<政治スキャンダルに揺れる中国~権力闘争の内幕~>クローズアップ現代・5/21夜7時30分。空前の政治スキャンダルに揺れる中国共産党。重慶市トップ薄煕来氏の突然の失脚、権力闘争の知られざる舞台裏..

空前の政治スキャンダルに揺れる中国共産党。 重慶市トップ薄煕来氏の突然の失脚、権力闘争の知られざる舞台裏に迫る。

クローズアップ現代 No.3200
2012年5月21日(月)夜7時30分~7時56分

政治スキャンダルに揺れる中国
~“権力闘争”の内幕~

中国共産党がいま、空前の政治スキャンダルに揺れている。重慶市のトップを務め、カリスマ的なリーダーとして人気を誇っていた薄煕来氏が突然失脚。妻による英国人ビジネスマンの殺害や自ら職権を乱用した汚職など様々な疑惑を報じられ、公の場から姿を消した。その背後には、秋に行われる最高指導部の交代をめぐる熾烈な“権力闘争”があるという。薄氏は「格差是正」を目指す独自の経済政策を掲げ、革命歌を歌い毛沢東時代を回顧するイベントを開いて、大衆に絶大な人気を得ていた。しかしこうした動きが警戒され、権力の座から追い落とされたのだという。最高指導部の交代を控える中国は、どのようにしてリーダーを選ぶのか。“権力闘争”の知られざる舞台裏に迫る。

http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei/index_yotei_3200.html

◇    ◇     ◇

重慶の変」 

2月に起きた中国・重慶副市長による米国総領事館駆け込み事件は、同市の薄熙来共産党委員会書記の解任に発展。西南部の主要都市を揺るがしたスキャンダルは、薄氏が中央の政治局常務委員入りを目指していたとされることから、今秋に予定される10年に一度の指導部交代を前にした党内の暗闘が背景にあるとの指摘も出ている。江沢民前国家主席の「上海閥」や現職胡錦濤氏の「共青団」、次期主席と目される習近平副主席らの「太子党」など、派閥争いは中国政治の“恒例行事”だが、薄氏失脚には英国人ビジネスマンの不審死などが絡み、怪異な様相を呈している。

渦中の薄熙来氏

中国共産党は、重慶市党委員会書記の職を解かれた薄熙来氏が共産党中央の要職も事実上解任され、また同氏の妻、谷開来氏も英国人ビジネスマンのニール・ヘイウッド氏殺害容疑で拘束されたことを明らかにした。

▼     ▼     ▼

中国政府が警戒した薄熙来氏と軍のつながり
(Wall Street Journal 2012年5月20日13:19 JST)

【北京】今年の2月初旬、当時重慶市党委員会書記だった薄熙来氏は自らの政治基盤から640キロも離れた昆明の軍事施設を訪れた。そこは薄氏の父親が1930年代に率いたゲリラ部隊の伝統を直に受け継ぐ第14集団軍の本拠地だった。

その基地には薄氏の父親、薄一波氏の蝋人形が展示されている。薄氏がそこを訪れたのは「革命家だった先祖たちを懐かしむため」だったと人民日報は報じている。しかし、共産党や軍部の高官によると、中国の政治的指導者たちはこの一件をもっと憂慮すべき事態と捉えていたようだ。

薄氏は深刻な政治的問題を抱えていた。2月2日には重慶市の公安局長、王立軍氏を更迭した。その王氏は2月6日、成都市の米総領事館に駆け込んだ。薄氏は王氏を奪回しようとし、管轄区域外に警察官を派遣するという越権行為を犯した。北京に身柄を移送された王氏は、国家安全部に対し、英国人実業家殺害への妻の関与を含む薄一族にとって不利な申し立てをした。

共産党や軍部の高官によると、薄氏はキャリアの危機に際し、雲南省の基地を訪れることで革命家の家系を誇示し、人民解放軍から政治的支持を得ようとしたらしい。ある軍の高官は「薄氏の雲南省訪問には最高幹部も不意を突かれた」と話す。

中国では、この20余年で最悪の政治危機とされるこの捜査では、薄氏の軍とのつながりと異常な警察力の行使が焦点となっている。この顛末は秋に予定されている中国最高指導部の交代の内容にも影響を与えかねない。

