<ワシントンの全米桜祭りは4月27日まで> 日本から桜の苗木が送られて100年。 米国人も「花見」するようになった…

日本から桜の苗木が送られて100年。 今年はワシントンDCの全米桜祭りは4月27日まで開催される。 この100年で少なからぬアメリカ人が桜の美しさを分かってきたようだ。

「花見」もするようになった、ただ見るだけだが。 100年掛かっても日本人のように桜の下で酒を飲むまではまだ進化していない。 あと100年かかるだろう…

私の裏庭の「梯子桜」はワシントンの桜祭りが終わる頃に咲くだろう。 それにしても、ワシントンの桜もなかなか美しい…

画像クリックして、拡大画像で見た方が美しい

[4・16加筆]

写真だけではワシントンの桜がかわいそう。 日経記事の中にワシントンの桜の記事を3つ見つけたので付け加えることにした――

日米友好の桜咲いた陰で
100年前、ワシントンで植樹に尽力した高峰譲吉氏ら追う (石田三雄)
(日経 2012/2/29)

米ワシントンのポトマック川では毎年春、約2000本の桜の木が一斉に開花する。米国のみならず、世界中から観光客が押し寄せる名勝だ。今年はこの桜が日本から贈られて、ちょうど100年。一般的には当時の東京市長、尾崎行雄氏が日米親善のため贈ったと知られているが、実現に向けて奔走した人たちがその陰にいたことはいうまでもない。

∪ ∪ ∪

会社辞し本格的に調査

その一人が化学者、高峰譲吉氏である。現在の「第一三共」の基となった「三共」の初代社長で、アドレナリンの抽出に成功した人物だ。私は大学を卒業後、三共に入社した。在職中、高峰氏の化学者としての功績について会社の上司や海外の取引先から聞き、関心を抱いた。

その後、10年ほど前に会社を辞したのを機に、その生涯を探ると高峰氏がポトマック川の桜に深くかかわっていたことを知った。がぜん興味をひかれ、近代の日本で活躍した人物を研究する「近代日本の創造史懇話会」の中で本格的に調査を始めた。

高峰氏は化学者であると同時に、日米友好に尽力した人物でもあった。消化薬「タカヂアスターゼ」の発明と、「アドレナリン」の結晶化という偉業を成し遂げ、その利益を投じて、ニューヨークを本拠地に「無冠の大使」と呼ばれるほど日米の親善に力を入れていたのだ。

ただ、こうした活動が桜を贈ることに直接結びついたわけではない。そこには2人の米国人女性との出会いが大きくかかわっている。1人は米国の紀行作家で、写真家でもあったエライザ・ルアマー・シッドモアさんだ。シッドモアさんは明治初期、日本を旅行し向島の桜に感銘を受けたという。1885年にワシントンに戻り、桜の植樹を25年にわたり訴え続けていた。

もう一人は、第27代大統領ウィリアム・ハワード・タフトの夫人、ヘレン・ヘロン・タフトさんである。シッドモアさんは、タフト夫人に1909年4月「ポトマックに桜を植えてほしい」という手紙を送っている。すると、そのわずか2日後、タフト夫人から「ぜひやりましょう」という内容の手紙が返ってきたのだ。

∪ ∪ ∪

 「25年間の待望」実現

こうして動き始めたポトマック川への桜の植樹に、当時、総領事の水野幸吉氏とともに、ワシントンに滞在していた高峰氏がかかわることになる。桜の植樹の話を耳にした両氏はすぐにタフト夫人に面会している。

予算の都合などから、計画では1000本の桜を植える予定だったようだが、高峰氏はこの時、「その地区を桜でいっぱいにするためには2000本が必要でしょう」と提案している。シッドモアさんが25年にもわたり待望していた桜の植樹は、1週間で実現が決まった。

早速、高峰氏らは動き出す。しかし、個人からの寄贈では、事態が複雑になる。そこで水野氏が、東京市からワシントン市、両国の首府のやりとりという形を取ることを思いついて、外務省経由で尾崎氏に打診したのである。現在も「東京市からの寄贈」と記憶されているのは、このためである。

一方で、植樹は一筋縄ではいかなかったようだ。1909年8月に東京市が10品種の桜の苗木を業者に指示し、準備を進め、2000本を翌年の1月にワシントンに届けている。ただ大きな問題が起こった。苗が大きすぎ、重量を減らすため、大きい根が切り取られていた。

さらに、すべての苗木が病害虫に感染していることも判明。それらの木はすべて焼却処分されることになった。関係者の落胆は相当なものだっただろう。

日本の外務省は、威信をかけて再度この事業に挑む。苗木の生育から始め、青酸ガス薫蒸で害虫駆除を行った。1年以上にわたり、苗木を大切に生育し、ようやく1912年2月にワシントンに輸送された。

∪ ∪ ∪

 プレートには名前なく

それから1カ月後の3月末、タフト夫人やシッドモアさんが参列する中、植樹式が開催された。高峰氏、水野氏は出席しなかった。裏方に徹するためである。

また、桜のそばには記念のプレートがあるのだが、プレートには高峰氏やシッドモアさんの名前は記されていない。植樹に尽力したのに、彼らの名がないのは残念でならない。

あと1カ月ほどしたら桜の時期となる。100年前に、日本の顔ともいえる、その桜を通して日米親善に尽くしながら、歴史の陰に隠れがちだった高峰氏らに、もっと光が当たることを願っている。

(いしだ・みつお=近代日本の創造史懇話会理事)

100年前に植えた桜、今でも100本生存
(日経 2012/3/20)

