<原発・防災指針、福島避難民の怨嗟の声が聞こえる> 6年前、保安院が防災指針国際基準化に反対。 当時の広瀬研吉保安院長自身が「なぜ、寝た子を起こすんだ!」と防災指針見直しに圧力をかけた。 住民避難はもっと早くできた可能性があった…

福島第一原発の事故を受け、防災指針の見直しを進めていた原子力安全委員会は16日、中間報告書をまとめた。原発事故の教訓を踏まえ、これまでは10キロだった防災対策の重点整備地域を30キロまで拡大することなどが盛り込まれている。

しかし、6年前の2006年にIAEAの原子力防災国際基準の検討に合わせて見直しが行われていたが潰れた。 なぜ潰れたか、それは当時の広瀬研吉保安院長が圧力をかけて反対したためだ。 この時見直しが行われていれば、今回の原発事故での避難はもっと早く行われていた可能性が高い。 それは現在の保安院も認めるところだ。

「なぜ、寝た子を起こすんだ!」と防災指針見直しに圧力をかけた当時の広瀬研吉保安院長とはこの人だ。
今回の原発事故での早期避難の可能性の芽を摘んだ広瀬研吉氏は東京新聞の取材に「覚えていない。分からない」と答えている。 福島県民、原発避難民の怨嗟(えんさ)の声が聞こえるのは私だけではないだろう。 それが聞こえぬのは保安院とその元委員長・広瀬研吉氏のみではないか。

東京新聞 2012年3月17日 07時03分 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012031790070354.html

かれは2007年に退官後、東海大学国際教育センターの特任教授に就任した、また文部科学省所管の独立行政法人・独立行政法人科学技術振興機構で天下り理事を務めた。 福島第一原子力発電所事故の際には、当時の菅直人首相によってこともあろうに原発事故対応の内閣府参与に任命されたのだ。 現在彼は古巣の経産省で特別顧問をしている。 民主党政権のアホ人事には目を覆うばかりだ。

◇ 以下、NHKニュース、朝日紙面版記事掲載 

<保安院 防災指針国際基準化に反対>
(NHK 3月15日 18時55分

6年前、原発事故に対する防災指針を国際基準に合わせて見直す検討が行われた際、原子力安全・保安院が「不安を増大するおそれがある」などと再三反対し、緊急時の避難区域の設定などの国際基準が指針に反映されなかったことが分かりました。

6年前の平成18年、国の原子力安全委員会は、IAEA=国際原子力機関が当時進めていた原子力防災に関する安全基準の検討に合わせて防災指針の見直しを行いました。

原子力安全委員会や原子力安全・保安院によりますと、見直しでは、IAEAが求めていた緊急時に直ちに避難させる区域を新たに設けるかどうかが大きな議論になりましたが、これに対し、保安院が「直ちに避難ということばは社会的な混乱を引き起こし、国民の不安を増大するおそれがある」などと、再三、反対の申し入れを行っていたということです。

防災指針は翌年の平成19年5月に見直されましたが、結果的にIAEAの基準は反映されませんでした。

福島第一原発の事故では、東京電力から原発の緊急事態を知らせる通報があってから国が最初に3キロ圏内に避難指示を出すまでに4時間半余りかかっており、もっと早い段階で避難の呼びかけをすべきだったのではないかという指摘が出ています。

これについて原子力安全委員会管理環境課の都筑秀明課長は「6年前の段階でもう少し踏み込んで防災指針が改訂されていれば、今回の事故でもより適切な避難対応ができていたかも知れず、非常に残念だ」と話しています。

一方、原子力安全・保安院の森山善範原子力災害対策監は「当時、制度の見直しのメリット、デメリットを慎重に考えるべきだとして導入に異議を唱えたのは事実だ。今回の事故のように短時間で事態が悪化することを考えておらず、あらかじめ見直していれば今回の避難対応も違うものになった可能性があり、早い段階で取り入れておけばよかったと思う」と話しています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120315/k10013752071000.html

<保安院長“なぜ、寝た子を起こす”>
(NHK 3月17日 5時45分)

6年前、国の原子力安全委員会が進めていた原発事故への防災指針の改訂を巡って、原子力安全・保安院が反対し、緊急時の避難区域の設定などの国際基準が指針に反映されなかった問題で、当時の保安院の院長が「なぜ、寝た子を起こす」と、安全委員会の委員に検討をやめるよう直接、伝えていたことが分かりました。

この問題は、6年前の平成18年、原子力安全委員会が進めていた原子力防災指針の見直しを巡って、国際機関が求めていた、緊急時に直ちに避難させる区域の導入について、保安院が安全委員会の事務局に対し、「国民の不安を増大する」などと再三、反対の申し入れを行ったものです。

この問題について、当時、指針の見直しを担当した原子力安全委員会の久住静代委員が、平成18年5月に開かれた保安院幹部との昼食会で、広瀬研吉元保安院長から「事故は起こらないのに、なぜ、寝た子を起こすんだ」と防災指針の見直しをやめるよう厳しい口調で迫られたことを明らかにしました。