 この状況に詳しい政府や軍の高官、外交官などによると、薄氏とのかかわりについて少なくとも2人の軍幹部が取り調べを受け、その他の上官についても厳しい目が向けられているという。

アナリストたちは、この秋に共産党総書記を、来年3月に国家主席を退任する予定の胡錦濤氏が、この混乱のせいであと1~2年、軍部を統括する中央軍事委員会の主席であり続ける可能性が高いとみている。

中国政府は先月、一時は中国の最高意思決定機関である政治局常務委員会入りも最有力視されていた薄氏が党中央の要職を解任され、詳細不明の「重大な規律違反」で取り調べを受けていると発表した。政府はまた、薄氏の妻が、薄一族と親しかった英国人実業家ニール・ヘイウッド氏殺害の容疑で拘束されていることも明らかにした。

影響力がある政府系シンクタンクに勤めるある党高官によると、薄氏の重慶市党委員会書記解任が発表された党の会議で主な懸念事項の1つに挙がっていたのが、薄氏の基地訪問だったという。通常、文民政治指導者が軍の基地を訪れることは厳しく規制されている。

長年にわたり、中国人民解放軍(PLA)と共産党の関係は政治的に慎重な対応が必要な状態にある。本来、党中央指導部の命令に従うというが、PLAの設立原則だ。党はこの数十年間にわたり、かつては蔓延していた軍の地域や派閥への忠誠を抑え込もうとしてきた。薄氏の昆明訪問が物議を醸したのは、キャリアの危機に瀕していたにもかかわらず、同氏が家系のせいで軍の一部から支持されているということを示していたからである。

今年3月に薄氏解任のニュースが流れると、クーデター計画があるという噂が一時的に広まった。ツイッターに似たブログ投稿サイトでは北京中心部での発砲事件、路上にあふれる軍事車両や私服警官といった証拠がない情報が飛び交った。

薄氏の一件に詳しい政府や軍の高官、外交官などは、クーデターの噂は的外れだという。薄氏とのかかわりで取り調べを受けたのは、PLAの総後勤部(兵站部)の政治将校、劉源氏と核ミサイルを管理している第2砲兵部隊の政治将校、張海陽氏である。両者は政治将校として、人事、懲戒、政治教育などの責任を負い、軍司令官と同等の地位にあった。

 ある軍の高官によると、2人の政治将校については「薄氏の解任以来、薄氏とはどういうつながりがあるのか、誰に対して忠誠を誓っているのかという疑問が持ち上がっている」という。

PLAと中国国防省は2人の政治将校についてのコメントを避けた。

父親たちが1949年の共産党政権樹立に貢献しているため、2人の政治将校は薄氏と同様、エリートグループ「太子党」に属している。両将校と薄氏とは幼なじみだった。

政府や軍の高官、外交官などによると、特にかつて薄氏が管轄していた重慶を含む成都軍区のその他の軍高官たちには、現在の文民指導部への忠誠を明言することが求められたという。

薄氏を巡る騒ぎは、この秋に予定されている軍指導部の交代にも影響を与えかねない。新たな最高指導部が発足するのに加えて、共産党は中央軍事委員会の12人中7人を交代させる予定である。薄氏の件で取り調べを受けた2人の軍高官にも昇格してその委員会に入り、総政治部の主任になる可能性すらある。その地位ではとりわけ軍内部の懲戒と政治教育を扱うことになるのだ。

影響は習近平副主席にも及ぶかもしれない。やはり太子党に属する習氏は、秋には共産党総書記を、来年3月には国家主席を胡錦濤氏から引き継ぐことになっている。習氏は現在、中央軍事委員会の副主席でもある。胡氏が中央軍事委員会主席の座を維持すれば、習氏の権限の大きさは抑制され、気に入っている将校を昇格させる能力も制限されることになる。

今回のスキャンダルは、軍が創立以来そうしてきたように共産党に従い続けるべきか、それとも国に忠誠を誓って政治から距離を置くべきかという軍内部の議論をも激化させ得る。

5月15日付の解放軍報の社説は兵士たちに対して、PLAの国軍化を求める声に直面しても「躊躇したり動揺したりせず、明確な態度を示せ」と呼びかけ、「軍はいつでも党の命令に従う」と強調した。