ワシントンの桜は1912年3月、尾崎行雄東京市長がソメイヨシノなど12種類、約3千本の苗木を送り、ポトマック川の河畔に植樹された。桜の通常の寿命は50年程度とされるが、ポトマック河畔地区に現在ある3700本近い桜のうち、約100本が当時から生存している木だという。

当時の同地区は、埋め立てが終わったばかりの荒れ地。そこでタフト大統領のヘレン夫人が景観整備に力を入れ、その具体案として女性紀行作家のエリザ・シドモア氏から持ち込まれたのが桜の植樹だった。

日系移民増加による反日感情が強まる中で米国在住の化学者、高峰譲吉博士らも奔走し、首都東京からの公式な贈り物とすることが決定。最初に贈った苗木は害虫が見つかってすべて焼却処分となったが、その2年後の1912年に特別に無菌状態で育成した約3千本の桜が届いた。

在米日本大使館はポトマック河畔に日本庭園風の景観整備事業を計画。昨年は期間中に約100万人が同地を訪れ、今年はさらに多くの観光客を見込むという。(ワシントン=中山真)

「ワシントンの桜」は最も成功した対米外交だった
米州Frontline ワシントン支局・中山真
(日経 2012/4/13)

日本から桜が米国の首都ワシントンに寄贈されてから、今年で100周年を迎えた。人気アイドルグループのAKB48や、雅楽師の東儀秀樹さんらを招いた記念イベントなどでワシントン市内は4月下旬までお祭りムードが続くが、桜が寄贈された経緯には謎も多い。100年前の1912年より前に日本から贈られた桜が、ワシントンの片隅に残っていることを知る人も少ない。

「すべての桜はだいたいたどることはできたが、数本だけは記録がないんだ」。3月末、例年より早めに満開となり、観光客があふれるポトマック川河畔のタイダル・ベイスン地区。米国立公園局のブラッド・バーガーさんに観光スポットを案内してもらうと、ぽつりとこう漏らした。

バーガーさんによると、12年に当時の東京市から送られた桜は約3000本。そのうち100程度が現存していることが農務省などの記録から判明しているが、それよりも古い樹齢とみられる木があるという。実は、10年にも当時の東京市から桜が送られたが、すべて焼却処分となった。古い桜はその桜の生き残りではないか、というのがブラッドさんの見立てだ。

10年に日本から送られた桜は約2000本。藤崎一郎駐米大使によると、外務省が日本郵船に働き掛け米シアトルまで無料で輸送させ、シアトルからワシントンまでの陸路は米側が輸送費を負担した。しかし、ワシントン到着後に悲劇が起こった。桜に大量の害虫が見つかり、米側はすべて焼却することを決定。バーガーさんによると、今のワシントンのシンボルであるワシントン記念塔のふもと辺りに積み上げられ一斉に燃やされたという。

当時は、増加していた日系移民への風当たりも厳しいときだった。友好の証しとはいえ、日本から正体不明の害虫が侵入し、米国民の不安をあおることへの配慮もあった可能性が高い。ただ、当時の日本側の反応は意外にも冷静だった。「米国では大統領自ら桜を処分する伝統がありますから」。ジョージ・ワシントン初代大統領が幼少時に桜を切ったことを父親に告白するエピソードを交え、米側に応じたという話もある。

ワシントンの桜の歴史研究で知られる作家のアン・マクレランさんにも焼け残った桜の存在を聞いてみた。「当時の列車で長時間輸送された跡がある桜が、確かに残っている」と言い、実際に102年前に届いた桜の可能性が高い木の場所を教えてくれた。観光客が訪れるタイダル・ベイスン地区からさらに奥まったところに位置し、今ではほとんど人目につかないところだ。

樹木の専門家集団として今でも名高い米国立公園局が、検疫当局の指示を無視してまで桜を植樹したのはなぜか。「忍耐強い日本人なら再度、桜を贈ってくれることを見越して、次回のために栽培環境などを調査していたのかもしれない」。公園局のバーガーさんはこう話す。マクレランさんも「いろいろな思いを巡らせられることが日米を結んだ歴史の深さを感じさせる」と話す。

米シンクタンク・ヘリテージ財団の横江公美客員上級研究員はワシントンの桜を「最も成功した日本のパブリック・ディプロマシー(対世論外交)」と見る。第2次世界大戦中、反日感情が高まったときでさえ、ワシントンの桜はほぼ無傷で残り、米国人の目を楽しませた。昨年の東日本大震災直後には恒例のワシントンの桜祭りで支援の輪が広がった。

「ニューヨークの自由の女神と並び、米国人にはよく知られているワシントンの桜だが、1年に一度しか咲かない桜の花だからこそ、100年たっても毎年その感動は新鮮さを失わない」。桜祭り実行委員会議長のスーザン・ノートンさんはこう話す。すでに散ってしまったワシントンの桜の木には、多くの歴史が詰まっている。

☛ 【エリザ・ルアマー・シドモア(Eliza Ruhamah Scidmore)】 (1856年 – 1928年) アメリカの著作家・写真家・地理学者。ナショナルジオグラフィック協会初の女性理事となった。1885年から1928年にかけて度々日本を訪れた親日家であり、日本に関する記事や著作も残している。ワシントンD.C.のポトマック河畔に桜並木を作ることを提案した人物。 (Wikipedia ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/エリザ・シドモア

☛ 【シドモアと桜】 「シドモア桜100周年」 里帰りを喜ぶ市民の会 http://nogehanahana.org/project/sidmore/about


〆は
桜吹雪

桜吹雪

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