展の特設ページ ⇒ http://tam-web.jsf.or.jp/spevent/index.html

■ 所沢航空発祥記念館

● 所在地 ⇒ 埼玉県所沢市並木1丁目13 (Tel) 04-2996-2225

「ゼロ戦」展示期間延長4

● Google マップで見る

● 交通アクセス

東京駅方面より
東京駅<山手線内回り27分>高田馬場駅<西武新宿線32分>
航空公園駅<東口より徒歩8分>所沢航空発祥記念館

大宮駅方面より
大宮駅<JR埼京線11分>武蔵浦和駅<JR武蔵野線17分>
新秋津駅<徒歩6分>秋津駅<西武池袋線3分>所沢駅<西武新宿線2分>
航空公園駅<東口より徒歩8分>所沢航空発祥記念館

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追加情報6/15】   企画展「堀越二郎の生涯」(6/22~9/1)が所沢航空発祥記念館で開かれることになった。 この情報と関連記事を後段に追加した。
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追記、朝日新聞の4月1日記事・動画追加

零戦、3分間の自力走行披露 エンジン音にファン夢中
(朝日 2013年4月1日23時15分)

【平井茂雄】 太平洋戦争で旧日本海軍の主力戦闘機だった零戦で、製造当時のエンジンで飛行可能な唯一の機体が自力で走行するイベントが1日、埼玉県の所沢航空発祥記念館であり、熱心なファンが、零戦が見せた「地上の飛行」に見入った。

イベントは同記念館が開催する「日本の航空技術100年展」の一環。「機体番号61―120」と呼ばれる同機を昨年12月、所有する米カリフォルニア州のプレーンズ・オブ・フェーム航空博物館から借り受けた。展示は先月31日までの予定だったが、地元の要望などで今年8月末までの期間延長が決まり、この日の自走イベントが開かれた。

全国約2000人の応募から選ばれた約200人のファンが撮影する中、零戦は製造当時から積んでいる「栄21型エンジン」をスタート。ゆっくりと動き出すと、約3分間、重厚なエンジン音を響かせながら、プロペラの推力で自力走行した。エンジンが止まると、観客から拍手が送られた。同記念館の坪井健司館長は「貴重な機体が実際に走る姿を見てもらい、満足いくイベントになった」と話した….. http://www.asahi.com/national/update/0401/TKY201304010328.html

【動画】 飛行可能な唯一の「零戦」、所沢で自力走行


零戦、3分間の自力走行披露(朝日)1  零戦、3分間の自力走行披露(朝日)2

関連ブログ投稿記事

■ <零戦を祖国の空に>修復され飛行可能なゼロ戦を日本に戻そうと試みる人がいる。こういう話があったのか…  (投稿日:2013/03/29)

【追記、2013-3-29】 ニコニコニュースでこのゼロ戦の展示に関する詳しい記事(昨年12月)を目にしたので、クリップして掲載――

【宙にあこがれて】 第28回 零戦、最後の里帰り
(ニコニコニュース 2012年12月21日(金)16時26分)

スタジオジブリ、宮崎駿監督の新作劇場アニメが、自身のコミックを原作とした『風立ちぬ』と発表されました。零戦の設計者、堀越二郎を描いた作品です。堀辰雄の作品と同名ですが、堀越も堀辰雄の『風立ちぬ』主人公と同様、太平洋戦争開戦前後に過労から胸を患い、群馬県藤岡市の自宅で療養しています。それをふまえてのタイトルなんですね。

さて、その堀越二郎の代表作である零戦(零式艦上戦闘機)、しかもオリジナルの栄21型エンジンで飛行可能な世界唯一の機体が、現在日本に「里帰り」しています。埼玉県所沢市にある、所沢航空発祥記念館で開催中の「日本の航空技術100年展」の目玉として、12月より展示中。1日・2日には栄エンジンの始動見学会(各日3回、計6回)が開催され、その勇壮な音を響かせました。今回はその様子を中心にお伝えします。