久住委員は「地方自治体も関心が高く、やめることはできない」と反論したということですが、その後も、安全委員会の事務局に保安院から反対の申し入れが続き、最終的に国際基準は指針に反映されませんでした。

久住委員は「安全委員会の事務局のメンバーは、保安院などほかの省庁からの出向者の寄せ集めで、親元の省庁からの圧力に弱く、安全委員会の事務局が作成する指針の素案に影響が出た」と話しています。

これについて、原子力安全・保安院は「当時の保安院長をはじめとする保安院の対応は、安全委員会の公表した資料や久住委員の指摘のとおり問題があったことは明白だ。反省せざるをえない」としています。

■ 防災指針見直し巡るやり取り公表

原発事故に対する防災指針の見直しを巡って行われたやり取りについて、原子力安全委員会はホームページ上に文書で公表しました。

公表された資料は、安全委員会の事務局が残していたメモや、保安院の担当者との電子メールの文面です。

平成18年4月24日の保安院の原子力防災課が作成した文書では、IAEAが求めていた、緊急時に直ちに避難させる区域について、「原子力事故時に周辺住民の方が事故の大小にかかわらず即時に避難をしなければならないという誤解を与えかねないことなどから、無用な社会的混乱を回避する」として、「『即時避難』という語句を使用することは控えていただきたい」としています。

その2日後の「申し入れメモ」と書かれた文書では、IAEAの考え方を導入した新たな原子力防災指針の検討を行うことは、「社会的な混乱を惹起(じゃっき)し、原子力安全に対する国民不安を増大する恐れがある」として、検討自体を凍結するよう記されています。

これに対して、安全委員会が、防災指針の改定の検討は防災体制の向上のための努力の一環だとして、申し入れを拒否すると、保安院は平成18年6月15日の文書で、「IAEAの決定と我が国の防災指針の見直しはリンクさせるべきものではない」として、安全委員会の防災指針の見直しの検討を不注意で遺憾だとして抗議しています。

このほか、電子メールでのやり取りで、保安院の担当者は「防災指針については、変更をしないことが大前提」、「防災指針、運用について変更がなく、なんら新しい措置を伴うことを指針に盛り込まないのであれば最小限の防災指針の字句修正を行うことはやむを得ない」などと防災指針の見直しをしないよう迫っています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120317/k10013788161000.html

<「寝た子を起こすな」 6年前、保安院委員長自ら抵抗>
原発防災強化の議論中
(朝日朝刊 3面 2012-3-17)

国のの原子力安全委員会が6年前に原発の防災指針を改訂しようとして経済産業省原子力安全.保安院が強く抵抗した問題で、当時、広瀬研吉院長(現経産省特別顧問)が自ら、安全委員に「寝た子を起こすな」と反対していたことが分かった。その揚に居合わせた安全委の久住静代委員が明らかにした。

久住氏によると、広瀬氏が改訂反対を主張したのは、2006年5月に安全委員長室で開かれた安全委と保安院の昼食会。保安院から広瀬院長ら幹部数人、安全委は委員5人が参加した。

広瀬氏は、1999年に起きた茨城塁東海村のJCO臨界事故を受けた自治体の防災対策の
見直しが一段落したことなどに触れ、さらなる見直しに反対し、「なぜ寝た子を起こすのか」と厳しい口調で迫った。だが、安全委で防災担当だった久住氏は、国際的な防災対策の流れを考えれば「やめるわけにはいかない」と拒んだという。

保安院は会合後も、安全委の事務局に「立地地域に不安弘惹起(じゃっき)し、混乱を来す」など、反対する文書を送り続け、結果的に導入は見送られた。

久住氏は、安全委が経産省などの出向者で固められている点を挙げ、「親元から圧力をかけられると弱い。その体制の弱さを克服できなかった。このような事故が起きないと(指針を)変えられないのは大変悲しい」と述べた保安院の深野弘行院長も16日の会見で「通常トップまで報告はいく。ある程度の認識はあったのではないか」と述べ、広瀬氏を含めて組織的に反対し
ていたことを認めた。(西川迅)

電子版は http://www.asahi.com/politics/update/0315/TKY201203150228.html だが一部紙しか読めない。

防災指針の見直しとは何だったのか? その経緯を西日本新聞の3月17日の社説は分かり易く説明してくれている。 西日本新聞、地方紙であるが記者の質は高い。

原発防災指針 国民は都合よく使われる
(西日本新聞朝刊「社説」 2012年3月17日)

学識経験者や専門家を集めた役所の審議会や研究会などで、官僚が議論を巧みにリードして自分たちの政策にお墨付きをもらう。珍しいことではあるまい。

ただ、舞台裏が明らかになることは珍しい。しかも、工作をした経済産業省原子力安全・保安院は自らの主張を正当化するのに、国民不安の増大や原子力発電所立地地域の混乱を口実にしていた。都合よく国民を使うことは到底許し難い。