230万人という兵力を備えた世界最大の常備軍であるPLAの支配は、共産党の権力支配をずっと支えてきた。毛沢東元主席の有名な言葉に「政治権力は銃身から生じる」というのがある。薄氏の父親も含め、共産党の初期の指導者には元軍司令官が多くいた。

毛沢東氏の死後、それ以前の時代に見られた暴力的な権力闘争を防ぐ狙いもあって軍部は共産党指導部の中心から外れた。それと引き換えに、軍部は実業界に入ることを許された。軍部はナイトクラブ、製薬、ホテルなどを含む商業帝国をあっという間に築き上げた。

1998年、江沢民国家主席は近代的な戦闘部隊になることを可能にする毎年の軍事予算の大幅増加と引き換えに、事業からの撤退を命令した。

ところが軍事アナリストによると、PLAはこの10年ほどで事業活動を再開し、特に軍用地の開発を手がけるようになった。PLAは特に米国との関係、近隣諸国との領土問題などに関する政策立案にもより積極的に参加するようになった。軍部が事業と政治の両方に関わることについては、共産党も神経をとがらせている。

 広大なPLA駐屯地と武器が設計されているPLA後勤工程学院がある重慶市では軍部が大きな位置を占めている。重慶市党委員会書記で政治局員でもあった薄氏はたまに地元や全国区の軍事関係者と接触したとしてもおかしくなかった。

昨年11月に重慶のホテルの部屋で遺体で発見された英国人実業家ヘイウッド氏はある友人に次のように語っている。「薄氏は定期的に軍高官を自宅に招き、今の政治的指導者たちを弱腰だと批判することが多かった。薄氏は人々が思っているよりもずっと軍国主義者である」

現時点で問題となっているのは、薄氏が自らの物議を醸すような政策や切望していた政治局常務委員会への昇格のために軍高官たち――特に太子党仲間――の支持を取り付けようとしていたことが行き過ぎだったかどうかである。

薄氏と同氏の仲間たちは経済や社会への国の積極介入を基礎とした中国の開発モデルを推進していた。その成功はインフラ整備、注目を浴びるようなギャングの撲滅、1950年に作られた革命の歌を大勢で歌うことを中心とした毛沢東主義の復活などに多額の資金を詰め込むことにかかっていた。

当時の国営メディアによると、こうした政策を掲げてから、薄氏は2009年に重慶で張氏を含むPLAの将校の子女200余名のために革命の歌のコンサートを開催した。

薄氏の下で働いていた市の幹部によると、同氏は軍管区に住み、重慶市にいるときはそこをめったに離れなかったという。また薄氏は2011年、軍の要求に応じて重慶市内にヘリコプター産業を興すために多額の公的資金を投入した。

昨年11月、薄氏が重慶で梁光烈国防相も参加する軍事演習を主催した。国営メディアによると、演習が終わった後、薄氏は招待客のために革命の歌のパフォーマンスも披露したという。

薄氏の政敵たちは、薄氏がこうした活動で軍の支持を拡大させていることに警戒感を強めていった。公安局長による米国総領事館への駆け込みと薄氏の強硬な対応は、ライバルたちに同氏の政治家としてキャリアを破滅させ、その政府モデルの信頼性を損なわせるのに十分な材料を与えてしまった。

胡錦濤国家主席はこのスキャンダルを機に軍に対する権威を回復させた。薄氏への捜査が発表されてから4日目の4月10日、中央軍事委員会の郭伯雄副主席が成都軍区を訪れて共産党中央指導部の規則を厳密に守ることを求めた。

 郭氏は軍高官や兵士は「いかなる政治的な噂も聞かず、信じず、広めず、政治的自由主義に対しては厳密に警戒するということ」を学ぶきだと述べた。

このスキャンダルによって軍内部での太子党の急激な台頭がクローズアップされたことで、そのような政治的血統を有していないことや、PLAの事業参加についてもその他の高官の不満は募っていった。

当局の取り調べを受けた政治将校の1人、張海陽氏は現在62歳、父親は中央軍事委員会の副主席だった。2009年の終わりに第2火砲部隊への配属を命じられる前、張氏は成都軍区の政治将校だったこともあり、薄氏の政治領域と近い場所にいた。