初日である12月1日、エンジン始動見学会には多数の人が開館前から詰めかけ、各回420枚(計1260枚)の整理券を求めて、行列が記念館を取り囲みます。とにかくものすごい数でした。人が殺到して館の収容限度を超え、危険な状態になった為に整理券配布時間が繰り上げられ、しかもそれがあっという間に無くなってしまったので、配布終了後、まだ整理券があると思って会場に到着した人が、係員に抗議する様子も見られました。

今回里帰りした機体は、アメリカ・カリフォルニア州チノにある「プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes Of Fame Aviation Museum=POF)」が所蔵する零戦五二型61-120号。前述の通り、オリジナルの栄21型エンジンで飛行できる世界唯一の零戦であり、世界的にも有名です。尾翼に記された数字は「第二六一海軍航空隊の120号機」を表し、この機体の所属部隊を表しています。

機体銘板によると、零戦五二型61-120号は1943(昭和18)年5月、群馬県の中島飛行機小泉工場(現:パナソニック東京事業所)で製造された、中島第2354号機(三菱製造分と中島製造分は、別々に製造番号が振られている)です。機体の外側には「第5357号」と書かれていますが、これは捕獲(鹵獲)された際に実際の製造機数を敵に知られない為の「欺まん数字」です。撃墜マークは演出で、実際のものではありません。定期的な塗り直しのたび、微妙にパターンが変化しており、かつては国籍章(日の丸)の後ろに二重の山形帯(シェブロン)が描かれていました。現在の航空機登録記号「NX46770」の書体は、日本をイメージしたといわれる「バンブー」が使われています。この書体は、日本に拠点を置く米海軍機の所属表記にも使われているもの。また、主脚格納部などの内装色である「若竹色」の再現もなされていません。

五二型という表記は原型を「一一型」とし、前の数字は機体の仕様変更の回数、後ろの数字はエンジン変更の回数を示したもの(四は「死」に通じるので飛ばして五に)。萱場製作所(現:KYB)製の主脚柱についている製造銘板には「零式2号艦上戦闘機3型」とありますが、これはエンジンを栄21型に変更した零式2号艦上戦闘機(三二型以降)の3番目の型(三二型、二二型に続く)という意味です。海軍では二種類の呼称が使われていました。

製造後、1943年6月に鹿児島基地で編成された第二六一海軍航空隊(通称:虎部隊)に配備。部隊の移動に伴い、千葉県の香取基地から硫黄島を経由して、1944年2月末にサイパン第一基地(後のアスリート飛行場)に進出します。以降、ここを拠点にパラオやペリリュー島などの防衛戦に従事していました。

1944年6月18日、アメリカ海兵隊がこのサイパン第一基地(アスリート飛行場)を奪取します。この際、他の11機と共に61-120号は鹵獲されました。第二六一海軍航空隊自体は、6月11日のサイパン迎撃戦で8機が出撃し、無事だった3機はサイパンに着陸できずグアムに退避して、以後グアムに拠点を移しています。鹵獲された機体は、何らかの原因で稼働できないものだったようですね。実質的に放棄された機体だった為、ほぼ無傷で米軍の手に渡ったようです。

米軍の手に渡った機体は4機が再整備され、海軍と陸軍航空隊に2機ずつ研究用として配分されました。海軍所有となった61-120号は、1944年8月23日からメリーランド州のパタクセントリバー基地で、米英の海軍・海兵隊と民間のパイロットによってテスト飛行が繰り返されます。テストパイロットの一員として、ニューヨーク~パリ間無着陸飛行で知られるチャールズ・リンドバーグも、1944年10月18日にこの機体を操縦しています。テスト終了後の1945年1月11日にはサンディエゴのノースアイランド基地に移され、前線兵士の敵機教材用として使用されました。米軍に鹵獲されてから廃用となるまで、190時間あまり飛行しています。

61-120号は1951年、余剰物資のスクラップとして売りに出されます。それをPOF創設者のエドワード・T・マロニーさんが買い取り、自身が1957年に設立した航空博物館(POFの前身)に展示することになりました。博物館が現在地に移動した後の1973年から飛行可能な状態へと修復を開始し、1978年6月28日に完了。再び空へと舞い戻ったのです。

過去に、修復完了直後の1978年と1995年の2回、日本への里帰り飛行ツアーを行っており、これが3回目の里帰り。ただ、機体とエンジンの老朽化が激しくなっており、日本への里帰りはこれが最後になるだろうとのこと。

