<角栄氏の愛情 – 豪胆さの裏、悩める男>(朝日 ザ・コラム 6/17) おぼっちゃん、市民運動家、どじょうが首相では…故・田中角栄が今の時代に居てくれればと思う人はかなりいるだろう…

「功罪、あい併せ持つ」と評されがちだが、田中角栄氏の生きた時代のなせる業(わざ)だと私は思う。 おぼっちゃん、市民運動家、どじょう首相と続き混迷を深める日本…いらだつ国民。 故・田中角栄の如き電光石火の決断、実行、そしてその説得力のある国民へ語りかける演説を出来る政治家はいない。 確かにあういう政治家、総理大臣を知る者にとって今の政治家はネズミの糞ほどに小粒に見える。 角栄さん、日本はどうなるんだろう… 今日の朝日新聞の「ザ・コラム」、興味深く読ませてもらった。

ザ・コラム (朝日新聞 2012-6-17 クリップ)

角栄氏の愛情  豪胆さの裏、悩める男

「私なんか出来そこないで、何をやっても必ず誰かを湯つける。男を選ぶのも下手で、ガーッと惚れるのは妻のいる男ばっか。今までよく生きて来られたものです」

漫談師ゆ法的な抑揚をつけて、田中角栄元首相の非嫡出子である佐藤あつ子さん(54)は来し方をふりかえった。母は、一昨年亡くなった「越山会の女王」佐藤昭子さん(享年81)。母との葛藤の歳月を赤裸々につづり、「昭 田中角栄と生きた女」(講談社)として刊行した。

初対面だったが、独特の話術に引き込まれた。自分の失敗をだれか愚かな他人の経験談のように活写して笑い飛ばすのだ。

子どものころ、「沢田研二のファンです」と言えば、母の手配ですぐサイン色紙が届く。金沢へ旅すれば、母が地元議員に手を回して豪壮な旅館をあてがわれる。「どこへ行っても母が万事整えてしまい、日本全国・田中派めぐりの旅になる。まともな子には育ちませんよね」

生まれたのは昭和32年、父は郵政相だった。幹事長就任が7歳で、首相になった日はまだ14歳の中学生だった。父が政界を駆け上がるにつれ、母は権勢をふるった。「自宅に議員や記者が押し寄せる。母は阿諛追従(あゆついしょう)に慣れ、私は母に反発しました」

母の望みで入った慶応大を2年で中退。酒におぼれ、恋に破れた。若手議員に嫁がせようとする母に、「あんたなんか田中角栄の愛人じゃないか」と言い返した。

対照的に父との思い出は甘くやさしい。会えば必ず娘の頭を腕で抱え込み、「こらあ勉強しとるか」。おりおりに昧のある手紙をくれ、自殺未遂を起こすと「人世は仲々思うようにも行かぬものだが、その中で自分をみい出し人聞は成長して行くものです」と励まされた。

「オヤジほど私を愛してくれた男はいません」と娘はしみじみ語る。写真を載せない決まりの当欄だが、お借りした秘蔵写真を特別にご覧いただきたい。

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元首相の功罪を論じたいわゆる「角栄本」は世に百冊を下らない。今回ざっと読み直して、その女性関係には改めて驚かされた。わりない伸になったのは5人や10人ではなかったようだ。印象深いのは、夫人(目白)、芸者(神楽坂)、秘書の佐藤昭子さん(赤坂)の3軒を巡るかいがいしい姿だ。角栄氏は行く先々で家族だんらんを同じやり方で演じ切る。子どもに記念切手を与え、濃い口のすき焼き鍋を囲むのだ。

比べるのもおこがましいが、私などは妻一人で正直もういっぱいいっぱいである。同じ男に生まれて、この活力の差はどこから来るのか。角栄氏の権力欲や金銭欲なら専門家はいるが、女性関係の分析となると尋ねる先が思い浮かばない。考えあぐねた末、私は鳥類学の権威を訪ねた。

配偶パターンに詳しい山階鳥類研究所名誉所長の山岸哲さん(73)。「角栄さんは一夫多妻向きのオスです。一等地に豪邸を構え、生活費をたっぷり払う男性は、安全な場所に立派な巣を構え、餌をきちんと運ぶ鳥のオスと同じ。もてるのです」

角栄氏的な鳥の例として山岸さんはオオヨシキリを挙げた。もてるのは動きが迅速で年齢の高いオス。真っ先に安全な場所に陣取り、そこで第一夫人、第二、第三と巣を構える。第一とそれ以外では運ぶえさの量に差をつけるというから芸が細かい。

聞いてみると、山岸さんは長年の角栄ファンだった。中学教師出身で、観察成果が認められて京大教授に至った経歴から「鳥類学界の角栄」と評され、親近感を抱いてきたという。佐藤さんの「昭」の前には、神楽坂の芸者さんの著書も読んでおり、角栄氏の配偶関係に詳しい。

「そりゃ私も男ですから、若い頃は女にもてたいと思いました。でもこの年になる一と角栄さんをうらやましいとは全然思いません。身がもちませんから」

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このところ角栄待望論をしきりに聞く。成果らしい成果を出せないまま首相が1年刻みで交代する昨今、角栄流の突破力を期待する声はひときわ高い。狂乱物価やロッキード記憶はあっても、党内抗争を勝ち抜いた強靭(きょうじん)さ、日中国交正常化で見せた果断さが、昭和の脳裏に刻まれているのだ。

直筆の手紙を何通か拝見して驚いたのだが、豪胆に見えて角栄氏、実は愛人から詰め寄られて悩みに悩む男だった。別れを切り出されると「君程(ほど)の悧口(りこう)な女は初めてである。代議士をやめてもよい」。家を買ってと迫られると、「六千万円程(ほど)の借金が」と買い渋る。認知しなかった娘の先々を案
じて「三日ばかりよくねむれない」と書いた手紙もある。

もしかすると、込み入った情愛関係がもつれ、あっちもこっちも幸せにしなくてはと駆けずり回る聞に、角栄氏は常ならぬ解決力を身につけたのではないだろうか。選挙が近くなくても大金を手もとに置いておく習慣も、もとをただせば女性ゆえだったかもしれない。

「ふびんな子」と父が心配した当の佐藤あつ子さんから起伏に満ちた話を伺いながら、私はそんな想像をめぐらせた。

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