こうして張氏は、薄氏の物議を醸すような政策を公に支持する著名な軍高官の1人になった。張氏は、かつて資産家だった人物から、同氏の在任期間中、薄氏の組織犯罪撲滅運動で標的にされた地元実業家たちから押収した資産に成都軍区がかかわって利益を上げていると非難されてもいる。

不動産デベロッパーのLi Junはインタビューで、重慶市の沙坪ハ区の110エーカーの土地を軍から購入したと語った。元軍人の同氏は2009年1月の終わりまでに3億2400万元(5120万ドル)を軍に支払うことになっていたが、最終的に支払ったのはその期日をとっくに過ぎた同年6月のことだった。

同年12月、Li氏は重慶公安局に組織犯罪、契約詐欺、不正入札、贈賄などの容疑で逮捕された。その約3週間後、成都軍区がLi氏を新たに起訴し、同氏の身柄は拘束されてしまった。Li氏が提供した書類には、軍区の「政治安全部」という署名が入っている。

尋問者の話では、Li氏は子供の頃から薄氏と親しかった張氏を怒らせてしまったらしい。同氏は支払いの遅延に対する賠償として4000万元を支払うことに合意してようやく解放された。再逮捕されるという情報を掴んだ後、同氏は中国を脱出したという。以来、地元の当局が同氏の会社Junfeng Groupを乗っ取ってしまった、と同氏は証言する。

成都軍区、PLA、国防省、公安局などはすべてLi氏の証言に対するコメントを差し控えている。

同氏がかつて所有していた企業Junfengのウェブサイトにはその本社の住所として、成都管区の資材調達所の重慶支部と同じ住所が記載されている。その支部の高官は「その会社の土地はすべて売った」と言ったが詳しい説明はしてくれなかった。

同社のウェブサイトによると、その住所には今やJunfengによって開発された豪華な別荘が建っているという。Junfengの営業担当者は、同社がもはや成都軍区でなく、地元政府の支配下にあると教えてくれたが、それ以上のコメントはしてくれなかった。

Li氏の一件に詳しいある人物は「民間人の問題に軍がここまで関与してくるケースは、いくら中国でも非常にまれだ」と述べている。

当局に取り調べを受けたもう1人の軍高官は、毛沢東主席に粛清され1969年に獄中で死去した劉少奇元国家主席の息子、劉源氏である。現在61歳の劉源氏は習近平国家副主席の幼なじみで、個人的なつながりがあると考えられている。

劉源氏は1950年代にエリート校として有名な北京市第4中学に薄氏とともに通っていた。2007年、同氏は薄氏の父親の葬儀にてその他の太子党の仲間と写真に納まっている。

薄氏と同様、劉源氏は汚職を糾弾してきた。概要を把握している人物によると、今年1月、同氏は他の軍高官数百人を前にしてPLAの汚職の根絶を約束するスピーチをした。

今年初め、同氏は軍用地、補給品、汚職疑惑などを扱う後勤部副部長の谷俊山氏を解任した。この件についてPLAと国防省にはコメントを依頼したが、返答はなかった。

軍事の専門家は当時、劉源氏が中央軍事委員会入りをも決定付けるPLAの総政治部主任に任命されることを目指しているようだと話していた。

非太子党員よりも出世階段を早く上がり、同僚の合意を得ることなく谷氏を標的にし、国内政治に影響を与えようとしたことで、同氏は他の軍高官を敵に回してしまったと考えるアナリストもいる。

「劉源氏はすでに政治的に危うい状態だった」と話すのは米海軍大学の中国軍専門家、Nan Li氏。「王立軍事件が最後の決め手になったのかもしれない」

劉源氏は昨年出版されたある本の序文で、父親によって提案された概念「新民主主義」への支持を熱く主張したことでも論争を巻き起こした。

その本を書いた著名な文化人、Zhang Musheng氏も薄氏の「重慶モデル」を擁護してきたが、薄氏の失墜以来、明らかに沈黙している。

Zhang氏は先月、米国のある会議で「新民主主義」について話すことになっているとインタビューで語っていたが、タイミングが微妙すぎるという引退した軍高官のアドバイスを受けてキャンセルしてしまった。同氏は薄氏の解任やそれが劉源氏に与えた影響についてコメントすることを拒否した。

Zhang氏は「この件では騒ぎ立てない方が身のためだ」と言って電話を切った。

http://jp.wsj.com/World/China/node_445509

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中