当初は夏に来日する予定だったのですが、アメリカ政府の輸出(国外への運び出し)許可がなかなか下りず、関係者をやきもきさせました。ようやく10月5日に許可が下り、10月24日にPOFを出発、11月26日に所沢へやってきました。POFでは毎月第1土曜日に「LIVING HISTORY FLYING DAY」という、テーマを決めて所蔵する機体を飛行させるイベントを開催しており、実は12月1日は真珠湾攻撃にちなんだ「日本軍機の日」で、そこで61-120号が飛行する予定になっていたのです。POF側が「東日本大震災の被災者支援の為に」と、予定を変更してこの来日が実現しました。ちなみにPOFの「日本軍機の日」では、九九式艦上爆撃機のレプリカが代わりに飛行したそうです。

11月26日・27日には、梱包を解いて解説を聞きながら組み立てを見学する、事前申込式の「組み立て見学会」を実施。200人の定員に対し1200人の応募が殺到するという人気で、参加費の3000円は、全額東日本大震災の義援金となりました。

今回はPOFから3人のスタッフが来日。このうちのスティーブン・ヒントンさんは1995年の里帰りツアーでも来日し、零戦を操縦してP-51Dムスタングと共に日本の空を飛んでいます。「日本の航空技術100年展」の監修者である東大大学院教授、鈴木真二さんも栄エンジンの音を聴くのはこれが初めてということで、感慨深げな表情を見せていました。

戦時中は、エンジンカウル下部にクランクハンドルを挿入してエナーシャ(慣性始動機)を回し、規定回転数に達した時点でプロペラ軸に接続(コンタクト)することでエンジンを始動していましたが、修復時に利便性を考えセルモーター(部品の規格が共通なP&W・R-1830ツインワスプのもの)を装着したので、外部にバッテリーをつないで始動させます。台車に載せられたトラック用のバッテリーが接続されるのは、ちょっとシュールな状況でしたが……。

数回プロペラが回転し、栄が目を覚まします。星形複列14気筒、28リッターの鼓動です。10分ほどの運転でした。

地上運転のみなので、オーバーヒートを防ぐ為カウルフラップは全開位置。アイドリング(1200rpm未満)から離昇出力付近(1700rpm~2000rpm)まで回転数を上昇させます。POFでは貴重な栄エンジンの保護の為、出力を最大でも80%(本来の離昇回転数は2700rpm)に制限して運用しています。個人的な感想ですが、1995年の里帰り飛行で聴いた時よりも、エンジンはよく回っているように感じました。1995年の時は、もう少しバラバラとした音だったので、17年前よりもさらに良く整備されているのでしょう。

ただ、日本機の欠点と言われているオイル漏れについてはやはり防げず、運転を終えた機体を見ると、プロペラにはガバナー(ピッチ調整機構)から漏れ出たオイルが黒い筋を作り、機体下部のオイルクーラーからもポタポタとオイルが垂れ落ちていました。

エンジン始動見学会は各420人の定員制ですが、それ以外の時間帯は自由に見学できます。全国から多くの人が訪れ、1日は約4000人、日曜の2日には約6000人の見学者で賑わいました。

その中には、かつて中島飛行機太田工場で生産に従事していた82歳の男性、そして栄エンジンの主任設計者である小谷武夫の娘さんの姿もありました。POFのスタッフも、修復作業で零戦設計者である堀越二郎の助言を受けた経験はあったものの、栄エンジンの生みの親である小谷武夫の親族に会ったのは初めて。彼らも感激していました。零戦は人を呼び寄せるんですね。

