<東京新聞コラム・筆洗>日本最後の仇討vs木嶋被告に死刑判決。 短いコラムだが秀逸だ。 死刑とは何か、「光市母子殺害事件」も死刑確定で決着した…あなたが裁判員ならどうする?

今日の東京新聞電子版に載っていた短いコラムであるが、秀逸な記事である。 明治13年「日本最後の仇討」、作家・吉村昭氏の短編「最後の仇討」を原作として今年2月に「遺恨あり 明治十三年 最後の仇討」と」いう題でドラマ化されTV朝日で放送されたのを覚えているだろうか? おっと、東京新聞のコラムを先ずは紹介しよう。

【コラム】 筆洗

明治に改元される直前の慶応四年、藩内の政治的対立から福岡秋月藩御用役が、妻とともに同じ藩の武士に惨殺された。十一歳だった長男は仇(あだ)討ちを誓う▼下手人は維新後、東京上等裁判所の判事に就任、出世街道を順調に歩んでいた。山岡鉄舟門下で剣を磨いた青年は明治十三年、父母の恨みを晴らした。わが国最後の仇討ちである▼困惑したのは裁判所だった。明治六年、すでに「禁止令」が出ていた。死罪でもおかしくなかったが、青年を支持する圧倒的な世論も考慮され、情状酌量で終身禁獄の刑が下されたという▼近代国家の仲間入りを目指していた明治政府が、仇討ちなどを禁じる代わりに整備したのが死刑を含む刑法の制度だ。最後の仇討ちから約百三十年。現代では、抽選で選ばれた裁判員が職業裁判官とともに死刑求刑事件の審理も担う▼首都圏の連続不審死事件の裁判員裁判で、さいたま地裁は木嶋佳苗被告に死刑判決を下した。直接証拠が乏しい中、百日という異例の長い期間、裁判員を務めた人たちの心身の疲労の深さを思う▼「夜晴れていて朝雪化粧なら、雪が夜中に降ったのは明らか」と検察は論告で異例の表現を盛り込んだ。状況証拠だけで有罪にできると伝えたかったとしても、文学的な表現は、証拠構造の弱さを逆に浮き彫りにした。検察は自らの立証責任にもっと謙虚になるべきだった。

(東京新聞 2012年4月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012041602000086.html

この「日本最後の仇討」と「死刑」という組み合わせならば、私は今年3月14日に死刑判決が確定した「光市母子殺害事件」が真っ先に頭に浮かぶ。 「光市母子殺害事件」――1999年(平成11年)に山口県光市で、当時18歳1ヶ月の少年Aにより主婦(当時23歳)が殺害後屍姦され、その娘の乳児(生後11カ月)も殺害された上、財布を窃盗した事件――被害者の主婦の夫でありまた被害者幼児の父である本村洋(もとむら・ひろし)氏は13年間死刑判決を求めて戦う。

その頑(かたく)なな姿勢に死刑廃止論者は避難を浴びせる。 がしかし、死刑廃止論派の弁護団による「トンデモ」弁護は日本国中に論議を巻き起こし、死刑制度の是非を非常に考えさせることとなった。 私は「光市母子殺害事件」が「日本最後の仇討」ではないかと、勝手に思っている。

死刑制度の是非を言うつもりはない。 ただ、300年経っても「忠臣蔵」を好み、「仇討」にはそれなりの理があると考える文化を持つ日本人が国民投票で「死刑制度存廃の是非」を問えば、答えは「死刑制度存続」になるだろう。

私が「光市母子殺害事件」被害者の夫であり父であるとするならば、本村洋氏と同様の道を選ぶと思う。

我々の誰もが裁判員になりうる、そしてそれは明日なのかもしれない。  裁判員など他人事と思わず、心の準備をしておく必要があるのではないか。

むかしむかし見たヘンリー・フォンダ主演の映画「十二人の怒れる男」(12 Angry Men)は白黒だが素晴らしい映画だった。 1997年にリメイク版が出たが、1957年の白黒映画「十二人の怒れる男」に遠く及ばない。 裁判員の心の準備のためには是非進める一本だ。

脈絡の無い話になって申し訳ない…..

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