工作の対象は、内閣府原子力安全委員会に設けられた防災指針検討ワーキンググループである。そこで、2006年3月から、原子力災害に備えた指針の見直しが必要かどうかの議論が始まった。

二つ理由があった。一つは2000年6月に施行された原子力災害対策特別措置法だ。同法は施行後5年で必要な見直しをするとしていた。このため、学識経験者を集めた作業グループを設けた。

この法律は1999年の事故を教訓に生まれた。茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で日本の原子力史上初の臨界事故が起きた。放射線の大量被ばくで2人が亡くなり、防災関係者や近隣住民なども被ばくした。

もう一つの理由は、国際原子力機関(IAEA)の新たな安全基準だった。

86年4月に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故は原発史上最悪の事故だった。これを教訓にあらためて住民を守る措置を強めようとしていた。

具体的には、原発から半径10―30キロ圏の「緊急防護措置区域(UPZ)」や半径3―5キロ圏の「予防防護措置区域(PAZ)」を設けることが提案された。

日本では半径8―10キロ圏を「防災対策重点地域(EPZ)」としていた。

防災地域の拡大に原子力安全・保安院は反対だった。そこで06年4月の第2回防災指針検討ワーキンググループ会合を前に、保安院は原子力安全委事務局にIAEAの指針の検討凍結を求めた。

理由は幾つかある。まず、PAZは何かあれば無条件で即時避難しなければならない地域との誤解を与え、立地地域に無用な混乱を起こす恐れがあるとした。

次に原子炉の格納容器の健全性に対する従来の説明ぶりを変更することになり、原子力安全に対する国民の不安感が増大するのではないか。防災資機材などの整備を重点的に行う地域が拡大し、財政負担が増大する懸念もあるという。

そんなこんなで保安院や安全委などの水面下のやりとりが続き、7月に了解が出来上がる。翌8月、3回目のワーキンググループ会合が開かれ、防災地域の拡大が主要議題の一つになった。

結果は防災地域の拡大見送りだった。そして、東京電力福島第1原発事故を受けて30キロ圏へと防災地域は広がった。

IAEAの言うことを聞いておけばいいのだと言うつもりはない。腹が立つのは最新の基準や知見があっても、自分たちの都合の良いように解釈するやり方であり、「国民」をだしにする手法だ。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/292299

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UPZ = Urgent Protective action planning Zone  緊急防護措置計画範囲
EPZ = Emergency Planning Zone  防災対策重点地域の範囲
PAZ = Precautionary Action Zone  予防的措置範囲
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さて、「広瀬研吉」元保安院長・現経産省特別顧問の話を続けよう。 経産省HPには「談論風発」という経産省の政策の議論を掲載しているページがある。 http://www.meti.go.jp/discussion/index.html  このようなページだ。 行ってみよう。

そのページの一番下にある「バックナンバー」をクイックすると過去の座談会での議論を読むことができる。 「バックナンバー」のページへいったら、Control + F でワード検索する。 入力キーワードは当然「広瀬研吉」だ。 下のショットのように、「特集【原子力安全の更なる向上に向けて】-6月号 」に行くはずだ。

タイトルの、「特集【原子力安全の更なる向上に向けて】-6月号 」がリンクになっているのでクリックして見よう。 2007年6月の座談会の本文を読むことができる。 その座談会で広瀬氏が何を語っているのか我々は知らねばならない。 ちなみに、出席者は皆さんヨークご存じの班目春樹(まだらめ・はるき)、鈴木篤之(すずき・あつゆき)、広瀬研吉(ひろせ・けんきち)の三氏である。 クリックすると拡大するので、この座談会の時点での彼らの経歴とご意見の要旨を読むことができる。

                  

「バックナンバー」のページに戻って、Control + F でワードで再び「広瀬研吉」で検索する。 今度は「特集【今後の原子力安全・保安行政のあり方について―原子力安全・保安院設置5周年を迎えて】-1月号」に行き着くとはずだ。 リンクになっているタイトルをクリックして見よう。 2006年1月の座談会の内容が読める。 その座談会で当時の広瀬元安院長はこうのたまっている。

『広瀬 この5年間に改正した原子力安全規制の検証は重要だと考えています。平成17年11月から「検査の在り方に関する検討会」を開催して、新たな知見から得られる検査制度改善のための課題も含めて検討しています。リスク情報の活用については、基本的な考え方と当面の実施計画を整理して実行しつつあります。』

この時の出席者名、略歴、要旨は http://www.meti.go.jp/discussion/topic_2006_01/window_01.htm をクリックすると確認できる。 上のスクリーショットで私が下線でハイライトした発言者の「近藤」とは近藤駿介(こんどう・しゅんすけ)氏、H16年1月より原子力委員会委員長、である。

経産省「談論風発」劇場で今でも上演されている「虚構という名」の茶番芝居の台本を読むことができる。 あなたにも福島県民の、福島避難民の、怨嗟の声が聞こえてこないか……..

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