現在は屋内展示に移行していますが、昨年同時期の3倍に及ぶ来館者で賑わっているそうです。「日本の航空技術100年展」は、来年3月31日まで開催中。会期最後となる3月30日・31日には、再びエンジン始動見学会が予定されています。最後となる栄21型のエンジン音を聞きに、所沢へお出かけになってみてはいかがでしょうか。

http://news.nicovideo.jp/watch/nw468224


追記、2013-6-16】 所沢航空発祥記念館で、生誕110周年記念企画展「堀越二郎の生涯」(6/22~9/1)が開かれることになった――

堀越二郎の生涯企画展今年は零戦の設計者として有名な堀越二郎の生誕110年に当たる。堀越は、少年時代に航空の道を志し長じて後、東大航空学科に学び、三菱重工業に入社して試行錯誤を経ながら七試・九六艦戦、零戦、烈風等の設計を担当して世界的に知られる存在となった。
特別展では、群馬県藤岡市の生家及び東京の自宅に残されていたゆかりの資料の展示を通して、理想の機体を製作すべく精力を傾けた設計上の工夫の軌跡を辿ると共に、従来あまり語られることのなかった彼の人間像についても紹介し、日本の航空発展期における航空技術者の実像を伝える内容。

今年5月、堀越二郎の自宅で発見された、没後31年間封印されてきた貴重な資料の数々が初公開される。

1  内 容(主な展示物)
・零式艦上戦闘機五二型(米国PLANES OF FAME所蔵)
・零戦関係未公開資料(機体図、海軍極秘資料、三菱手帳、著書原稿他直筆資料)
・未公開図面(幻の戦闘機「烈風」パーツ図)
・愛用の帽子、計算尺等
・堀越が少年時代に愛読していたと思われる雑誌「飛行少年」大正4年11月号
・航空技術者となった堀越が原稿を寄稿した雑誌「飛行日本」昭和18年10月号
・堀越が製作に関係した「零戦」「九六艦戦」「烈風」「雷電」等の機体のプラモデル
・秘蔵写真を使用した年表
2  開催期間  : 6月22日(土)~9月1日(日)
3  開館時間  : 9:30~17:00(入館は16:30まで)
4  休館日    : 月曜日(月曜日が祝日に当たる場合は翌平日)
*8月5日(月)・12日(月)・19日(月)は臨時開館

この特別展と新たに発見された資料に関する読売新聞の報道記事――

零戦開発メモや機体図を初公開…所沢航空記念館
(読売 2013年6月15日14時06分)

零戦の開発メモなど貴重な資料(読売13-6-15)旧日本軍の戦闘機「零戦(ゼロ戦)」の設計責任者・堀越二郎(1903~82)の未公開資料などを紹介する企画展「堀越二郎の生涯」が22日、埼玉県所沢市の所沢航空発祥記念館で始まる。開発メモや機体図などを初公開する。企画展は、同館が公開中の零戦を、設計責任者である堀越二郎の遺族が見に来たことがきっかけとなった。

堀越は群馬県藤岡市の生まれ。三菱重工業の技術者として、旧海軍の戦闘機「九六艦戦」「雷電」「烈風」などのほか、戦後は旅客機「YS―11」の開発にかかわった。

同館は昨年12月から今年の8月末まで、当時のエンジンで唯一飛行可能な零戦を展示している。そんな中、今年3月に都内に住む堀越の長男・雅郎さんが来館した。見学後、「自宅に当時の資料がある。散逸させたくないので、寄贈したい」と申し出があった。

雅郎さんは5月、屋根裏にある資料を段ボール13箱にまとめ、今月5日に同館へ渡したという。東大大学院の鈴木真二教授(航空宇宙工学)の協力で資料を精査したところ、1935年(昭和10年)頃の「九六艦戦」から戦後のYS―11にかけての開発資料と判明した。

終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は旧軍の航空機関連の資料の焼却を命じた。このため、現存する関連資料は「極めて少ない」(同館)というが、今回確認された資料は1000点以上とみられる。

手帳には各戦闘機の開発会議の議事録が克明にメモされていた。零戦開発の試験飛行を担当した横須賀航空隊(神奈川)のテストパイロットと、操縦性や飛行性能をやりとりしたメモも多数見つかっている。

零戦の後に登場する雷電、烈風の開発メモには、速度や上昇能力、航続距離などの数値には、必ず零戦の性能との比較があり、「零戦を基準に他の戦闘機を開発していた様子がうかがえる」(同館)という。

企画展は9月1日まで。入館料は大人500円、小中学生100円。零戦の見学は別料金。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130614-OYT1T01557.htm?from=ylist

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