<消えゆくローカル私鉄> 聞け、去りゆくものへの惜別の声を… 震災1年、三陸鉄道は何とかその命脈を繋いでいる、しかし90年の時を経て去っていく路線がある。 時代の流れではあるが、惜別の情を惜しまない。 三陸鉄道よ、君はいつまで走れるのか…

あえてローカルのニュースを伝えたい。

誰かが伝えなければ…ならば、私が手をあげよう。 アクセス数などというものは問題ではない。 伝える事、それが大事なのだと思う、ひとりよがりかも知れぬが…

北海道新聞(道新ニュース)動画イトが「震災1年あの街再訪―三陸鉄道岩手県宮古市編」という動画ニュースを今日、4月2日に配信した。 Doshin動画ニュースHPのメインに掲載されいる。 http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/video/?c=&v=152811990002

3.11の震災1年で民放TVメディアは「三陸鉄道」を取り上げ放送した、「きずな」、「がんばれ」が合言葉のように。 で、その後どうなった。 民報TVにはとっては知ったこっちゃない、だろ。 道新ニュースは地方新聞だけに目のやり場が違う。 お祭り騒ぎのような、嘘っぽい、民放TVの3.11特集の喧騒が静まりかえって人々が忘れかけている頃に「震災1年あの街再訪―三陸鉄道岩手県宮古市編」を配信している。 一所懸命に走り、地域を支える一両編成の電車である。

この配信の一日前、4月1日に2両編成で走っていた二つの地方私鉄路線が廃線となった。 青森県の十和田観光電鉄線と長野県の長野電鉄屋代線である。 それぞれ89年と90年の歴史に幕を閉じた。

地方からは、一つ一つ何かが消えて行く、時代の流れと言ってしまえばそれまでだが。

一両編成の「三陸鉄道」よ、君はいつまで走り続けることができるのか? 全線開通することはできるのか? 君と同じようにトコトコ走って、その街の人々を支えてきた路線が消えて行ったことに惜別の情を抱く…  「ご苦労さま、十和田観光電鉄線、長野電鉄屋代線」。 ネットにその惜別の言葉を誰かが残しておかなければならないかと私は思う。

<震災1年あの街再訪>三陸鉄道岩手県宮古市編
(Doshin 動画ニュース 2012/04/02)

 東日本大震災から1年、本紙カメラマンが地震発生後に撮影した現地を再び訪問。復興は進んでいるのか、カメラで追った。岩手県宮古市から久慈市まで走る三陸鉄道北リアス線は約2週間で部分的に運行を再開した。今も手旗信号を使っての慎重な運転が続く。大堤防を越える津波に呑まれた田老地区を、復興を見守るようにゆっくり走ってゆく。鉄道ファンや企業などから応援、支援を受け2014年の全線開通へ向け復旧を進めている

http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/video/?c=&v=152811990002

十和田観光電鉄 最後の電車運行
(NHK 4月1日 7時9分)

青森県の十和田市と三沢市の間を89年にわたって結んできた、十和田観光電鉄の最後の電車が先月31日夜運行され、ホームを埋め尽くした人たちが別れを惜しみました

十和田観光電鉄は、大正11年から89年間にわたり十和田市と三沢市を結ぶ鉄道を運行してきましたが、利用者の減少に歯止めがかからず、路線が廃止されることになりました。

先月31日の夜は、最後の電車の運行を見届けようと三沢駅に大勢の鉄道ファンや地元の人たちが集まり、周辺の道路も駅構内に入れなかった人たちで混雑しました。

降りしきる雪のなか、午後9時ちょうどに警笛を鳴らしながら最後の電車が出発すると、乗客たちは手を振ったりカメラで撮影したりしていました。

最後の電車は、十和田市駅までの14.7キロの区間をおよそ30分かけて走り、終点の十和田市駅に到着すると、集まった人たちから大きな拍手が贈られました。

十和田観光電鉄の白石鉄右エ門社長は、「地域の方に支えられて89年間運行できたと思っています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と話していました。

十和田観光電鉄では、1日から鉄道と並行して走る道路でバスの運行を始めています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120401/k10014120221000.html

長野電鉄屋代線 90年の歴史に幕
(NHK 4月1日 5時6分)

長野県の北部を走る長野電鉄屋代線は先月31日、最後の列車が運行され、沿線の住民などが見守るなか、90年の歴史に幕を下ろしました。

長野県の千曲市屋代と須坂市を結ぶ長野電鉄屋代線は大正11年に開業し、かつては地域の特産品を首都圏に輸送する役割も果たしてきた路線です

昭和40年度をピークに利用客の減少が続き経営が悪化したため、31日の運行を最後に廃線となりました。

31日は、最後の列車を見送るため大勢の沿線の住民や鉄道ファンが長野市の松代駅に集まりました。 ホームでは、長野電鉄の笠原甲一社長が集まった人たちに「今までやってこれたのは地元の皆さんのおかげです。ご支援いただき、心からお礼を申し上げます」と感謝のことばを述べました。 そして午後10時44分、最後の列車が満員の乗客を乗せて出発の合図とともに須坂駅に向けてゆっくりと動き出すと、鉄道ファンなどが「ありがとう」などと言いながら列車が見えなくなるまで手を振り続けていました。

また途中の駅では、地元の人たちが最後の列車を見送り、別れを惜しんでいました。 列車は午後11時すぎに須坂駅に到着し、長野電鉄屋代線は、90年の歴史に幕を下ろしました。 沿線の住民の1人は「胸がじんとして、目頭が熱くなりました。寂しいですが、長い間ありがとうという感謝の気持ちでいっぱいです」と話していました。

http://ja.wordpress.com/#!/fresh/

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