消えゆく政党へのレクエイム<民主党政権・失敗の本質>(4)政府と与党 一元化の幻…朝日が連載した特集記事、紙面版クリップ(最終回)

民主党政権・失敗の本質(1)に関し財務省は朝日新聞に抗議していたが、返答がないのでその抗議文を財務省HPに掲載し公表した。 極めて異例な事だそうだ。 財務省の抗議はここに掲載されいる<http://www.mof.go.jp/public_relations/ohter/20120501_asahi.html>。 そこには4月5日の抗議文と4月13日の抗議文のPDFが掲載されている。 皆さんそれを読んで見た方がいい、朝日vs財務省、何が本当なのか?

財務省がケチを付けているのは「民主党政権・失敗の本質(1)」だけだ。 そこには財務省にとって都合の悪いことが一杯書いてある。 財務省は「民主党政権・失敗の本質(2)~(4)にはケチを付けていない。 私にとってはどうでもいいことだ。 民主党政権という実体のない「政策無き、烏合集団」が国民を相手に詐欺を働いたことに変わりはないのだから。

「消えゆく政党へのレクエイム」と付け加えたのは私である。 朝日の記事にそんな言葉はない。 割と民主党寄りだった朝日が「民主党政権・失敗の本質」と題して連載した記事を読み、これは朝日の決別の意思表示であり、また、消えゆく政党への「葬送」の記事と受け取ったので私が勝手に付け加えたものだ。 「消えゆく政党へのレクエイム」とはネット・流浪のブロガーが民主党に「送る言葉」である。

「民主党政権 失敗の本質」(1) 「脱官僚」の裏で握手   (2012-4-5)
「民主党政権 失敗の本質」(2) マニフェスト文化 挫折    (2012-4-6)
「民主党政権 失敗の本質」(3) 年金争点化 遠のく改革  (2012-4-7)
「民主党政権 失敗の本質」(4) 政府と与党 一元化の幻  (2012-4-8)

「民主党政権 失敗の本質」(4) 政党と与党 一元化の幻
―閣外に小沢氏 紛糾の始まり―
(朝日新聞施肥面板3面掲載 2012-4-8)

審議を打ち切った政調会長の前原誠司を急いで退出させたい賛成派。 いすを振りかざして威嚇し、バリケードを築いて阻止する反対派。今年3月末、8日間・46時間半に及ぶ消費増税法案の事前審査の混乱は、党内抗争に明け暮れる民主党
の姿を強く印象づけた。

背景には、合意形成のしくみの未熟さがある。民主党は、選挙や国会対策を指揮する幹事長と、政策責任者の政調会長を入閣させ、政府・与党全体で政権運営に責任を持つ「政府・与党一元化」をめざした。それは、政権を安定させる「政局回避装置」としても機能するはずだった。

なぜ一元化が実現しなかったのかは、政権交代直前に代表を退いた小沢一郎の存在抜きには語れない。

 ■      ■

2009年総選挙直後の9月3日夜、私は党本部で人事を追っていた。代表の鳩山由紀夫はトイレに立っと、私と目が合い、興奮気味に言った。「小沢さんを呼びます。幹事長就任を要請します」。私を含む報道陣はどよめいた。政治資金の問題を抱える小沢の処遇は最大の焦点だった。

鳩山はこの時、小沢を入閣させないと腹を固めていた。いま思えば、小沢の幹事長就任よりも、民主党の新政権で幹事長を入閣させないという決断のほうが重大だったのだ。

「参院選に専念してもらいたかった。入閣させるつもりはなかったし、小沢さんも希望してなかったと思う」と鳩山は振り返る。入閣すれば国会で追及され続けて政権は立ち往生する。鳩山のもとには党内からそんな懸念が伝わっていた。

小沢は今年2月の朝日新聞のインタビューで当時を振り返り、「俺は『政府に入らないで』という方針になっちゃった」と述べ、不本意な人事だったことをにじませた。小沢は1993年の著書「日本改造計画」で、早くも「政府と与党の二本立てで政策の調整を行うと調整過程が複雑で時間がかかり、内閣の責任もぼける」と一元化を唱えていた。

鳩山内閣の官房長官だった平野博文は、幹事長就任直後の小沢との会談を覚えている。小沢は「定期的に君と意見交換していこう。ただ政策は全部、政府が決めてくれ」と告げた。表向きは二元化」に沿った意見だが、平野は「逆に鳩山は人事も含めて党のことは一言わない。政府と党の『二元』にした」と振り返る。

党の実権を握った小沢が真っ先に手をつけたのが政策調査会の廃止だった。

鳩山は菅直人を政調会長に起用し、国家戦略相で入閣させる考えだった。閣僚や副大臣など閣内のポストは70程度。民主党は総選挙に圧勝し、衆参議員は400人以上いた。閣内から漏れた大量の議員を政調メンバーにして政策に関与させなければ不満が募る――と菅は考えていた。

だが、小沢は菅の影響力が党に及ぶことを警戒したのかもしれない。政調廃止を断行し、全国の陳情を幹事長室で集約。年末の予算編成では首相官邸に乗り込み、ガソリン税暫定税率廃止の見送りなどを政府にのませた。閣僚としての責任を負わない小沢が、政策決定に介入した瞬間だった。

菅は首相になると、政調会長を復活させ、国家戦略相と兼務にして一元化を図ったが、幹事長も政調会長も脱小沢派で固め、党内抗争の激化を招いた。

政府・与党全体で政権運営の責任を共有する一元化の理念は、党内の権力闘争で崩れていったのである。

 ■      ■

自民党政権が長く続いたのは、党分裂の回避を最優先し、異論や反論を取り込んで物事を決める合意形成のしくみが機能していたからだ。中核的役割を果たしたのが総務会である。

政府は総務会の了承を事前に得なければ法案を提出できない。総務会は原則「全会一致」で決める。メンバーは経験豊富なベテランを中心に各派関に均等に分配され、決定の責任を共有する。根回しに時間がかかり、足してニで割る政策に落ち着くことも多い半面、政権を安定させる点では「統治の知恵」だった。

野田政権は小沢と菅の党内抗争を反省し、政調会長と閣僚の兼務を外して「二元化」し、政調会長の事前了承を原則とした。自民党に似たしくみだが、反対派の意見を集約して取り込む「総務会」がない。全員参加型の会議で延々と議論するものの、最後は政調会長が押し切り、党内に不満が充満することが増えた。

立派な政策をつくっても政権が安定しなければ実現しない。野田佳彦は「51対49の党内世論でも、手続きを踏んで決めたら皆で頑張っていく」と強調する。けれども「49」がそれなりに納得する「手続き」でなければ、党内抗争は収まらない。民主党が描いた「政権交代の物語」に最も欠けていたのは、統治のりアリズムだった。=敬称略(村松真次)

おわり

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中